単純な生活

映画・音楽・読書について、だらだらと書いている

心に届く現代詩集 とっておきの5冊

 

詩集を読んでる人など、ほとんどいない。

なにしろ詩集の初版は、だいたい300~500部前後なのである。

300部って。

卒業文集かよ。

 

なので、ここで紹介する5冊も手に入るかどうかわからない。

古本屋にもめったに置いてない。

図書館にすら入ってない場合が多い。

でも、とても良い詩集たちなので、なんとか手に入れて読んでほしい。

もしどこかで出会ったら、運命だと思って手に取ってほしい。

そこに書かれている言葉は、かならずあなたの心に届くはずだから。

 

 

 

01. 『キリンの洗濯 / 高橋杞一』(あざみ書房 / 1989)

f:id:kitti55:20181222173848j:plain

 

1990年にH氏賞(詩の世界の芥川賞)を受賞した名作。

難しい言葉を使わなくても、日常にある優しい言葉だけで、これほど美しい詩が書けるのである。

 

朝  /  出かけていくたびに  /  自分が  /  向こうへずれていく

 

はるか向こうの端に  /  今朝も 何かが乗っている

 

象か  /  ワニか  /  カバか知らないが  /  何かが乗って  /  少しずつ  /  向こうが重くなっていく

 

毎日  /  少しずつ傾斜が急になっていく

 

それに  /  負けないように  /  こちらにも  /  重い  /  象か  /  ワニか  /  カバが  /  わたしは欲しい

~「てこの原理」

 

 木曜は  /  ゴミの収集日  /  大きなポリ袋に一週間分のゴミをつめ  /  朝 出かける時に  /  もってでる

 

魚の骨  /   紙くず  /  茶がら  /  ゴハンの残り  /  いらなくなったものはみんな  /  この日に捨てる

 

読み古した本や夢や  /  形だけのつながりも……

 

晴れた日は  /  ゴミ捨場まで  /  まっすぐ 青空  /  このまま  /  どこまでも歩いていけそうな  /  朝

 

重いゴミを捨て  /  会社に向う

~「ゴミの日」

 

手に入りやすい高橋杞一の詩集としては、以下がおすすめ。

高階杞一詩集 (ハルキ文庫 た)

高階杞一詩集 (ハルキ文庫 た)

 

 

 

 

02. 『貧乏な椅子 / 高橋順子』(花神社)

貧乏な椅子

貧乏な椅子

 

 

高橋順子は、1944年生まれの詩人。

2015年に亡くなった、作家・車谷長吉の妻でもあった。

日常のなかに詩を見つけるのが上手な詩人である。

まっ、詩人はみんなそうなのだが。

 

貧乏好きの男と結婚してしまった  /  わたしも貧乏が似合う女なのだろう  /  働くのをいとう男と女ではないのだが  /  というよりは それゆえに  /  「貧乏」のほうもわたしどもを好いたのであろう  /  借家の家賃は男の負担で  /  米 肉 菜っ葉 酒その他は女の負担  /  小遣いはそれぞれ自前である  /  当初男は毎日芝刈りに行くところがあったので  /  定収入のある者が定支出を受け持ったのである  /  そうこうするうち不景気到来  /  男に自宅待機が命じられ 賃金が八割カットされた  /  「便所掃除でもなんでもやりますから  /  この会社に置いてください」  /  と頭を下げたそうな  /  そうゆうところはえらいとおもう  /  家では電灯の紐もひっぱらぬ男なのである  /  朝ほの暗い座敷に座って  /  しんと煙草を喫っているのである  /  しかし会社の掃除人の職は奪えなかった  /  さいわい今年になって自宅待機が解除され  /  週二日出勤の温情判決が下った  /  いまは月曜と木曜 男は会社の半地下に与えられた  /  椅子に坐りにゆくのである  /  わたしは校正の仕事のめどがつくと  /  神田神保町の地下の喫茶店に 週に一度  /  コーヒーを飲みに下りてゆく  /  「ひまー、ひまー」  /  と女主人は歌うように嘆くのである  /  「誰か一人来てから帰る」  /  わたしは木の椅子にぼんやり坐って  /  待っている  /  貧乏退散を待っていないわけではないのだけれど  /  何かいいことを待っているわけでもない

~「貧乏な椅子」

 

