単純な生活

映画・音楽・読書について、だらだらと書いている

ありふれた日常 #7 / 小津安二郎的馬券術?

 

▶5時過ぎに起きて、熱々の珈琲。

ぼんやりとした時間を過ごす。

頭の靄(もや)が晴れるまで少し時間がかかる。

そのうち靄が晴れなくなる日が来るのだろうが、まあそれはそれで良いかな。

 

 

▶朝食の蕎麦を食べた後、二度寝することなく(いつもは寝てしまう)、小津安二郎監督の『東京物語』(1953)を観る。

 

20回以上観てると思うが、ときどき無性に観たくなる。

もはやストーリーはどうでもよくて、俳優たちの顔や声を楽しんでいる。

何度観ても長女役の杉村春子が絶品である。

周平(笠智衆)ととみ(東山千栄子)の間に、なぜあんなハスッパ(死語?)な娘が出きたのか、観るたびに不思議に思う。

杉村春子の夫役の中村伸郎も良いなぁ。

あの声がなんとも言えず良い。

 

酒に酔った東野栄次郎が、「もう戦争はこりごりじゃ」と呟くシーンがあるが、あれは、とうじの日本人の心からの声なんだろうな。

終わって間もない戦争の記憶が、作品ぜんたいに、哀しい影のように漂っている。

 

いまから70年ちかく前の映画だが、映されている映像にあまり古さは感じられない。

これは小津安二郎が、時の流れに消されてしまわない風景、日本の骨格になっている風景だけを切り取って映像に残したからではないかと思う(「それあなたの感想ですよね?」「そうです、わたしの感想です」)。

 

 

▶『東京物語』を観た流れでヴィム・ヴェンダース監督の『東京画(Tokyo Ga)』(1985)を観る。

 

小津が描いた東京の姿を探して、1983年の、バブル景気前夜の東京を彷徨うヴェンダース

しかしヴェンダースが“聖なる場所”とまで言う“小津の映画いた東京”の姿は、どこにもなく、あるのは80年代東京の猥雑な喧騒ばかり。

思わず「すまんなヴィム」と謝りたくなる。

多くのヴェンダース作品がそうであるように、わたしには少々退屈で、ときどきボーッとしてしまうが、そのぼんやり具合が気持ち良かったりもする。

インタビューを受けた笠智衆の、「小津映画に出てた頃の私を覚えている人なんて誰もいない」という謙虚な自嘲が胸を刺す。

 

 

▶さて、競馬。

菊花賞は、馬連の3点買いでなんとか当たったが、最初に考えていたアスクビクターモアとボルドグフーシュの1点でよかったなぁ…と、レースが終わったあとに激しく反省する(いつものことだ)。

小津安二郎は後期の作品になるほど、映画技法(パン、移動撮影、レンズ交換など…)をどんどん削ぎ落して、自らの映画文法を単純化していったが、わたしも馬券術において余分なものをどんどんそぎ落としていかなければいけないな。

自分で言ってて、どう言うこと?とツッコミたくなるが“笑”。

なんだか崇高な馬券術が垣間見えた気がする(気のせいに違いない)。

 

 

スタイル・カウンシルThe Style Council)の『Cafe Bleu』(1984)を聴きながら読書。

 

ザ・ジャムが人気の絶頂で解散して、いささかがっかりしていたところに登場したのが、このアルバムだった。

1曲目「Mick's Blessings」が流れたとたん「かっけー」と叫んでましたわ。

 


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そして、ポール・ウェラーの書く曲は、たとえようもなく美しい。

 

ロックは、ボブ・ディランザ・バンドの登場によって大人の音楽となり、ポール・ウェラーによって老成したと、わたしは思っている(「それ、あなたの感想ですよね?」「そうです、わたしの感想です」)。

 

ありふれた日常 #6 / いろいろと思い出せない…

 

