単純な生活 / 気がつけば本を読んでいる

読書日記、ときどきブックガイド、的な。

本の本 #3 / 読書エッセイ Part 1

 

本、あるいは読書に関するエッセイ集を紹介する。

Part 1ってことは、とうぜんPart 2もあるわけである。いつアップするかは未定だが。

 

 

01. 『人の読まない本を読む / 山下武』(本の友社)

人の読まない本を読む―赤耀館読書漫録

人の読まない本を読む―赤耀館読書漫録

 

 書評専門紙「週刊読書人」に連載されていたコラムをまとめたもの。

 「人の読まない本を読む」というタイトルが良い。このままブログのタイトルに使えそうだ。まんまパクるのはまずいだろうから少し変えて、「人の読まない本はボクも読まない」とか。

 それにしても、知らない名前がたくさん出てきて、読んでいるうちに頭がくらくらしてくる。土田杏村とか中山呑海とか、どこの誰だよ。

 

 こういうコラムを書く人は、たいてい古書好きで(と言うか、読みたい本が古本でしか売ってなかったりするわけで)、古書店から送られてくる即売会の目録をよく読んでいるし、古書店巡りも日常生活のルーティンワークのひとつになっている。じつを言うと、わたしは20歳の頃から約20年間、都内の某古書店で働いていたので、この手の人には、ふつうの人よりは少し詳しい。はっきり書くけど、ちょっと気持ち悪いです(笑)。

 

 で、そんな本オタクが書いた本が面白いかと言うと、これがめちゃくちゃ面白い。ところどころに辛気臭い文章が現れるが(例 : 「それにつけても、いかにも貧相なのがこの国のエンターテインメントだ。『レ・ミゼラブル』や『永遠の都』と比較できるような作品がただの一つでもあるだろうか?)、そういうときは、うっせーよジジイ、と心のなかで突っ込みをいれて読み進めればよろしいのだ。

 

 

 

02. 『岩波文庫赤帯を読む / 門谷健蔵』(青弓社

岩波文庫の赤帯を読む

岩波文庫の赤帯を読む

 

 この本も、まずタイトルが素晴らしい。これ以上のものは、ちょっと思いつかない。“簡にして要を得る”の見本のようなタイトルである。

著者略歴には、1940年群馬県生まれで、東京工業大学理工学部卒業とあり、それ以外の情報はない。言わば、ただの市井の人である。その普通のひとが、普通ではないことに挑み、見事に成功した記録がこの本なのだ。

 

岩波文庫は、外国文学、日本文学、哲学思想、政治経済などのジャンルごとに帯の色が違う。赤帯は外国文学を示す。

著者は、この赤帯の全点読破を目指す。そして、約15カ月で見事に成し遂げている。

 

本の記述は、全点読破するぜ!と言うような気負いもなく、全点読破したもんね!と言うような自慢気な雰囲気もなく、じつに淡々と書かれている。行間には上品なユーモアさえ漂っており、退屈することなく読み切ってしまう。

そして、読み終わったあとに誰もが思うのである。なんと羨ましい読書人生であろうかと。

 

 

03. 『偏愛蔵書室 / 諏訪哲史』(国書刊行会

偏愛蔵書室

偏愛蔵書室

 

 あたまに「偏愛」とつけるだけあって、かなりマニアックなブックエッセイである。

取り上げている本の書名をいくつか並べると…「チャンドス卿の手紙 / ホフマンスタール」「赤色エレジー / 林静一」「肉桂色の店 / シュルツ」「闇のなかの黒い馬 / 埴谷雄高」「怪談 人間時計 / 徳南晴一郎」「猫城記 / 老舎」「夜の果ての旅 / セリーヌ」……ううむ。なかなかの変態ぶり。

 

