▶ヘミングウェイの『清潔で明るい場所』を読む。
深夜、閉店まぎわのカフェ。
主な登場人物はわずか3人。
ブランデーを飲みながら、なかなか帰らない常連の老人。
老人が帰ったら店を閉めようと思っている若いウェイター。
まだ店は閉めたくないと思っている、少し年上のウェイター。
この3人だけ。
文庫本で10頁ほど。
描写のほとんどは、ウェイター2人の会話である。
「先週、あの人は自殺しようとしたらしい」
「なんでだ」
「絶望したんだ」
「何に?」
「何かにってわけじゃない」
「何かに絶望したんじゃないってどうして分かるんだ」
「あの人は金をもっている」
事件は何も起きず、したがってここに「お話し」はない。
深夜のカフェでの、1時間にも満たない描写だけである。
しかし、すぐれた写真が一瞬のスナップ・ショットで多くのことを語るように、ヘミングウェイは、驚くほど多くのことを、私たちに伝えてくる。
「もう一杯」老人は言った。
「だめだ、終わり」ウエイターは、テーブルの縁を布巾で拭きながら言った。
老人は立ちあがってゆっくりと皿を数え、ポケットから革の硬貨入れを取りだして飲んだ分を払った。チップを半ペセタ置いた。
ウエイターは老人が通りを去って行くのを黙って眺めていた。老人はとても歳をとっていたし、足許が覚束なかった。しかしどこか毅然としたところがあった。
カトリックの国である。
自殺はけして許されることではない。
自殺を試み、失敗し、それでもなお生き続ける老人の姿…。
読み終わったあと、、3人それぞれの人生と、そこに漂う虚無感がしっかりと心に残る。
ジェイムズ・ジョイスが「完璧」と称賛したのも当然と思える傑作。
▶ケヴィン・スミス監督の『クラークス』を観る。
定点観測映画とでも言うのか、カメラは主人公がバイトするコンビニの中からほとんど動かない。
たまにシーンが変わったと思ったら、隣のレンタル・ビデオ屋である。
で、21歳のダンテ・ヒックスと悪友ランダルの、だらだらとした日常が映し出されるのだ。
いやあ、くだらなくて面白い。
ネタのほとんどが下ネタなんだが。
ケヴィン・スミスの監督デビュー作。
コミック本を売ったお金で作ったらしい(なのでモノクロ)。
シリーズ化されてるようなので、次も観てみよう。
▶ちかくの和菓子屋でマスクを売っている(笑)。
1箱(50枚入り)が3千円。
店頭には「マスクあります!」の幟(のぼり)がはためいている。
繰り返すが、和菓子屋である。
こんなシュールな時代を生きることになろうとは…。