タイトル :天井から降る哀しい音
著者 : 耕治人(こうはると)
収録短篇集:『一条の光・天井から降る哀しい音』
「天井から降る哀しい音」「どんなご縁で」「そうかもしれない」の3作をあわせて、のちに「命終三部作」と呼ばれることになる。
三作とも、耕治人の晩年に、命を削るようにして書かれた落涙必至の名作。
文学好きでなければ知らないような、地味な作家だった耕治人は、この3部作によって、死後ささやかな注目を浴びることになる。きっかけは、NHKが耕治人の死後に放映したドキュメンタリー番組「ある老作家夫婦の愛と死」。耕治人夫婦の人生を丁寧に追った番組は評判を呼び、のちに「命終三部作」は映画化もされた。
(番組中、耕治人のことを聞かれた武者小路実篤夫人が、「そんな人、知らないね!」と吐き捨てるように言う場面にびっくりした覚えがある)
では、あらすじを。
★★★
家内が八百屋や魚屋などで買ったものを忘れるようになったのは、去年の春あたりからで、はじめのうちは忘れたのを認めようとせず、「八百屋の奥さんがほかのお客と話していて、あたしに渡すのを忘れたのよ」とか「魚屋の奥さんが包むのを忘れたんだわ」などといい、急いで取りにいった。そんな家内の後姿は痩せ、しぼんで映った。
やがて妻は、鍋を焦がし始める。
いくつも真っ黒に焦がし、それを夫がゴミ袋に入れて捨てる日々…。
台所では包丁を使う音がした。水を流す音もした。(中略)そのとき、異様な臭いがあたりに流れてきたのを感じた。
急いで台所にゆくと、鍋はジリジリと怒ったような音を立てている。わきに家内が立っている。
「早くガスを消しなさい。なにしてるんだ」
家内はニコニコしている。私は不気味になり、あわてて、ガスを止めた。
50余年連れ添った妻が、徐々に呆けていく…。
夫には為すすべがない。自分をなくしていく妻をただ見守るしかない。
ある夜、夫は、妻がベッドから落ちる音で目が覚める。
夫は、なんとか妻を起こそうとするが、重くて抱き上げられない。妻に起きる気持ちがないのだ。
二、三度こころみたあと、どうしたらよいか寝間着の裾の方をぼんやりと見ていると、静かに流れ出、畳を這い、溜りを作った。
呆然と見ていたが、これも五十年、ひたすら私のために働いた結果だ。そう思うと、小水が清い小川のように映った。
「起きなさい。いま体を拭いてあげるからね」
(中略)
手拭いをしぼり、家内の腰から脚の爪先まで拭きはじめた。家内はその私を見ていたが、
「どんなご縁で、あなたにこんなことを」と呟いた。
老々介護の難しさを悟った夫は(夫も妻も80歳を過ぎているのである)、妻を老人ホームに入れることにする。
そして自分は、癌のために入院。愛する妻とは離ればなれとなる…。
★★★
◆収録短編集 『一条の光・天井から降る哀しい音』 について
表題作のほか、「詩人に死が訪れるとき」「この世に招かれてきた客」「どんなご縁で」「そうかもしれない」の全6編。いずれも耕治人の代表作を収録。
★★★
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◇『そうかもしれない』
2005年に制作された日本映画。
木山捷平の「去年今年」、尾崎一雄の「蜂と老人」、藤枝静男の「虚懐」など、老年をテーマにした作品9編を収録。作品のほとんどが私小説なのがじつに日本的。読んでいるうちに、気のせいか、少し背中が曲がって来る感じがする。
還暦間近の夫婦に92歳の父と87歳の母を介護する日が訪れる。壮絶な老親介護を描いた傑作。ラストに救いはあるものの、やはり読後感は重い。