▶4時起床。

よく眠れなかったなぁ…。

年を取ると、こういう日が多くなる。

ぼんやりと珈琲。

YouTubeで古いサイレント映画をいくつか観る。


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『ラウンドヘイの庭の場面』(1888)

映画史的にはかなり有名かつ重要なフィルム。

長さはわずか2.11秒しかないが、ここには映画の楽しさの基本がつまっている。

写真が、過去の時間が目の前で動くと言うことは、驚異的なことだ。

 

いま思ったのだが、ここに写っている人たちがタイムループの只中にいるのだとしたら、かなり怖いな。

2秒ちょっとじゃどうすることも出来ない。

未来永劫、ひたすら庭の一角を廻り続けるしかない…。

 

ちなみに、左端の、羽根飾りのついた帽子を被って、回りながら奥へ移動している女性は、この撮影の10日後に亡くなったらしい。

偶然だろうけど、ちょっと怖い。

 

 

▶朝食は、いつものように蕎麦。

トッピングは薬味のネギだけ。

食後、本を返しに図書館まで歩く。

図書館までは歩いて5分くらいで、わたしが引っ越したくない理由のひとつが、この図書館までの近さである。

途中、家が壊され空地が出現していた。

その空地に、もともと何が建っていたのか、まったく思い出せない。

 

図書館で、見覚えのある人を見かける。

知り合いではない。

どこかでよく見る人なのだが、どこで見かけるのかが思い出せない。

年をとると、思い出せないことばかりが増える。

家に戻る途中で、「あっ、コンビニの店員さんだ!」と思い出す。

少しすっきりする。

空地に何が建っていたのかは、まだ思い出せない。

 

 

▶1週間ほど前から新訳版の『DUEN/砂の惑星』を読んでいる。

 

さいしょに読んだのは中学生の頃で、表紙が石ノ森章太郎のイラストだった。

冒頭の50ページを読んだだけで挫折しそうになった。

著者の作った固有名詞がなんの説明もなく頻出し、そのうえ文章がアクロバティックに難解だったのだ。

途中で投げ出すのも、なんか負けた感じがして嫌で、クラスメイトでSF好き(そしてかなりスケベ)な中川くんと謎解きをしながら読んでいった。

読み終えるのに3か月くらいかかったのではないか。

ラストの一行に辿り着いたときには、いささか感動したが、壮大な物語に感動したと言うよりは、難しい本をなんとか読み終えたという感動のほうが大きかったような気がする。

読み終わった日には、中川君の部屋で、ふたりでコーラとあんぱんでお祝いをした。

年をとると、こういう古い思い出ほど鮮明に思い出す。

 

いっしょに『砂の惑星』を読んだ中川くんは、すでにこの世のひとではない。

「腹上死が、おれの夢だ」と言っていたが、可愛い子供と妻に看取られながら、病院のベッドの上で亡くなった。

人生、なかなか思い通りにはいかない。

 

 

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『DUNE 砂の惑星 Part1』を観る。

 

素晴らしい。

原作の、ちょうど前半部分。

ティモシー・シャラメは、主人公ポールそのままだ。

母親のジェシカに少し違和感。

悪くはないのだが、原作の雰囲気とは何かが少し違う。

それにしてもドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、世界観のつくり方が抜群にうまいなぁ。

ブレードランナー2049」を観たときにも感じたことだが。

 

 

▶寝る前に、何かを思い出しそうになって、しばらく頭の中を見つめていたのだが、何も思い出さない。

そもそも何を思い出しそうになったのかが、わからないw。

まっ、たいして重要なことではないのだろう。

夢の中で思い出すかもしれない。

起きたら忘れているだろうけど。

 

ありふれた日常 #5 / 寒い朝には、温かい蕎麦が嬉しい

 

▶4時に目覚めたのだが、なかなか蒲団から出ることができない。

寒い。

急に、寒くなった。

無理やり起きて、エアコン(暖房)のスイッチを入れ、熱々の珈琲を飲む。

寒い。

去年の冬をどうやって乗り切ったのか憶えていない。

今年、こういう寒さを乗り切る自信がない。

寒い。

 

