詩集を読んでる人など、ほとんどいない。
なにしろ詩集の初版は、だいたい300~500部前後なのである。
300部って。
卒業文集かよ。
なので、ここで紹介する5冊も手に入るかどうかわからない。
古本屋にもめったに置いてない。
図書館にすら入ってない場合が多い。
でも、とても良い詩集たちなので、なんとか手に入れて読んでほしい。
もしどこかで出会ったら、運命だと思って手に取ってほしい。
そこに書かれている言葉は、かならずあなたの心に届くはずだから。
01. 『キリンの洗濯 / 高橋杞一』(あざみ書房 / 1989)
難しい言葉を使わなくても、日常にある優しい言葉だけで、これほど美しい詩が書けるのである。
朝 / 出かけていくたびに / 自分が / 向こうへずれていく
はるか向こうの端に / 今朝も 何かが乗っている
象か / ワニか / カバか知らないが / 何かが乗って / 少しずつ / 向こうが重くなっていく
毎日 / 少しずつ傾斜が急になっていく
それに / 負けないように / こちらにも / 重い / 象か / ワニか / カバが / わたしは欲しい
~「てこの原理」
木曜は / ゴミの収集日 / 大きなポリ袋に一週間分のゴミをつめ / 朝 出かける時に / もってでる
魚の骨 / 紙くず / 茶がら / ゴハンの残り / いらなくなったものはみんな / この日に捨てる
読み古した本や夢や / 形だけのつながりも……
晴れた日は / ゴミ捨場まで / まっすぐ 青空 / このまま / どこまでも歩いていけそうな / 朝
重いゴミを捨て / 会社に向う
~「ゴミの日」
手に入りやすい高橋杞一の詩集としては、以下がおすすめ。
02. 『貧乏な椅子 / 高橋順子』(花神社)
高橋順子は、1944年生まれの詩人。
2015年に亡くなった、作家・車谷長吉の妻でもあった。
日常のなかに詩を見つけるのが上手な詩人である。
まっ、詩人はみんなそうなのだが。
貧乏好きの男と結婚してしまった / わたしも貧乏が似合う女なのだろう / 働くのをいとう男と女ではないのだが / というよりは それゆえに / 「貧乏」のほうもわたしどもを好いたのであろう / 借家の家賃は男の負担で / 米 肉 菜っ葉 酒その他は女の負担 / 小遣いはそれぞれ自前である / 当初男は毎日芝刈りに行くところがあったので / 定収入のある者が定支出を受け持ったのである / そうこうするうち不景気到来 / 男に自宅待機が命じられ 賃金が八割カットされた / 「便所掃除でもなんでもやりますから / この会社に置いてください」 / と頭を下げたそうな / そうゆうところはえらいとおもう / 家では電灯の紐もひっぱらぬ男なのである / 朝ほの暗い座敷に座って / しんと煙草を喫っているのである / しかし会社の掃除人の職は奪えなかった / さいわい今年になって自宅待機が解除され / 週二日出勤の温情判決が下った / いまは月曜と木曜 男は会社の半地下に与えられた / 椅子に坐りにゆくのである / わたしは校正の仕事のめどがつくと / 神田神保町の地下の喫茶店に 週に一度 / コーヒーを飲みに下りてゆく / 「ひまー、ひまー」 / と女主人は歌うように嘆くのである / 「誰か一人来てから帰る」 / わたしは木の椅子にぼんやり坐って / 待っている / 貧乏退散を待っていないわけではないのだけれど / 何かいいことを待っているわけでもない
~「貧乏な椅子」
袋小路の奥に猫が坐って黒い背を向けている / 耳をぴんと立てているが / 振り向かない / これ見よがしにしっぽを伸ばしている / 猫の邪魔にならないように立ち去らなければならないのだが
月が猫の目の中でふくらむ頃あい / 神鳴が鳴っている / わたしも両手両足をそろえている
~「黒猫」
以下の本がわりと手に入れやすい。
03. 『詩集 小さなユリと / 黒田三郎』(夏葉社)
長女ユリとの生活を平明な言葉でつづり、黒田三郎(1919 - 1980)の代表作となった。
コンロから御飯をおろす / 卵を割ってかきまぜる / 合間にウィスキイをひと口飲む / 折紙で赤い鶴を折る / ネギを切る / 一畳に足りない台所につっ立ったままで / 夕方の三十分
僕は腕のいい女中で / 酒飲みで / オトーチャマ / 小さなユリの御機嫌とりまで / いっぺんにやらなきゃならん / 平日他人の家で暮らしたので / 小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う
「ホンヨンデェ オトーチャマ」 / 「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」 / 「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」 / 卵焼きをかえそうと / 一心不乱のところに / あわててユリが駆けこんでくる / 「オシッコデルノー オトーチャマ」
だんだん僕は不機嫌になってくる / 味の素をひとさじ / フライパンをひとゆすり / ウィスキイをがぶりとひと口 / だんだん小さなユリも不機嫌になってくる / 「ハヤクココキッテヨォ オトー」 / 「ハヤクー」
癇癪もちの親爺が怒鳴る / 「自分でしなさい 自分でェ」 / 癇癪もちの娘がやりかえす / 「ヨッパライ グズ ジジイ」 / 親爺が怒って娘のお尻を叩く / 小さなユリが泣く / 大きな大きな声で泣く