袋小路の奥に猫が坐って黒い背を向けている  /  耳をぴんと立てているが  /  振り向かない  /  これ見よがしにしっぽを伸ばしている  /  猫の邪魔にならないように立ち去らなければならないのだが

 

月が猫の目の中でふくらむ頃あい  /  神鳴が鳴っている  /  わたしも両手両足をそろえている

~「黒猫」

 

以下の本がわりと手に入れやすい。

高橋順子詩集 (現代詩文庫)

高橋順子詩集 (現代詩文庫)

 

 

 

 

03. 『詩集 小さなユリと / 黒田三郎』(夏葉社)

詩集 小さなユリと

詩集 小さなユリと

 

 

長女ユリとの生活を平明な言葉でつづり、黒田三郎(1919 - 1980)の代表作となった。

 

コンロから御飯をおろす  /  卵を割ってかきまぜる  /  合間にウィスキイをひと口飲む  /  折紙で赤い鶴を折る  /  ネギを切る  /  一畳に足りない台所につっ立ったままで  /  夕方の三十分

 

僕は腕のいい女中で  /  酒飲みで  /  オトーチャマ   /  小さなユリの御機嫌とりまで  /  いっぺんにやらなきゃならん  /  平日他人の家で暮らしたので  /  小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う

 

「ホンヨンデェ オトーチャマ」 /  「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」 /  「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」 /  卵焼きをかえそうと  /  一心不乱のところに  /  あわててユリが駆けこんでくる  /  「オシッコデルノー オトーチャマ」

 

だんだん僕は不機嫌になってくる  /  味の素をひとさじ  /  フライパンをひとゆすり  /  ウィスキイをがぶりとひと口  /  だんだん小さなユリも不機嫌になってくる  /  「ハヤクココキッテヨォ オトー」 /  「ハヤクー」

 

癇癪もちの親爺が怒鳴る  /  「自分でしなさい 自分でェ」 /  癇癪もちの娘がやりかえす  /  「ヨッパライ グズ ジジイ」 /  親爺が怒って娘のお尻を叩く  /  小さなユリが泣く  /  大きな大きな声で泣く

 

やがて  /  しずかで美しい時間が  /  やってくる  /  親爺は素直にやさしくなる  /  小さなユリも素直にやさしくなる  /  食卓に向かい合ってふたり坐る

~「夕方の三十分」

 

ユリはかかさずピアノに行っている?  /  夜は八時半にちゃんとねてる?  /  ねる前は歯をみがいてるの?  /  日曜の午後の病院の面会室で  /  僕の顔を見るなり  /  それが妻のあいさつだ

 

僕は家政婦ではありませんよ  /  心の中でそう言って  /  僕はさり気なく  /  黙っている  /  うん うんと顎で答える  /  さびしくなる

 

言葉にならないものがつかえつかえのどを下ってゆく  /  お次はユリの番だ  /  オトーチャマはいつもお酒飲む?  /  沢山飲む? ウン 飲むけど  /  小さなユリがちらりと僕の顔を見る  /  少しよ

 

夕暮れの芝生の道を  /  小さなユリの手をひいて  /  ふりかえりながら  /  僕は帰る  /  妻はもう白い巨大な建物の五階の窓の小さな顔だ  /  九月の風が僕と小さなユリの背中にふく

 

悔恨のようなものが僕の心をくじく  /  人家にははや電燈がともり  /  魚を焼く匂いや揚物の匂いが路地に流れる  /  小さな小さなユリに  /  僕は大きな声で話しかける  /  新宿で御飯食べて帰ろうね ユリ

~「九月の風」

 

 ある年代以上のひとには、次の詩がこころに残っているはず。

フォークグループの「赤い鳥」が曲をつけて歌った詩である。

 

落ちて来たら

今度は

もっと高く

もっともっと高く

何度でも

打ち上げよう

美しい 

願いごとのように

~「紙風船

 

わたしは、この詩人が大好きなので、あと10編くらい紹介したいが、ぐっと我慢して1編だけ。

『ひとりの女に』というH氏賞を受賞した詩集から。

 

もはやそれ以上何を失おうと  /  僕には失うものとてはなかったのだ  /  河に舞い落ちた一枚の木の葉のように  /  流れてゆくばかりであった

 

かつて僕は死の海をゆく船上で  /  ぼんやり空を眺めていたことがある  /  熱帯の島で狂死した友人の枕辺に  /  じっと坐っていたことがある

 