 

YouTubeでサイレントの短編映画を1本観る。

グリフィスの傑作「A Corner in Wheat(小麦の買収)」(1909)。


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始まってすぐに(1:07~2:14)農夫が小麦の種籾を畑にまくシーンがあるのだが、何度見ても、良いシーンだなぁと思う。

縦構図で、遠くから農夫がふたり種籾をまきながら歩いてくるのだが、それをずーっと撮っている。

この作品は、すべてのシーンがワンショットで撮られているのだが、ここではそれが生きていると言うか、きわめて現代的なショットで、すごい。

 

 

▶妻が起きてきたので、いつものように蕎麦。

寒い朝には、温かい蕎麦が嬉しい。

今朝は、さいきんお気に入りの“松山あげ”を浮かべる。

 

大判も美味しいが、蕎麦に浮かべるには小判が良い。

ちょっと不思議な味の油揚げで、油揚げなのに食感がもちもちしていて、揚げっぽくない。

蕎麦やうどんやみそ汁にそのまま浮かべるだけでなく、少し炒めてパスタとからめても美味しい。

普通の油揚げより、ちょっと高いけど(と言っても油揚げなので、それほど高くはない)。

 

 

▶ジョセフ・H・ルイス監督の『拳銃魔(Gun Crazy)』(1949)を観る。

拳銃魔(字幕版)

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幼い頃から拳銃が大好きな、だけど虫一匹殺せない好青年のバート。

自分の欲望(金)のためなら殺人もためらわない女、ローリー。

偶然出会い、魅かれあった二人が破滅の道へと突き進む。

 

傑作。

脚本は、ダルトン・トランボが別名義で書いている(赤狩りでハリウッドを追われていた頃)。

カメラワークが凄い。

常に移動するカメラが圧倒的なスピード感を生んでいる。

 

 

▶ロニー・レイン(Ronnie Lane)の『Anymore for Anymore』(1974)を聴きながら、競馬の予想。

Anymore for Anymore

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  • ¥1528

 

ロニー・レインのアルバムのなかでは、いちばん好き。

そして、この曲がいちばん好き(ロン・ウッド若い)。


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ロニーの死後行われたメモリアル・コンサート。

ポール・ウェラー、カッコ良いなぁ。

わたしと同い年なんだがw


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ロニーの切ない歌声のせいか、競馬予想はまったく捗らない…。

 

 

▶明日は、少しあったかくなりますように…。

わたしの懐も、あったかくなりますように…。

 

 

ありふれた日常 #4 / コロッケ蕎麦のこと、などなど

 

▶5時頃起き、しばらく机の前でぼんやり過ごす。

年をとると、ぼんやり過ごすことが多くなる。

べつに何かを考えているわけではなく、ただ無為の時間をぼんやりと過ごす。

あるいは時の流れを茫然と見つめている。

老いとともに始まるこういう時間の過ごし方について、井伏鱒二が、どこかで何か書いてたと思うのだが、どこで何を書いていたかは思いだせない。

井伏鱒二だったかどうかも、じつは怪しい。

 

 

▶今朝の朝食は、コロッケそば。

この珍妙なメニューに出会ったのは、東京に出てきて間もない頃だったと記憶する(関西にはほぼない)。

たしか秋葉原の立食いそば屋で食べたのだ。

てっきりコロッケは別皿で、それをつまみながらそばを食べるのだと思ったら、濃い出汁の上にコロッケがどんと乗っかってるではないか。

なんじゃこれ、と凄くびっくりしたな。

おそるおそる食べてみると、けっこういける。

後半、コロッケにツユが沁みてグズグズになったところを、麺と一緒に食べると、じつに美味い。

それ以来、立食いそば屋に入ると、2回に1回はコロッケそばを頼むようになった。

(もう1回は、ちくわ天そばか、かき揚げ天そば)

 

コロッケそばって、立食いそば屋にしか置いてないなぁ。

ふつうのそば屋でコロッケそばのメニューを見たことがない。

なぜだろう?

