▶1本目:『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)
制作会社の大映が倒産し、徳間グループの傘下に入ってから作られたのが、いわゆる「平成三部作」である。
大量のプルトニウムを海上輸送していた輸送船が、水深3000mの海域で座礁事故を起こす。
輸送船を護衛していた海上保安庁巡視船の乗組員米森(伊原剛志)は、輸送船が乗り上げた環礁が移動し始めたことに驚愕する。
その頃、鳥類学者の長峰真弓(中山忍)は、五島列島の姫神島で巨大な怪鳥と遭遇していた。
ガメラとギャオスだ。
まず、良いところから。
怪獣出現を、国家規模の災害ととらえる視点がちゃんとある。
これは、例の「シン・ゴジラ」よりはるかに早いですね。
ガメラやギャオスのような大怪獣がじっさいに現れた場合、いったい日本はどうなるのか?という疑問を曖昧にしていない。
日本政府の対応、海外の反応、自衛隊の動き、経済や生活への影響、マスコミ報道の問題点、などなど、すべての問題を、完ぺきとはいわないまでも真摯に描こうとしている。
これは、それまでの怪獣特撮映画にはなかった視点ではないか。
そしてなにより、なぜガメラとギャオスが日本に出現したのか? そもそもガメラとギャオスとは何者なのか? という大きな疑問にきっちりと答えているのだ。
特撮も素晴らしい。
建物の崩壊シーンと、ガメラとギャオスの空中戦には作り物感を強く感じるけど、真っ二つになった東京タワーの上に巣を作るギャオスの逆光ショットは、怪獣映画史に残る名場面だと思う。
残念なのは、役者の演技だ。
とくに主役の藤谷文子がひどい。
せっかくの良くできたシナリオが、彼女の大根演技で現実感を失いボロボロである。
怪獣映画なんて、そもそもが絵空事なので、俳優の演技がちゃんとしてないと、とても空虚なものになってしまう。
もう少しどうにかならなかったのか…。
しかし、この第1作に続く、2と3が傑作なのである。
ここは、彼女のひどい演技には目をつぶって観てもらいたい。
『大怪獣空中決戦』で提示された世界観に沿って、2作目の『レギオン襲来』、3作目の『邪神イリス覚醒』が作られているので、これを観ないことには始まらないのだ。
傑作である。
この第2作と続く第3作の存在によって、平成版ガメラは、いまなお語り継がれるような怪獣映画の傑作となったのだ。
宇宙から飛来した謎の生命体レギオン(聖書から名前がつけられる)。
共生している巨大な宇宙植物とともに地球で繁殖を開始しようとする。
そこへ現れる我らがガメラ。
ガメラは、爆発することによって種子を飛ばそうとしている宇宙植物を、いともかんたんに破壊してしまう。
そりゃあ怒りますよね、レギオン。
で、こいつがやばいくらい強い。
ガメラも危うい状況に…。
これも、まず良いところから。
何と言っても特撮の凄さだ。
第1作目とは雲泥の差と言っても良い。
(もちろん1作目がダメってことではない)
とくにガメラの重量感!
街中をゆっくりと進むガメラのリアル感が凄い!
前足を翼に変形させて飛行する姿もかっこいいぞ!
しかもCGじゃなく、ほとんどがミニチュアで撮ってるってのが凄い!
建物が破壊されるときのリアル感もグッド!
前作と同じく外光を使っての撮影が、ジオラマのリアル感をあげている!
自衛隊の全面協力のもと、本物の戦車を使った陸地戦の迫力も凄い!
宇宙生命体レギオンの造形も、冷たい感じがしてわたしは好きだ!