やがて / しずかで美しい時間が / やってくる / 親爺は素直にやさしくなる / 小さなユリも素直にやさしくなる / 食卓に向かい合ってふたり坐る
~「夕方の三十分」
ユリはかかさずピアノに行っている? / 夜は八時半にちゃんとねてる? / ねる前は歯をみがいてるの? / 日曜の午後の病院の面会室で / 僕の顔を見るなり / それが妻のあいさつだ
僕は家政婦ではありませんよ / 心の中でそう言って / 僕はさり気なく / 黙っている / うん うんと顎で答える / さびしくなる
言葉にならないものがつかえつかえのどを下ってゆく / お次はユリの番だ / オトーチャマはいつもお酒飲む? / 沢山飲む? ウン 飲むけど / 小さなユリがちらりと僕の顔を見る / 少しよ
夕暮れの芝生の道を / 小さなユリの手をひいて / ふりかえりながら / 僕は帰る / 妻はもう白い巨大な建物の五階の窓の小さな顔だ / 九月の風が僕と小さなユリの背中にふく
悔恨のようなものが僕の心をくじく / 人家にははや電燈がともり / 魚を焼く匂いや揚物の匂いが路地に流れる / 小さな小さなユリに / 僕は大きな声で話しかける / 新宿で御飯食べて帰ろうね ユリ
~「九月の風」
ある年代以上のひとには、次の詩がこころに残っているはず。
フォークグループの「赤い鳥」が曲をつけて歌った詩である。
落ちて来たら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう
美しい
願いごとのように
~「紙風船」
わたしは、この詩人が大好きなので、あと10編くらい紹介したいが、ぐっと我慢して1編だけ。
『ひとりの女に』というH氏賞を受賞した詩集から。
もはやそれ以上何を失おうと / 僕には失うものとてはなかったのだ / 河に舞い落ちた一枚の木の葉のように / 流れてゆくばかりであった
かつて僕は死の海をゆく船上で / ぼんやり空を眺めていたことがある / 熱帯の島で狂死した友人の枕辺に / じっと坐っていたことがある
今は今で / たとえ白いビルディングの窓から / インフレの町を見下ろしているにしても / そこにどんなちがった運命があることか
運命は / 屋上から身を投げる少女のように / 僕の頭上に / 落ちてきたのである
もんどりうって / 死にもしないで / 一体だれが僕を起こしてくれたのか / 少女よ
そのとき / あなたがささやいたのだ / 失うものを / 私があなたに差上げると
~「もはやそれ以上」
高見順は、詩人というよりは小説家として有名。
その後、饒舌体と呼ばれる独特の文体で一時代を築く。
晩年、食道癌となり、長い闘病生活の後、1965年に58歳の若さで亡くなった。
『死の淵より』は、タイトルが示す通り、食道癌との闘病から生まれた絶唱である。
帰れるから / 旅は楽しいのであり / 旅の寂しさを楽しめるのも / わが家にいつかは戻れるからである / だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり / どこにもあるコケシの店をのぞいて / おみやげを探したりする
この旅は / 自然へ帰る旅である / 帰るところのある旅だから / 楽しくなくてはならないのだ / おみやげを買わなくていいか / 埴輪や明器のような副葬品を
大地へ帰る死を悲しんではいけない / 肉体とともに精神も / わが家へ帰れるのである / ともすれば悲しみがちだった精神も / おだやかやに地下で眠れるのである / ときにセミの幼虫に眠りを破られても / 地上のそのはかない生命を思えば許せるのである
古人は人生をうたかたのごとしと言った / 川を行く舟がえがくみなわを / 人生と見た歌人もいた / はかなさを彼らは悲しみながら / 口に出して言う以上同時にそれを楽しんだに違いない / 私もこういう詩を書いて / はかない旅を楽しみたいのである
~「帰る旅」
高見順の詩は、どこか武骨で、詩というよりは散文にちかい気がする。
しかし、その武骨さがかえって、迫りくる死への恐怖をひしひしと伝えてくる。
詩人は、自らの死に対する恐怖感を払拭するように、つとめて明るく振舞った詩を書いてはいるが、その詩の向こう側に底無しの闇と虚無と、それに対する恐れが透けて見える。
烈風に
食道が吹きちぎられた
気管支が笛になって
ピューピューと鳴って
ぼくを慰めてくれた
それがだんだんじょうずになって
ピューヒョロヒョロとおどけて
かえってぼくを寂しがらせる
~「ぼくの笛」
電車の窓の外は / 光にみち / 喜びにみち / いきいきといきづいている / この世ともうお別れかと思うと / 見なれた景色が / 急に新鮮に見えてきた / この世が / 人間も自然も / 幸福にみちみちている / だのに私は死なねばならぬ / だのにこの世は実にしあわせそうだ / それが私の心を悲しませないで / かえって私の悲しみを慰めてくれる / 私の胸に感動があふれ / 胸がつまって涙が出そうになる / 団地のアパートのひとつひとつの窓に / ふりそそぐ暖かい日ざし / 楽しくさえずりながら / 飛び交うスズメの群れ / 光る風 / 喜ぶ川面 / 微笑のようなそのさざなみ / かなたの京浜工場地帯の / 高い煙突から勢いよく立ちのぼるけむり / 電車の窓から見えるこれらすべては / 生命あるもののごとくに / 生きている / 力にみち / 生命にかがやいて見える / 線路脇の道を / 足ばやに行く出勤の人たちよ / おはよう諸君 / みんな元気で働いている / 安心だ 君たちがいれば大丈夫だ / さようなら / あとを頼むぜ / じゃ元気で――
