単純な生活

映画・音楽・読書について、だらだらと書いている

ありふれた日常 #4 / コロッケ蕎麦のこと、などなど

 

▶5時頃起き、しばらく机の前でぼんやり過ごす。

年をとると、ぼんやり過ごすことが多くなる。

べつに何かを考えているわけではなく、ただ無為の時間をぼんやりと過ごす。

あるいは時の流れを茫然と見つめている。

老いとともに始まるこういう時間の過ごし方について、井伏鱒二が、どこかで何か書いてたと思うのだが、どこで何を書いていたかは思いだせない。

井伏鱒二だったかどうかも、じつは怪しい。

 

 

▶今朝の朝食は、コロッケそば。

この珍妙なメニューに出会ったのは、東京に出てきて間もない頃だったと記憶する(関西にはほぼない)。

たしか秋葉原の立食いそば屋で食べたのだ。

てっきりコロッケは別皿で、それをつまみながらそばを食べるのだと思ったら、濃い出汁の上にコロッケがどんと乗っかってるではないか。

なんじゃこれ、と凄くびっくりしたな。

おそるおそる食べてみると、けっこういける。

後半、コロッケにツユが沁みてグズグズになったところを、麺と一緒に食べると、じつに美味い。

それ以来、立食いそば屋に入ると、2回に1回はコロッケそばを頼むようになった。

(もう1回は、ちくわ天そばか、かき揚げ天そば)

 

コロッケそばって、立食いそば屋にしか置いてないなぁ。

ふつうのそば屋でコロッケそばのメニューを見たことがない。

なぜだろう?

コロッケそばをバカにしてんのか“笑”?

 

いま書きながら気づいたのだが、わたしはどんな高級なそば屋よりも、じつは立食いそば屋の方が好きみたいだ。

神田藪蕎麦のクソ高い天ぷらそばより、小諸そばとかで食べるかき揚げ天そばの方が、食べたあとの満足度が高い。

なぜだろう?

根が貧乏人ってことですかね。

 

コロッケそばが関東にあって関西にないのは、ツユの濃さと関係しているのだろう。

関東の濃いツユあってこそのコロッケそばのような気がする。

試しに、関西風の薄味うどんにコロッケを乗せて食べてみたことがあるが、イマイチだった。

薄味のツユの中でコロッケがぐずぐずに崩れても、あまり美味しくないのだ。

ツユがコロッケの油っぽさに負けてしまうと言うか…。

なので、当分の間は(おそらくは未来永劫)コロッケ蕎麦が関西のおそば屋さんのメニューに載ることはないと思う。

 

なんだか、まとまりのない文章だな。

コロッケそばだけに、ぐずぐずに崩れたと言うことで(うまくない)。

 

 

▶サタジット・レイ監督の『大樹のうた』(1958)を観る。

オプー3部作の完結編。

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大学を卒業して都会で独り暮らしのオプー。

良い職にはつけず、かなりの貧乏暮し。

そこへ学生時代の友人が訪ねてきて、俺の田舎に遊びに来いと言う。

友人の誘いにのって旅に出るオプー。

辿り着いた友人の実家では、妹の結婚式が行われようとしていた。

が、やって来た新郎は明らかに気のふれた男で、それを見た母親は怒り出し「こんな男のところに娘を嫁がせるわけにはいかない!」と、娘の結婚式をとりやめる騒ぎに。

予定していた結婚式をとりやめると、その家族には呪いがかかるという言い伝えがあるらしく、集まっていた一族は頭を抱える。

そこで偶然居合わせたオプーに注目が集まり、友人から「花婿になってくれないか?」と突然のオファー(インド、めちゃくちゃやな“笑”)。

悩んだ末に花婿になるオプー(引き受けるんかい!)。

 

美人で可愛い妻を連れて都会に戻って来たオプー。

ままごとのような新婚生活。

自分の生活力の無さに嫌気がさしているオプーだったが、しっかりとやることはやっているので、新妻は妊娠する。

男の子が誕生するが、その出産により愛した妻が死んでしまう…。

悲嘆にくれ、何も手に着かない日々をおくることになるオプー。

オプーよ、売れない小説を書いたり、下手くそな笛を吹いたりしている暇があったら、マジで厄払いに行った方が良いぞ。

 

しかし、オプーは、生まれて来た我が子を愛することができない。

この子のせいで妻が死んだのかと思うと、どうしても愛することができないのだ。

5年もの間、いちども我が子の顔を見ることなく、オプーは哀しみを抱えたまま孤独に過ごす。

 

祖父の元で寂しく暮らす我が子を突然訪ねるオプー(けっこう勝手な奴)。

「おまえの父だ」と名乗るのだが、子供はなついてくれない(石を投げられる始末)。

まあ、自業自得である。

おもちゃを買ってあげたり、お話をしたりと、いろいろ試すが子供は心を開いてくれない。

諦めて子供の元を去ろうとするオプーだったが、振り向くと我が子がついてきている。

このあたり、ちょっと「ペーパームーン」な感じで良い。

カルカッタに行けば父さんに会える?」

「会えるとも」

「おじさんは誰?」(まだ父とは認めていない)

「…君の友達だ…」

我が子を抱き上げ、歩き出すオプー。

 

巨匠サトジット・レイ監督は、シリーズ1作目「大地のうた」の崇高さはどこへやら、ここではこれでもかとメロドラマを描いてみせる。

2作目の「大河のうた」がヒットしなかったので、「わかりました!売れ線で行けば良いんでしょ!」と逆ギレした可能性もあるな“笑”。

メロドラマに寄せた分わかりやすく、それなりに面白くなっている。

3部作のシメとしては良いのではないか。

映画史に残る傑作の「大地のうた」と比べるのは酷かな。