▶5時過ぎに起きて、熱々の珈琲。
ぼんやりとした時間を過ごす。
頭の靄(もや)が晴れるまで少し時間がかかる。
そのうち靄が晴れなくなる日が来るのだろうが、まあそれはそれで良いかな。
▶朝食の蕎麦を食べた後、二度寝することなく(いつもは寝てしまう)、小津安二郎監督の『東京物語』(1953)を観る。
20回以上観てると思うが、ときどき無性に観たくなる。
もはやストーリーはどうでもよくて、俳優たちの顔や声を楽しんでいる。
何度観ても長女役の杉村春子が絶品である。
周平(笠智衆)ととみ(東山千栄子)の間に、なぜあんなハスッパ(死語?)な娘が出きたのか、観るたびに不思議に思う。
あの声がなんとも言えず良い。
酒に酔った東野栄次郎が、「もう戦争はこりごりじゃ」と呟くシーンがあるが、あれは、とうじの日本人の心からの声なんだろうな。
終わって間もない戦争の記憶が、作品ぜんたいに、哀しい影のように漂っている。
いまから70年ちかく前の映画だが、映されている映像にあまり古さは感じられない。
これは小津安二郎が、時の流れに消されてしまわない風景、日本の骨格になっている風景だけを切り取って映像に残したからではないかと思う(「それあなたの感想ですよね?」「そうです、わたしの感想です」)。
▶『東京物語』を観た流れでヴィム・ヴェンダース監督の『東京画(Tokyo Ga)』(1985)を観る。
小津が描いた東京の姿を探して、1983年の、バブル景気前夜の東京を彷徨うヴェンダース。
しかしヴェンダースが“聖なる場所”とまで言う“小津の映画いた東京”の姿は、どこにもなく、あるのは80年代東京の猥雑な喧騒ばかり。
思わず「すまんなヴィム」と謝りたくなる。
多くのヴェンダース作品がそうであるように、わたしには少々退屈で、ときどきボーッとしてしまうが、そのぼんやり具合が気持ち良かったりもする。
インタビューを受けた笠智衆の、「小津映画に出てた頃の私を覚えている人なんて誰もいない」という謙虚な自嘲が胸を刺す。
▶さて、競馬。
菊花賞は、馬連の3点買いでなんとか当たったが、最初に考えていたアスクビクターモアとボルドグフーシュの1点でよかったなぁ…と、レースが終わったあとに激しく反省する(いつものことだ)。
小津安二郎は後期の作品になるほど、映画技法(パン、移動撮影、レンズ交換など…)をどんどん削ぎ落して、自らの映画文法を単純化していったが、わたしも馬券術において余分なものをどんどんそぎ落としていかなければいけないな。
自分で言ってて、どう言うこと?とツッコミたくなるが“笑”。
なんだか崇高な馬券術が垣間見えた気がする(気のせいに違いない)。
▶スタイル・カウンシル(The Style Council)の『Cafe Bleu』(1984)を聴きながら読書。
ザ・ジャムが人気の絶頂で解散して、いささかがっかりしていたところに登場したのが、このアルバムだった。
1曲目「Mick's Blessings」が流れたとたん「かっけー」と叫んでましたわ。
そして、ポール・ウェラーの書く曲は、たとえようもなく美しい。
ロックは、ボブ・ディランとザ・バンドの登場によって大人の音楽となり、ポール・ウェラーによって老成したと、わたしは思っている(「それ、あなたの感想ですよね?」「そうです、わたしの感想です」)。