▶4時起床。
よく眠れなかったなぁ…。
年を取ると、こういう日が多くなる。
ぼんやりと珈琲。
『ラウンドヘイの庭の場面』(1888)
映画史的にはかなり有名かつ重要なフィルム。
長さはわずか2.11秒しかないが、ここには映画の楽しさの基本がつまっている。
写真が、過去の時間が目の前で動くと言うことは、驚異的なことだ。
いま思ったのだが、ここに写っている人たちがタイムループの只中にいるのだとしたら、かなり怖いな。
2秒ちょっとじゃどうすることも出来ない。
未来永劫、ひたすら庭の一角を廻り続けるしかない…。
ちなみに、左端の、羽根飾りのついた帽子を被って、回りながら奥へ移動している女性は、この撮影の10日後に亡くなったらしい。
偶然だろうけど、ちょっと怖い。
▶朝食は、いつものように蕎麦。
トッピングは薬味のネギだけ。
食後、本を返しに図書館まで歩く。
図書館までは歩いて5分くらいで、わたしが引っ越したくない理由のひとつが、この図書館までの近さである。
途中、家が壊され空地が出現していた。
その空地に、もともと何が建っていたのか、まったく思い出せない。
図書館で、見覚えのある人を見かける。
知り合いではない。
どこかでよく見る人なのだが、どこで見かけるのかが思い出せない。
年をとると、思い出せないことばかりが増える。
家に戻る途中で、「あっ、コンビニの店員さんだ!」と思い出す。
少しすっきりする。
空地に何が建っていたのかは、まだ思い出せない。
▶1週間ほど前から新訳版の『DUEN/砂の惑星』を読んでいる。
さいしょに読んだのは中学生の頃で、表紙が石ノ森章太郎のイラストだった。
冒頭の50ページを読んだだけで挫折しそうになった。
著者の作った固有名詞がなんの説明もなく頻出し、そのうえ文章がアクロバティックに難解だったのだ。
途中で投げ出すのも、なんか負けた感じがして嫌で、クラスメイトでSF好き(そしてかなりスケベ)な中川くんと謎解きをしながら読んでいった。
読み終えるのに3か月くらいかかったのではないか。
ラストの一行に辿り着いたときには、いささか感動したが、壮大な物語に感動したと言うよりは、難しい本をなんとか読み終えたという感動のほうが大きかったような気がする。
読み終わった日には、中川君の部屋で、ふたりでコーラとあんぱんでお祝いをした。
年をとると、こういう古い思い出ほど鮮明に思い出す。
いっしょに『砂の惑星』を読んだ中川くんは、すでにこの世のひとではない。
「腹上死が、おれの夢だ」と言っていたが、可愛い子供と妻に看取られながら、病院のベッドの上で亡くなった。
人生、なかなか思い通りにはいかない。
▶ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『DUNE 砂の惑星 Part1』を観る。
素晴らしい。
原作の、ちょうど前半部分。
ティモシー・シャラメは、主人公ポールそのままだ。
母親のジェシカに少し違和感。
悪くはないのだが、原作の雰囲気とは何かが少し違う。
それにしてもドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、世界観のつくり方が抜群にうまいなぁ。
「ブレードランナー2049」を観たときにも感じたことだが。
▶寝る前に、何かを思い出しそうになって、しばらく頭の中を見つめていたのだが、何も思い出さない。
そもそも何を思い出しそうになったのかが、わからないw。
まっ、たいして重要なことではないのだろう。
夢の中で思い出すかもしれない。
起きたら忘れているだろうけど。