~「電車の窓の外は」
「だのに私は死なねばならぬ」という一行が凄い。
なんの飾りもない、どストレートの豪速球だ。
最後に、短い詩をひとつ。
蹴らないでくれ
眠らせてほしい
もうここで
ただひたすら
眠らせてくれ
~「小石」
天野忠は、1986年に出版した『続天野忠詩集』(菊版、全552頁)で毎日出版文化賞という権威ある賞を受賞した。
1909年の生まれなので77歳のときである。
たしかその頃にNHKで、この飄々とした詩人を特集した番組が作られ、わたしはそれを観た記憶がある。
柔らかい京都弁で柔和に語る姿と、“老い”をうたった詩が印象に残った。
結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。 / とくに静かな夫婦が好きだった。/ 結婚をひとまたぎして直ぐ / しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。 / おせっかいで心のあたたかな人がいて / 私に結婚しろといった。 / キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて / ある日突然やってきた。 / 昼めし代わりにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き / 昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。 / 下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し / お見合いだ お見合いだ とはやして逃げた。 / それから遠い電車道まで / 初めての娘と私は ふわふわと歩いた。 / ――ニシンそばでもたべませんか と私は云った。 / ――ニシンはきらいです と娘は答えた。 / そして私たちは結婚した。 / おお そしていちばん感動したのは / いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ / ポッと電灯の点いていることだった―― / 戦争がはじまっていた。 / 祇園まつりの囃子がかすかに流れてくる晩 / 子供がうまれた。 / 次の子供がよだれを垂らしならがはい出したころ / 徴用にとられた。便所で泣いた。 / 子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。 / ひもじさで口喧嘩も出来ず / 女房はいびきをたててねた。 / 戦争は終わった。 / 転々と職をかえた / ひもじさはつづいた。貯金はつかい果たした。 / いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。 / 貧乏と病気は律儀な奴で / 年中私たちにへばりついてきた。 / にもかかわらず / 貧乏と病気が仲良く手助けして / 私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。 / 子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら) / 思い思いに デモクラチックに / 遠くへ行ってしまった。 / どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって / 夫婦はやっともとの二人になった。 / 三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上った。 / ――久しぶりに街へ出て と私は云った。 / ニシンそばでも喰ってこようか。 / ニシンは嫌いです。と / 私の古い女房は答えた。
~「しずかな夫婦」
いいですねぇ。
恋人はいびきをかかないが、妻はいびきをかくんですよねぇ(笑)。
さいごの、「ニシンは嫌いです」も良い。
天野忠の詩集は、新刊ではほとんど手に入らないのだが、天野忠について書かれた本は何冊か出ているので、紹介しておく。
1冊目は、
山田稔の『北園町九十三番地 天野忠さんのこと』(編集工房ノア)。
自称 “人嫌い”の詩人との10年間におよぶ交遊録である。
著者は、この詩人を心の底から尊敬しており、そのためどんなに親しくなっても、常に節度を保って接している。
その距離感が、読んでいて心地よい。
詩人の詩と散文も多く引用されていて、天野忠の入門書としても最適かと思う。
残念なことに長らく絶版で、AMAZONでも画像すら見つからない。
古本屋で見つけたら、ぜひ購入を。
運命だと思って(笑)。
2冊目は、
天野忠だけではなく、和田久太郎(大杉栄らと親交を結んだ無政府主義者にして俳人)、尾形亀之助(昭和17年に42歳で困窮のうちに亡くなった詩人)、淵上毛銭(1950年に35歳の若さで亡くなった詩人)など、脱力的な生き方をした詩人たちをとりあげたエッセイ集。
著者の正津勉も詩人。
最後に、私の好きな天野忠の詩をもうひとつ。
百九十米ほど
まっ直ぐ跳んでみたい
と
かねがね思っていた石がいた。
しかし
跳ばないで
そこに居た。
いまも
そこに居る。
~「石」
以上、私の好きな詩人の、とっておきの5冊を紹介した。
この5冊(と言うか5人の詩人)が、なにかの偶然により、あなたの心に届くことを、強く願っている。