単純な生活 / 気がつけば本を読んでいる

読書日記、ときどきブックガイド、的な。

『ユーゴ修道士と本を愛しすぎたクマ』を読む。

 

腹痛で仕事を休む。

連休前日なので、ぜったいズル休みだと思われてるよなあ。

今日休めば4連休だもんなあ。

休む旨をメールで連絡して、しばらくすると腹痛がおさまった。

子供か。

 

 

図書館へ。

難しそうな本を数冊小脇に抱えた中年オヤジが、返却&貸出のカウンターで受付の女の子を怒鳴りつけていた。

女の子は泣きそうになっている。

図書館長が出てきて、ひたすらあやまっている。

どうやら、リクエストしていた本が、図書館側のミスで他館に送られていて、明日でないと届かないということらしい。

まあ、腹が立つのはわかるけど、なにもあんなに怒鳴らなくてもと思う。

 

世間には、本を読まないと人間としてダメみたいな、ゆる~い常識があるが、それはたんなる思い込みである。

いくら本を読んでいてもダメな奴はダメだし、本を1冊も読んでなくても良い人は良い人なのだ。

あたりまえだけど。

本屋を覗くと、読書をして人間性を高めよう的な、あるいは、読書をしないと人間として成長しませんよ的なことを言ってる本が並んでいるが、読書は良い人間になるための必要条件ではないし、もちろん十分条件でもないのだ。

たかが読書に、過剰に期待しすぎだろう。

 

 

午後から、読みかけの本をバックに入れて、ちかくのマクドナルドへ。

久しぶりにフィレオフィッシュを頼んだら、以前食べたものよりかなり劣化していて驚く。

なかに挟んであるスライスチーズが半分にカットしてあるのにはびっくりした。あまりに薄くてチーズの味しないし。

 

 

ケイティ・ビービ(文)、S・D・シンドラー(絵)の『ユーゴ修道士と本を愛しすぎたクマ』(光村教育図書)を読む。

ユーゴ修道士と本を愛しすぎたクマ

ユーゴ修道士と本を愛しすぎたクマ

 

 

中世の修道院を舞台にした絵本である。

修道士のユーゴは、修道院の図書館から借りた聖アウグスティヌスの本を期日までに返すことができなかった。

 

 修道院長は、おいかりに。

「わが修道院に、聖アウグスティヌスのおことばが書かれた本がないとは。ユーゴ修道士、どうして、こんなことに?」

「ああ、修道院長さま、聖アウグスティヌスのおことばは、わたしにはあまいハチミツのようなもの。ですが、どうやら、クマにはさらにあまかったようで」

「なんと、クマとな?」

 

アウグスティヌスの本は、なんとクマに食べられてしまったのだ!

 

 修道院長は、くびをふりふりいった。

「クマの腹のなかの本は、修道士の役にはたたぬ。いますぐ、グランド・シャルトルーズ修道院へおもむいて、聖アウグスティヌスの本をかりだし、すべて書き写すのです。一言一句もらさずに。そして、写本をつくり、わが修道院の図書館におさめること。

 さらに、かりた本はすぐにかえしにいきなさい。

 すべては、四旬節のうちにすませるのです。それがあなたのつぐないです」

 

ユーゴ修道士に残された時間は、わずか40日。

彼は、あとを追ってくるクマをかわしながら、なんとかグランド・シャルトルーズ修道院に辿り着く。

 

ユーゴがわけをはなすと、修道院長はため息をついた。

「もちろん、聖アウグスティヌスの本は、おかししましょう。

 ただ、くれぐれもわすれずに。

 本は人びとの心のかてであって、クマの腹をみたすものではないことを」

 しかし、ユーゴが安心できたのも、ほんのつかのま。

 門のそとでまちかまえる、クマの声がきこえてきた。

 

ユーゴ修道士は、無事に自らの修道院に帰り着き、四旬節のうちに写本を作ることができるのか?

 

中世の修道院で写本作りというと、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』が思い浮かぶが、この『ユーゴ修道士と本を愛しすぎたクマ』の話は、あれよりも奇想天外である。

著者のあとがきによれば、この話は、クリュニー修道院修道院長から、グランド・シャルトルーズ修道院に送られた手紙がヒントになっているとのこと。

 

 修道士たちの敵は、魂をまどわす悪魔だけではなかったようです。ペトルス(クリュニー修道院の院長)はこう書いています。「よろしければ、聖アウグスティヌスの書簡集をお送りください。聖アウグスティヌスが聖ヒエロニムスにだした手紙と、聖ヒエロニムスが聖アウグスティヌスに書いた手紙をふくむ巻です。われわれのその巻の大部分が、クマに食われてしまったのです」

 

本を食べるクマって…?