コロッケそばをバカにしてんのか“笑”?

 

いま書きながら気づいたのだが、わたしはどんな高級なそば屋よりも、じつは立食いそば屋の方が好きみたいだ。

神田藪蕎麦のクソ高い天ぷらそばより、小諸そばとかで食べるかき揚げ天そばの方が、食べたあとの満足度が高い。

なぜだろう?

根が貧乏人ってことですかね。

 

コロッケそばが関東にあって関西にないのは、ツユの濃さと関係しているのだろう。

関東の濃いツユあってこそのコロッケそばのような気がする。

試しに、関西風の薄味うどんにコロッケを乗せて食べてみたことがあるが、イマイチだった。

薄味のツユの中でコロッケがぐずぐずに崩れても、あまり美味しくないのだ。

ツユがコロッケの油っぽさに負けてしまうと言うか…。

なので、当分の間は(おそらくは未来永劫)コロッケ蕎麦が関西のおそば屋さんのメニューに載ることはないと思う。

 

なんだか、まとまりのない文章だな。

コロッケそばだけに、ぐずぐずに崩れたと言うことで(うまくない)。

 

 

▶サタジット・レイ監督の『大樹のうた』(1958)を観る。

オプー3部作の完結編。

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大学を卒業して都会で独り暮らしのオプー。

良い職にはつけず、かなりの貧乏暮し。

そこへ学生時代の友人が訪ねてきて、俺の田舎に遊びに来いと言う。

友人の誘いにのって旅に出るオプー。

辿り着いた友人の実家では、妹の結婚式が行われようとしていた。

が、やって来た新郎は明らかに気のふれた男で、それを見た母親は怒り出し「こんな男のところに娘を嫁がせるわけにはいかない!」と、娘の結婚式をとりやめる騒ぎに。

予定していた結婚式をとりやめると、その家族には呪いがかかるという言い伝えがあるらしく、集まっていた一族は頭を抱える。

そこで偶然居合わせたオプーに注目が集まり、友人から「花婿になってくれないか?」と突然のオファー(インド、めちゃくちゃやな“笑”)。

悩んだ末に花婿になるオプー(引き受けるんかい!)。

 

美人で可愛い妻を連れて都会に戻って来たオプー。

ままごとのような新婚生活。

自分の生活力の無さに嫌気がさしているオプーだったが、しっかりとやることはやっているので、新妻は妊娠する。

男の子が誕生するが、その出産により愛した妻が死んでしまう…。

悲嘆にくれ、何も手に着かない日々をおくることになるオプー。

オプーよ、売れない小説を書いたり、下手くそな笛を吹いたりしている暇があったら、マジで厄払いに行った方が良いぞ。

 

しかし、オプーは、生まれて来た我が子を愛することができない。

この子のせいで妻が死んだのかと思うと、どうしても愛することができないのだ。

5年もの間、いちども我が子の顔を見ることなく、オプーは哀しみを抱えたまま孤独に過ごす。

 

祖父の元で寂しく暮らす我が子を突然訪ねるオプー(けっこう勝手な奴)。

「おまえの父だ」と名乗るのだが、子供はなついてくれない(石を投げられる始末)。

まあ、自業自得である。

おもちゃを買ってあげたり、お話をしたりと、いろいろ試すが子供は心を開いてくれない。

諦めて子供の元を去ろうとするオプーだったが、振り向くと我が子がついてきている。

このあたり、ちょっと「ペーパームーン」な感じで良い。

カルカッタに行けば父さんに会える?」

「会えるとも」

「おじさんは誰?」(まだ父とは認めていない)

「…君の友達だ…」

我が子を抱き上げ、歩き出すオプー。

 