今は今で  /  たとえ白いビルディングの窓から  /  インフレの町を見下ろしているにしても  /  そこにどんなちがった運命があることか 

 

運命は  /  屋上から身を投げる少女のように  /  僕の頭上に  /  落ちてきたのである

 

もんどりうって  /  死にもしないで  /  一体だれが僕を起こしてくれたのか  /  少女よ

 

そのとき  /  あなたがささやいたのだ  /  失うものを  /  私があなたに差上げると

~「もはやそれ以上」

 

 

 

04. 『死の淵より / 高見順』(講談社

死の淵より (講談社文芸文庫)

死の淵より (講談社文芸文庫)

 

 

高見順は、詩人というよりは小説家として有名。

太宰治らとともに第1回芥川賞の候補になっている。

その後、饒舌体と呼ばれる独特の文体で一時代を築く。

晩年、食道癌となり、長い闘病生活の後、1965年に58歳の若さで亡くなった。

 

『死の淵より』は、タイトルが示す通り、食道癌との闘病から生まれた絶唱である。

 

帰れるから  /  旅は楽しいのであり  /  旅の寂しさを楽しめるのも  /  わが家にいつかは戻れるからである  /  だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり  /  どこにもあるコケシの店をのぞいて  /  おみやげを探したりする

 

この旅は  /  自然へ帰る旅である  /  帰るところのある旅だから  /  楽しくなくてはならないのだ  /  おみやげを買わなくていいか  /  埴輪や明器のような副葬品を

 

大地へ帰る死を悲しんではいけない  /  肉体とともに精神も  /  わが家へ帰れるのである  /  ともすれば悲しみがちだった精神も  /  おだやかやに地下で眠れるのである  /  ときにセミの幼虫に眠りを破られても  /  地上のそのはかない生命を思えば許せるのである

 

古人は人生をうたかたのごとしと言った  /  川を行く舟がえがくみなわを  /  人生と見た歌人もいた  /  はかなさを彼らは悲しみながら  /  口に出して言う以上同時にそれを楽しんだに違いない  / 私もこういう詩を書いて  /  はかない旅を楽しみたいのである

~「帰る旅」

 

高見順の詩は、どこか武骨で、詩というよりは散文にちかい気がする。

しかし、その武骨さがかえって、迫りくる死への恐怖をひしひしと伝えてくる。

詩人は、自らの死に対する恐怖感を払拭するように、つとめて明るく振舞った詩を書いてはいるが、その詩の向こう側に底無しの闇と虚無と、それに対する恐れが透けて見える。

 

烈風に

食道が吹きちぎられた

気管支が笛になって

ピューピューと鳴って

ぼくを慰めてくれた

それがだんだんじょうずになって

ピューヒョロヒョロとおどけて  

かえってぼくを寂しがらせる

~「ぼくの笛」

 

電車の窓の外は  /  光にみち  /  喜びにみち  /  いきいきといきづいている  /  この世ともうお別れかと思うと  /  見なれた景色が  /  急に新鮮に見えてきた  /  この世が  /  人間も自然も  /  幸福にみちみちている  /  だのに私は死なねばならぬ  /  だのにこの世は実にしあわせそうだ  /  それが私の心を悲しませないで  /  かえって私の悲しみを慰めてくれる  /  私の胸に感動があふれ  / 胸がつまって涙が出そうになる  /  団地のアパートのひとつひとつの窓に  /  ふりそそぐ暖かい日ざし  /  楽しくさえずりながら  /  飛び交うスズメの群れ  /  光る風  /  喜ぶ川面  /  微笑のようなそのさざなみ  /  かなたの京浜工場地帯の  /  高い煙突から勢いよく立ちのぼるけむり  /  電車の窓から見えるこれらすべては  /  生命あるもののごとくに  /  生きている  /  力にみち  /  生命にかがやいて見える  /  線路脇の道を  /  足ばやに行く出勤の人たちよ  /  おはよう諸君  /  みんな元気で働いている  /  安心だ 君たちがいれば大丈夫だ  /  さようなら  /  あとを頼むぜ  /  じゃ元気で――

~「電車の窓の外は」

 

 「だのに私は死なねばならぬ」という一行が凄い。

なんの飾りもない、どストレートの豪速球だ。

 