著者は、2007年に『アサッテの人』で芥川賞を受賞。大学生の頃、ドイツ文学者の種村季弘に師事(!)。筋金入りの変態ってことだねぇ。おらぁ、わくわくすっぞ。

驚くのは、このエッセイ集が新聞の連載をまとめたものだってことだ(中日新聞の火曜日朝刊に4年2カ月にわたって連載)。すごいな中日新聞

 

で、内容はと言うと…

 

 奇書が真に奇書たりうるには、作者の妄念の過剰さで物語全体の均整が損なわれ、部分肥大や竜頭蛇尾、中絶等により、およそ作品としての体をなさぬ不謹慎な代物であることが要件となる。奇書は別段傑作である必要さえなく、むしろ驚異的な欠陥品であればあるほどそれはいよいよ奇書としての名を高からしめる。 ~「家畜人ヤプー / 沼正三」の項

 

 世界は完全な「真なるもの」に統治されているという西洋形而上学の理想論に逆らい、世界が不完全な「贋(にせ)なるもの」の相の下に横たわっていると観る愚神創世説(グノーシス)的思想のあべこべ性こそ、今は亡きわが恩師、種村季弘の世界観であった。 ~『怪物の解剖学 / 種村季弘』の項

 

 これまでさまざまな会見、聴取の場で僕は、判で押したように、古今東西もっとも優れた文学作品はマルセル・プルーストの巨編『失われた時を求めて』だと回答しているが、実は、これに拮抗しうると密かに思う傑作が、この日本に存在する。

 それは文庫本でわずか七頁半、三十一歳で逝った梶井基次郎の掌編「檸檬」である。この絵葉書のように小さな作品が、あのプルーストの大伽藍を一方に載せた不可能の天秤を釣り合わせる。これは、まぎれもなく、奇蹟の小説である。 ~『檸檬 / 梶井基次郎』の項

 

いずれも冒頭の部分である。

こんな書き出しで始まるエッセイを、月2回朝刊で読めるなんて、日本もまだまだすてたもんじゃないのだ。

 

 

04. 『第2図書係補佐 / 又吉直樹』(幻冬舎 / 文庫)

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)

 

 今や芥川賞作家先生となった著者が、まだ作家ではなかった頃のエッセイ集。

いやあ、巧いですね。

 

取り上げた本とはまったく別の話題をずっと続けて、最後にアクロバットのように目標の本に着地させる(読書エッセイの常套手段ではあるが)。

たとえば、『尾崎放哉全句集』では、思春期の頃に、やり場のない暗い思いを書き綴ったノートのことを長く語ったあとに、

 

 それ以降も、どうしようもない感情や、何故か切り取って保存したくなる風景などをノートに書き留めるようにしていた。だが、そのノートに書かれた言葉達はなかなか日の目を見る機会に恵まれなかった。それでも、書く行為は続けていた。

 そんな時に尾崎放哉の自由律俳句に出会った。

 

 咳をしても一人

 墓の裏にまわる

 

 あった、あったと思った。あいつらの居場所があったぞと思った。

 

最後の数行で『尾崎放哉全句集』の魅力がポンと前に出てくる。

 

 

05. 『鞄に本だけつめこんで / 群ようこ』(新潮社 / 文庫)

鞄に本だけつめこんで (新潮文庫)

鞄に本だけつめこんで (新潮文庫)

 

幸田文の『父・こんなこと』から林芙美子の『放浪記』まで、ぜんぶで24冊の本をネタにした正統かつ上質の読書エッセイ集。

各章のタイトルは、「父親は、なぜか、どうも恥ずかしい」「かわいい家族、猫」「不良になりたい」「自分の顔を見るのが怖い」「料理は苦手」「原稿を書くのは楽しいか」など……。群ようこは24冊の本を紹介しつつ、自分の人生と生活の周辺を語る。いかにも“半径500メートルの日常”を書く作家のエッセイ集である。

 