巨匠サトジット・レイ監督は、シリーズ1作目「大地のうた」の崇高さはどこへやら、ここではこれでもかとメロドラマを描いてみせる。

2作目の「大河のうた」がヒットしなかったので、「わかりました!売れ線で行けば良いんでしょ!」と逆ギレした可能性もあるな“笑”。

メロドラマに寄せた分わかりやすく、それなりに面白くなっている。

3部作のシメとしては良いのではないか。

映画史に残る傑作の「大地のうた」と比べるのは酷かな。

 

ありふれた日常 #3 / ため息が出るほど面白い

 

▶朝5時過ぎ、雨の音で目が覚める。

また台風来てる。

少し激しめの雨音を聞きながら、コンビニの不味いアンパン(5個で1パックの小さいやつ)を1個かじりながら、苦くて美味しい珈琲を飲む。

雨なので散歩には出ない。

と言うか、もともと出不精のインドア派なので、散歩は嫌い。

“健康のためには歩かなければ!”と言う強迫観念で散歩してるだけなので、雨だと助かる。

 

 

蓮實重彦の『ショットとは何か』(講談社)を舐めるように読む。

 

雑誌「群像」の編集者の質問に答える形になっており、蓮實重彦ファンにはお馴染みの凝ったレトリックの文章ではないので、ひじょうにわかりやすい。

気になるところに付箋を貼りながら読んでいたら、付箋だらけになってしまったので、途中でやめる。

まだ半分しか読んでいないのだが、ため息が出るほど面白い。

 

君の名は。』も評判がよいようですが、わたくしは、アニメは原則として映画の範疇に加えていません。あれは映画によく似た何ものかではあると思いますが、よく似ているという点で、映画とは本質的に異なる何ものかなのです。ですから、『君の名は。』は見ていませんし、見る気もありません。アニメに興味を惹かれたことはありますが、真の意味で感動したことは一度もない。それは、いま、生きている被写体を撮っていることの緊張感というものが、アニメの画面に欠けているからです。

 

自分が薄っすらと感じていたことを、こういう風に言葉にしてもらうと嬉しい。

アニメは嫌いではないが、あれを映画として語るひとたちに対して、わたしは少し違和感を持っているのである。

まあ、古臭い映画が好きな、古臭い爺さんですよ、わたしは。

 

 

▶妻が起きてきたので、一緒に朝食。

いつものように妻はトースト、わたしは蕎麦。

わたしはうどん県の出身なので、基本うどんが好きなのだが、40年の東京暮らしですっかり蕎麦派になってしまった。

まあ、東京で美味しいうどんを食べたことがないと言うのも、わたしが蕎麦派になった原因のひとつなのだが。

どうも東京のひとは、“コシのあるうどん”と“麺がかたいうどん”の区別があまりついてないような気がする。

テレビで紹介されたうどん屋にワクワクしながら行ってみたりもしたが、たいてい“コシのあるうどん”ではなく、“たんに麺がかたいうどん”だった。

ただ、こういうことは同郷のひと以外に話しても通じることはなく、言えば言うほどウザくなるので、今ではひとに「うどんのコシの強さとかたさは違うんだ!」と強く主張することはなくなった。

 

 

▶久しぶりにトム・クルーズの笑顔が見たくなり、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014)を観る。

 

近未来SF。

侵略エイリアンものにタイムループの要素をプラス。

なんども殺されるトム・クルーズも素敵だが、なんと言ってもラストの笑顔一発が最高すぎる。

破壊力抜群。

トム・クルーズはアクションよりもスマイルなんよ(テキトー)。

 

 

▶昼食。

妻は、本日アマゾンより届いた「青酎」なる焼酎を飲みながら。

 

東京都の青ヶ島八丈島よりずっと南)で作られている焼酎で、いちじは“幻の焼酎”と言われていたらしい。

妻によると、「何かが壁となって、その向こうにある芋の香りがガツンと響いて来ない。良く言えばまろやか。でもわたしは、もっとガツンとした奴が好み」だそうだ。

調べたら、青酎にはいろいろ種類があって、妻が好みそうなやつもある。

こんど竹芝にあるアンテナショップに行くことになった。

わたしは下戸なんだが…“笑”。

 

