単純な生活

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本の本 #2 / ブログに役立つ文章読本

ブログ作成に役立つ(であろう)「文章読本」を6冊紹介。

最後の1冊は、かなり曲者だが…。

 

 

01. 『日本語の作文技術 / 本田勝一』(朝日新聞出版)

【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)

【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)

 

 文章を書くうえでの基本のキは、この本ですべて学べる。

「修飾語の順序」「句読点のうちかた」「助詞の使い方」、この3つの章を読んで実践するだけでも文章力は格段にアップするはず。

初版が出たのが1980年代初頭だが、内容はまったく古びていない。

 

 

 

02. 『論文の書き方 / 清水幾太郎』(岩波書店 / 新書)

論文の書き方 (岩波新書)

論文の書き方 (岩波新書)

 

 文章読本の名著のひとつ。

「論文の書き方」となっているが、いわゆる論文だけではなく、フィクション以外の文章の書き方を、著者の経験を交えながら説明していく。

タイトルのかたさとは違って、語り口は意外に柔らかく読みやすい。

 

 

03. 『知的生産の技術 / 梅棹忠夫』(岩波書店 / 新書)

知的生産の技術 (岩波新書)

知的生産の技術 (岩波新書)

 

 これも名著。

文章を書く以前の、発想とそのまとめ方について詳しく論じている。

著者は、発想(思いついたこと)を書きとめてまとめるのにカードを使っているが、いまならスマホで代用できるかも知れない。

古い本だが(初版が1969年)、ここに書かれている方法は今でも十分通用する。

 

 

04. 『図で考えれば文章がうまくなる / 久恒啓一』(PHP

図で考えれば文章がうまくなる (PHP文庫 ひ 31-1)

図で考えれば文章がうまくなる (PHP文庫 ひ 31-1)

 

 上記の3冊を読むのが面倒くさい人は、これ1冊読めば事足りる。

第1章で、文章読本の名著たち(「文章読本 / 谷崎潤一郎」「論文の書き方 / 清水幾太郎」「理科系の作文技術 / 木下惟雄」「日本語の作文技術 / 本田勝一」「超文章法 / 野口悠起雄」の5冊)の勘所をすべて図解入りで説明している。ひじょうにわかりやすい。

 

さらに第2章では、“文章の技術よりも先に学ぶべきこと”として、梅棹忠夫の『知的生産の技術』が取り上げられている。図解で詳しく解説されているので、『知的生産の技術』そのものを読むよりわかりやすい。

 

第3章以降が、著者の主張である「図解文章法」の解説となる。

 

文章が苦手な人は多いと思います。

 (中略)

 しかし文章書きが苦手な人にも、この図解文章法は光明をもたらすでしょう。文章を書くのは苦手でも、図解文章法ではすらすらと書けるという体験をすることになり、驚くことでしょう。パズルをつなげるように単語を並べ、自分の考えを足していくと、あっという間にたくさんの文章が書けるのです。おもしろいくらいにペンが動いて文章自体がうまくなったような気がするでしょう。 ~p.121

 

凄いことを軽くおしゃってますが、大丈夫でしょうか(笑)?

 

 

05. 『800字を書く力 / 鈴木信一』(祥伝社 / 新書)

800字を書く力 (祥伝社新書)

800字を書く力 (祥伝社新書)

 

この本で読むべきは、第4章の「“書ける”ようになるための読み方」である。

 

《昨日は一週間ぶりに晴れた。僕は友人と一日中外で遊び回った。夜になって発熱した。》

 

 何が書かれてありましたか。いや、ずばり聞きましょう。「僕」が「一日中外で遊び回った」のはなぜですか。

 “昨日は待ちに待った晴れの日だったから、うれしくて遊んでしまったわけでしょ?”

 たとえばこんなふうにすぐに答えられた人は、読めた人です。言われてなるほどと思った人は、読めなかった人です。

 (中略)

 読めた人と読めなかった人では、何が違ったのでしょう。

 読めた人は、事柄よりも、それがどういう論理で結ばれているかに関心が向いたのです。「晴れた」や「遊び回った」ではなく、「一週間ぶり」や「一日中」に重きを置いた。つまり、読める人というのは、文と文をつなぐ言葉を補う癖がついているのです。

 

 《昨日は、一週間ぶりに晴れた。(だから、うれしくて)僕は友人と一日中外で遊び回った。(しかし、それがたたったのか)夜になって発熱した。》

 

 一方、読めない人というのは、事柄だけが了解されればそれでよしとします。「晴れた」「遊び回った」「発熱した」という情報だけを、漠然と頭に放り込む。それで読んだことにしてしまうわけです。 ~p.138, 139

 

「文章がうまく書けるようになるためには、名文をたくさん読め」というのは昔から言われてきたことだが、いくら名文を読んでも、それが本当の意味で読めてない場合は無駄な努力だと言うことだね(まったく無駄ってわけでもないだろうが)。

 読むことが無駄な努力にならないための読み方を、詳しく解説している。

 

 

06. 『文章読本さん江 / 斎藤美奈子』(筑摩書房 / 文庫)

文章読本さん江 (ちくま文庫)

文章読本さん江 (ちくま文庫)

 

 凄い本である。

いわゆる「文章読本」と言われる類の本の、ほぼすべてのことが詳しく分析されている。高橋源一郎が、この本によって《わが国におけるすべての「文章読本」はその息の根を止められたのである。》と評しているが、まったくその通りである。

 

なので、この『文章読本さん江』は、有名な(有名でなくても良いが)文章読本を何冊か読んでから読む方が良い。いきなりこの本から読んでしまうと、それで終わってしまう。

 

殊勝な態度で文章読本を読んでいた時期が、かつては私にもありました。

それがいつ、どんな事情で「もう降りた」になったのか、具体的には思い出せません。(中略)いずれにしても、いまの私は「上手な文章」などには何の興味も未練もなく、おかげで文章読本も無責任な野次馬の立場で鑑賞できるようになりました。外野席から眺めると、ありがたいはずの文章作法が、あら不思議、滑稽なドタバタ喜劇に見えてくる。名文家をめざすみなさまには、くれぐれも私の轍は踏まないようにと注意を促しておきましょう。 ~『文章読本さん江』あとがき

 

いくら著者から注意を促されても、やはり、この本を読む前と後とでは文章読本を読む目線が変わってくるのである。文章読本に対して妙な余裕ができるというか。「ふふ。こんどはどんな手でくるのかな?」みたいな。すっかりすれっからしの気分。

もんだいなのは、文章読本を読むことにすれっからしになったとしても、文章はまったく上手くなってないってことなのだ。

なのに、なんなのこの余裕…。まったく罪作りな本なのである。が、めちゃくちゃ面白い。