タイトル :僕とタンゴを踊ってくれたら
著者 : 内田洋子
収録短篇集 : 『ジーノの家』
出版社 : 文藝春秋
著者は、イタリア在住30年のジャーナリスト。これは、小説ではなく随筆。事実は小説より奇なりの見本のようなお話しである。
では、あらすじを。
★★★
初夏のある日、著者は、女友達ヴェルディアーナの運転する車で喧騒のミラノを離れて郊外へ向かっている。ヴェルディアーナは、イタリアでも有名なコピーライターで、この日は彼女にダンスに誘われたのである。
といっても、行き先は市内のクラブではなく、田舎のダンスホールだという。ミラノから南東に下って六十キロほどのところに、ピアチェンツァという町がある。そこからさらに郊外の丘陵地帯にダンスホールはあるらしい。
(中略)
車が停まったのは、広大な農地のど真ん中だった。ダンスホールは、と見回すが、建物などどこにもない。あるのは、どこまでも続く農地だけ。
すでに村人が大勢集まり、仮設の厨房では、老いも若きも懸命にいろいろな作業をしている。今日は村の祭りなのである。
大量のパスタや揚げ物など様々な料理が出来上がっていく厨房の前には、四人がけのベンチとテーブルがどんどん運び込まれて、ちょっとした野外食堂が出現する。座席数はざっと五百あまり。その向こうに、板敷きの空間が作られている。そこが、今晩のダンスホールなのだった。
やがて、アコーディオンや打楽器を抱えたバンド陣が、すこし調子はずれの音楽を奏でだすと、着飾った村人たちが次々にステージにあがって踊り出す。
トリでは、女友達のヴェルディアーナがタンゴを踊る。別人のように変身したヴェルディアーナは、とても58歳には見えない。
その晩、そこで目にした光景は、過去に見たどんな映画のシーンよりも劇的で不思議なものだった。私は、自分がもしかしたらワインに酔って眠ってしまい夢でも見ているのではないか、と何度も自分で顔を叩いたりつねったりしたくらいである。
すてきな男女の出会いと(主人公はヴェルディアーナだ)、かつて神父だった男の、驚きの人生が語られる。
読んでいる間ずっと、頭の中ではタンゴやポルカ、チャチャなどのダンスのリズムが鳴り続ける。エッセイではあるけれど、読後感は良くできた短篇小説を読み終わったときのそれに近い(ラストの一行が素晴らしい)。
★★★
◆収録エッセイ集『ジーノの家 イタリア10景』 について
2011年の日本エッセイストクラブ賞を受賞している。
「黒いミラノ」「リグリアで北斎に会う」「僕とタンゴを踊ってくれたら」「黒猫クラブ」「ジーノの家」「犬の身代金」「サボテンに恋して」「初めてで最後のコーヒー」「私がボッジに住んだ訳」「船との別れ」の10篇を収録。
この人の視線は常に外に向けられている。イタリアの人と街を見ている。出身がジャーナリストだからだろうか(そこが同じくイタリアの生活を書いた須賀敦子との違いかもしれない)。そのせいか、文章は明るく軽やかで、とても読みやすいのだ。
◆こちらもおすすめ
「ミラノで買った箱」「ヴェルディアーナが守りたかったもの」「鉄道員オズワルド」「六階の足音」「ロシア皇女とバレエダンサー」「ブルーノが見た夢」「鏡の中のナポリ」「祝宴は田舎で」「海の狼」「シチリアの月と花嫁」の全10篇を収録したエッセイ集。
「ヴェルディアーナが守りたかったもの」「シチリアの月と花嫁」は、それぞれ、前作『ジーノの家』に収められていた「僕とタンゴを踊ってくれたら」と「サボテンに恋して」の後日談である。
「鉄道員オズワルド」(これは泣ける話し)にも、「リグリアで北斎に会う」に出てきた老画家が登場する。
先に、『ジーノの家』を読んでから読むと、懐かしい友人の消息をきいたときのような気分になる。
イタリア滞在記の名作。
優れた随筆集であると同時に、優れたガイドブックでもあるという稀有な本。
1986年から3年間の、ヨーロッパ滞在記。舞台は、主にイタリアとギリシャ。
この3年間に「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」が書かれている。
イタリア紀行本の古典。いま読んでも十分面白い。