いかん、びっくりマークばかりで興奮してきた。
いったん落ち着こう。
役者の演技も素晴らしい。
第1作目は、俳優の大根役者ぶりがひどかったが、今回は大丈夫だ。
永島敏行、水野美紀、吹越満など、ちゃんと演技ができる人を揃えている。
ちなみに大泉洋がチョイ役で出ている(銀幕デビュー作。台詞もクレジットもなし)。
水野美紀は、全編を通してミニスカート。
北海道の雪の上で、自衛官役の永島敏行が寒そうに防寒コートを着込んでいても、かたくなにミニスカートだ。
不自然なほどに、いろんな角度からきれいな脚を見せつけてくる。
これは明らかに監督の趣味だよなぁ。
残念なことに、藤谷 “ドシロート” 文子は、また出ている。
まあ、第3作にも出ているのだが…。
彼女が出ているところだけ、わたしのテンションが少し下がるのである…。
ガメラが傷ついたとき彼女の握りしめている勾玉がくだけて、手のひらから血が出る。
それに気づいた水野美紀が「血が出てる。手当を」みたいなことを言うと、藤谷文子が、「大丈夫。ガメラも血を流してます」なんてことを、棒読みで言うのだ。
やかましいわ!
そして、この傑作での最大の特徴は、なんと言っても自衛隊の活躍である。
多くの怪獣映画においては、自衛隊は、刺身のツマというか、居酒屋で最初に出てくるどうでも良いお通しみたいな扱いなのが普通である。
勝てやしないのに巨大怪獣に戦車砲を放ったり、戦闘機でミサイルを撃ち込んだり、なんとか頑張って、しかし簡単にやられてしまう。
あとはヒーローなり、怪獣どうしの闘いで決着がつく。
怪獣出現→自衛隊出撃→かんたんに負けるまでが、序盤のお約束なのだ。
しかし、『レギオン襲来』は違う。
かなり頑張る。
リアルに頑張る。
なので、レギオンが現れてからガメラが登場するまでが、通常の怪獣映画よりも長く感じる。
ここが不満な人も多いのではないか。
さっさとガメラ出て来いよ!といらつく人もいるのではないか。
でも、わたしはこの感じが好きだ。
理屈っぽく手順を踏んでる感じが、じつにSFっぽい。
▶3本目:『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』(1999)
いよいよ3部作のラスト。
『レギオン襲来』の紹介文が、水野美紀のミニスカートに興奮して、いささか長くなってしまったので、3作目はサクッと紹介だ。
ストーリーは1作目の続編である。
1作目のガメラ対ギャオスの闘いで、ガメラによって両親を殺された少女・比良坂彩奈が主人公。
彼女の「ガメラ憎し」の想いが、ギャオスの亜種である<イリス>に乗り移り、シリーズ史上最強の敵となる。
怪獣が街中で大暴れすると、とうぜん街は破壊され、住民には少なからず被害が出るはずである。
怪獣が敵役であろうと味方であろうと、死ぬ側からすれば、その区別に意味はない。
残された者は、相手がガメラだろうとギャオスだろうと、親族や友人を殺した相手を恨むことになるだろう。
怪獣映画としては、なかなかきわどいところを突いてきたって感じだ。
人類の味方であるガメラが、状況によっては敵にもなり得るという指摘は鋭い。
映画が始まって20分過ぎた頃、突然ギャオスとガメラが渋谷の街に現れ、暴れまくる。
このときの特撮が素晴らしい!
ミニチュア模型によって完全に再現された渋谷の街が、ガメラの吐く火球によって燃え上がる。
ギャオスの放つ超音波メスによって渋谷109のビルが切断される崩れ落ちる。
人々はパニックとなり逃げまどう。
ある人たちは瓦礫の下敷きとなり、ある人たちは炎とともに空に舞い上がる。
阿鼻叫喚の世界である。
いくらガメラが正義の味方とはいえ、すぐ近くにくれば、それは恐怖であり災いでしかないのだ。
子供も観るであろう怪獣映画で、よくやったなぁと感心する。
決戦の舞台は京都だ。
京都駅周辺を派手にぶっ壊すぜ!
ラストの悲壮感が凄い。
このラストの引きの映像によって、いまなお平成版ガメラは、日本の怪獣映画の頂点に存在し続けているのだ。
しかし、こんな終わり方、良い子のみんなを号泣させる気か!
ジジイも号泣するわ!
ちなみに、中山忍は、ミニスカートではなくパンツ姿が多い。
▶平成版ガメラ3部作は、それぞれテイストが違う。
1は、国家規模の災厄を描いたパニックSF。
2は、宇宙生命体の闘いを映画いたハードSF。
3は、日本古代史を絡めた伝奇SF。
3作続けて観ると、どっと疲れるので注意が必要。
(わたしは数時間死んだ)