最後に、短い詩をひとつ。

 

蹴らないでくれ

眠らせてほしい

もうここで

ただひたすら

眠らせてくれ

~「小石」

 

 

 

05. 『天野忠詩集』(思潮社

天野忠詩集 (現代詩文庫 第 1期85)
 

 

天野忠は、1986年に出版した『続天野忠詩集』(菊版、全552頁)で毎日出版文化賞という権威ある賞を受賞した。

1909年の生まれなので77歳のときである。

たしかその頃にNHKで、この飄々とした詩人を特集した番組が作られ、わたしはそれを観た記憶がある。

柔らかい京都弁で柔和に語る姿と、“老い”をうたった詩が印象に残った。

 

結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。 / とくに静かな夫婦が好きだった。/ 結婚をひとまたぎして直ぐ / しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。 / おせっかいで心のあたたかな人がいて / 私に結婚しろといった。 / キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて / ある日突然やってきた。 / 昼めし代わりにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き / 昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。 / 下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し / お見合いだ お見合いだ とはやして逃げた。 / それから遠い電車道まで / 初めての娘と私は ふわふわと歩いた。 / ――ニシンそばでもたべませんか と私は云った。 / ――ニシンはきらいです と娘は答えた。 / そして私たちは結婚した。 / おお そしていちばん感動したのは / いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ / ポッと電灯の点いていることだった―― / 戦争がはじまっていた。 / 祇園まつりの囃子がかすかに流れてくる晩 / 子供がうまれた。 / 次の子供がよだれを垂らしならがはい出したころ / 徴用にとられた。便所で泣いた。 / 子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。 / ひもじさで口喧嘩も出来ず / 女房はいびきをたててねた。 / 戦争は終わった。 / 転々と職をかえた / ひもじさはつづいた。貯金はつかい果たした。 / いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。 / 貧乏と病気は律儀な奴で / 年中私たちにへばりついてきた。 / にもかかわらず / 貧乏と病気が仲良く手助けして / 私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。 / 子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら) / 思い思いに デモクラチックに / 遠くへ行ってしまった。 / どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって / 夫婦はやっともとの二人になった。 / 三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上った。 / ――久しぶりに街へ出て と私は云った。 / ニシンそばでも喰ってこようか。 / ニシンは嫌いです。と / 私の古い女房は答えた。

~「しずかな夫婦」

 

 いいですねぇ。

恋人はいびきをかかないが、妻はいびきをかくんですよねぇ(笑)。

さいごの、「ニシンは嫌いです」も良い。

 

天野忠の詩集は、新刊ではほとんど手に入らないのだが、天野忠について書かれた本は何冊か出ているので、紹介しておく。

 

1冊目は、

山田稔の『北園町九十三番地  天野忠さんのこと』(編集工房ノア)。

自称 “人嫌い”の詩人との10年間におよぶ交遊録である。

著者は、この詩人を心の底から尊敬しており、そのためどんなに親しくなっても、常に節度を保って接している。

その距離感が、読んでいて心地よい。

詩人の詩と散文も多く引用されていて、天野忠の入門書としても最適かと思う。

残念なことに長らく絶版で、AMAZONでも画像すら見つからない。

古本屋で見つけたら、ぜひ購入を。

運命だと思って(笑)。

 

 

2冊目は、

正津勉の『脱力の人』(河出書房新社)。

 

脱力の人

脱力の人

  • 作者:正津 勉
  • 発売日: 2005/08/09
  • メディア: 単行本
 

 

天野忠だけではなく、和田久太郎(大杉栄らと親交を結んだ無政府主義者にして俳人)、尾形亀之助昭和17年に42歳で困窮のうちに亡くなった詩人)、淵上毛銭(1950年に35歳の若さで亡くなった詩人)など、脱力的な生き方をした詩人たちをとりあげたエッセイ集。

著者の正津勉も詩人。

 

 

最後に、私の好きな天野忠の詩をもうひとつ。

 

百九十米ほど

まっ直ぐ跳んでみたい 

かねがね思っていた石がいた。

 

しかし 

跳ばないで

そこに居た。

 

いまも

そこに居る。

~「石」

 

 

 

以上、私の好きな詩人の、とっておきの5冊を紹介した。

この5冊(と言うか5人の詩人)が、なにかの偶然により、あなたの心に届くことを、強く願っている。