 

▶少し昼寝をしてから競馬。

中山と中京のメインだけやる。

相変わらず当たらんなぁ…。

中山は惜しかったのだが…まあ、すべて言い訳になる。

明日頑張ろう。

 

 

▶リゾ(Lizzo)のニュー・アルバム『Special』(2022)を聴く。

これは売れる。

こんどこそグラミー賞受賞かな。

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PVも面白いなあ…。

 

ありふれた日常 #2 ご隠居っぽい感想を呟く夜

 

▶朝4時半に目が覚める。

まだ眠いのだが、いちど目が覚めてしまうと再び眠るのはなかなかむつしいので、しかたなく起きる。

キッチンで少し硬くなった大福を食べながら、苦い珈琲を飲む。

アート・ペッパーの『Art Pepper Meets The Rhythm Section』(1957)を聴きながら読書。

 

20歳頃、毎日聴いていたアルバムで、当時は次にどんな音が来るかまでわかっていた。

いまは次に何の曲が来るかすら忘れている。

 

 

ミック・ジャクソンの短編集『10の奇妙な話』(東京創元社)を読み終わる。

 

タイトル通り、奇妙な話が10編収録された短編集。

好きだわ~こういうの。

どの話も、予定調和なハッピーエンドではなく、かと言って落ち込むほどのバッドエンドでもない。

 

 

▶妻が起きてきたので、一緒に朝食。

いつもは蕎麦を食べるが、今朝は妻に合わせてトースト。

なにやら特製のフルーツ・ジャム(コンフィチュールと言うのか?)をトーストに塗る。

「すっごく高いジャムだから」と脅かされながら食べる。

まあ、たしかに美味い。

 

 

▶サタジット・レイ監督の『大河のうた』(1956)を観る。

 

『大地のうた』(1958)の続編。

主人公オプーの少年時代から大学を卒業するまでが描かれる。

前作に比べるとかなり俗っぽい。

映画史に残る傑作『大地のうた』に漂っていた緊張感があまり感じられない。

ただ、ストーリーはわかりやすい。

田舎暮らしを捨て都会(バラナシ)に出た一家。

そのバラナシで父親が死に、暮らしに困った母は伯父を頼って再び田舎へ移る。

学校に通い始めたオプーは、その優秀さを認められて都会(ムンバイ)の大学へ。

都会で、貧しいながらも自由な学生生活を送っていたオプーの元に、母親が病に倒れたとの連絡が入る。

急いで帰ったオプーだったが、母親はすでに亡く、泣き崩れるオプー。

田舎に残れと言う伯父に別れを告げ、再び都会に出て行くオプー。

主人公の反抗期とか、息子に去られた母親の寂しさとか、ベタな描写が続く。

途中で少し飽きた。

 

 

▶夜、うなぎが食べたくなったが、外に出るのも億劫なので、UberEatsなるものを初めて使ってみた。

浅草の店を選んで注文。

自分が頼んだうなぎが、いまどの地点を移動しているのかがアプリ上の地図に表示される。

ライブ感があって、これはなかなか楽しい。

うなぎも美味しかった。

便利な世の中になりましたナと、ご隠居っぽい感想を呟く夜。

 

ありふれた日常 #1

▶朝、かなり早くに目が覚めてしまい、それから眠れなくなってしまったので、妻を起こさぬようにそっと散歩に出る。

途中、楽しそうに散歩している犬(ジャック・ラッセル・テリア)と出会い、案の定二度見される。

わたしはかなりの頻度で散歩中の犬に二度見される。

多くの犬が、チラッとこちらを見たあと、「えっ!?」と言った感じで立ち止まってわたしを凝視してくるのである。

ワン!と一声吼えられることもある。

二度見してくる犬は、なぜかテリアやチワワのような小型犬が多い。

なぜ犬に凝視されるのかは、よくわからない。

わたしの背後に何か良からぬものが見えているのかも知れない。

さいきんでは、わたしも睨み返してやるのだが、先に視線をはずすのは決まってわたしの方だ。

 