私の父親タケシは売れない絵描きであった。日がな一日家の中でゴロゴロしていた。私が朝学校へ行くときは寝ていて、帰ってくるとボーッと昼の名画座を観ている。そしてそれが終わると近所に散歩に出かけ、夕食をたべ風呂に入って寝るというこのパターンを毎日くりかえしていた。売れない絵描きというより、立派な失業者であった。 ~「父・こんなこと / 幸田文」の項

 

 

 私は大学一年まで、デートという言葉とは全く無関係な学生生活を送っていた。何かのたたりとしか思えないほど男にモテなかった。高校時代、意を決してこれぞと思った男の子にジリジリとにじり寄っていっても敵もさるもので、当たらずさわらずソロリソロリと逃げていくという表面的には平穏にみえる追っかけこだった。いつも私は敗れていた。 ~「街のなかの二人 / 山川方夫」の項

 

  私が音楽雑誌の編集をしているころのことであった。原稿を受け取って、私は西新宿の裏道をトボトボと歩いていた。この西新宿の裏道というのは時折不気味な人々が通ったりするので、歩いていても四方八方に目配りしていないと、とんでもないことになる。以前、同じ編集部の若い女の子が原稿をもらってこのへんを歩いていると、中年の男に白昼堂々腰をタックルされて道路に転がされたという出来事があり、それからどういうわけか私がこの地域の担当になったのである。 ~「瘋癲老人日記 / 谷崎潤一郎」の項

 

いずれも冒頭の部分。つかみはOKって感じ。

 

 

06. 『読書で離婚を考えた / 円城塔 + 田辺青蛙』(幻冬舎

読書で離婚を考えた。

読書で離婚を考えた。

 

幻冬舎のHPに連載された夫婦エッセイを書籍化したもの。

表紙をめくると大きな活字で次のような文言が書かれている…。

 

これは、夫婦がお互いを理解するために本を勧めあった格闘の軌跡である

 

 基本となるルールは3つ。

1. 相手に読ませたい本を指定する。

2. 指定された課題図書についてのエッセイを書き、次の課題図書を指定する。

3. 2を繰り返す。

 

最初の1冊は、吉村昭の『羆嵐』。田辺青蛙が選択し、円城塔が読みエッセイを書く(欄外にふたりのコメントが入っており、これも楽しい)。

その後、田辺述『熊が火を発見する / テリー・ビッスン』→ 円城述『VOWやもん / 吉村智明』→ 田辺述『ボビー・コンロイ 死者の国より帰る / ジョー・ヒル』→ 円城述『クージョ / S・キング』…と40回にわたってラリーが続く。

ラリーの早い段階で夫婦仲が険悪になっていってるのがわかる。

 

 ただ、僕の中でこの連載が、「続けるごとにどんどん夫婦仲が悪くなっていく連載」と位置づけられつつあることは確かです。僕の分のエッセイが掲載された日は、明らかに妻の機嫌が悪い。

 「読んだよ」と一文だけメールがきて、そのあと沈黙が続くとかですね。

 どうせ自分は〇〇だから……と言いはじめるとかですね。

 あんなことを書かれると、誰々から何かを言われるから困る、とかですね。

 書いたもののせいで作家同士の関係がどうなっても別に構わないのですが、夫婦関係がこじれるのは嫌です。 ~連載第12回目(円城塔)『黄昏流星群 第27巻 / 弘兼憲史

 

先日お会いした某SF作家さんからハラハラしながら連載を見守っています。夫婦仲は大丈夫なんですか? という質問を受けました。大丈夫ですよね? 違うんですか? どうなんですか? 山は死にますか? 海はどうですか?

 あっ空、青い。 ~連載第13回目(田辺青蛙)『プールの物語 / レム・コールハース

 

なので、取り上げている本よりも、夫婦の関係のほうが気になってしまうのである。

ふたりの夫婦仲を心配しつつ、一気読み必至。よく読むと(笑)当たり前だが、書評のほうもしっかりしている。