 

▶児童公園のベンチに座り、『映画を早送りで観る人たち / 稲田豊史』(光文社新書)を読む。

 

よーするに、いまの人たちは、映画を“体験(あるいは経験)”としてではなく、“情報として処理”していると言うことなのだろう。

情報として受け取るなら効率よく受け取ろうとするのは理屈にあっている。

ひとが、どういう風に映画を観ようと勝手ではあるのだが、しかし、なんだかなぁ…という感じはある。

たとえば『ゴッドファーザー』を2倍速で観て、はたしてそれは正しく“観た”と言えるのか?

あるいは『ラ・ラ・ランド』のあらすじだけを読んで、それで面白さを理解したと言えるのか?

いまや1950年代から70年代あたりの映画にしか興味のないわたしにとって、この先の映画や映画の観方がどのように変化しようと知ったことではないのだが、それでも何だかもやもやした気分になってしまう。

映画を2倍速で観たり、ファスト映画で満足したりしている人たちに、「そんな観方は正しくないぞ!」と説教したい気持ちも少しはある。

が、説教するってぶっちゃけ快楽、酒の肴にすりゃもう傑作、なわけで、もやもやを抱え込んだまま黙ってるしかないのかも知れない。

 

 

▶散歩から帰ると、妻が起きてトーストを焼いていた。

わたしは朝は蕎麦と決めているので、トーストは妻の分である。

自分で蕎麦を半束茹で(一束では多すぎる)、妻が観ているYouTube動画を一緒に観ながら朝食。

わたしは、Youtube動画は競馬と音楽関係しか見ないので、妻の見ている動画はけっこう新鮮である。

しかも15歳の年齢さがあるので、これのどこが面白いんだ?と言う動画に出会い、ときどき頭がくらくらするのである。

 

 

▶食事をするとかならず眠くなる。

さからわずに寝ることにしている。

 

 

▶起きて、昼まで読書。

本に対する集中力は20代の頃を1万スカウターとすると、現在はわずかに10スカウターくらいなので、ページはなかなかはかどらない。

さいきんお気に入りの Marcin Wasilewski Trio を聴きながら。

En attendant

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去年発表された最新作。

良いですね。

レーベルはECMである。

けっきょく、わたしの中では“ECMしか勝たん”ってことなのかも知れない。

 


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▶ぼんやりしているうちに(老人はよくぼんやりする)、夕食の時間。

今夜は親子丼。

わたしは丼ものが苦手で、牛丼より牛皿(牛丼の上の部分が別皿になっている)、天丼よりも天ぷら定食、海鮮丼よりも刺身定食、カレーもルーが別の容器に入ってるタイプが好き。

白ご飯が汚れるのが嫌なのである。

餃子のバウンド食いなどもってのほかである。

が、親子丼だけはなぜか大丈夫。

不思議。

 

 

▶食後、映画を観る。

Netflixオリジナルの『グレイマン』。


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映画のアクション・シーンが小説のアクション・シーンに負けている。

原作者マーク・グリーニーの凄さを再認識した。

レイマン・シリーズには、主人公コート・ジェントリー(グレイマン)と恋仲になる美貌のロシア工作員が出てくるのだが、この映画には出てこない。

続編に温存したな。

すでに続編とスピンオフの制作決定が発表されているが、それより、シャーリーズ・セロン姐さん主演の『オールド・ガード』の続編を早く作ってくれ。

 

 

▶週末の競馬予想をしていたら眠気に襲われてしまう。

抵抗せずに寝ることにするが、明日また変な時間に目が覚めてしまうのだろうなぁ…。