単純な生活

映画・音楽・読書について、だらだらと書いている

ありふれた日常 #49 / 腰痛…

 

▶いつものように5時過ぎに目覚め、よいしょっと起き上がろうとするも、うまく起き上がることができない。

起き上がるためには腰を捻らなければならないのだが、痛くてそれができない。

毎年1月と7月、半年にいちどこういう状態になる。

 

蒲団の上でなんとか四つん這いになり、両腕の間に左足を入れる。

クラウチングスタートの姿勢。

左手を左足の膝に置き、ぐっと下に押しながら体を持ちあがる。

右手を壁につき身体を支える。

立ち上がることができればしめたものである。

そろりそろりと移動し、妻に緊急事態を伝える。

妻の手をかりながら、かねて用意のガードナーベルト(腰痛持ちの必需品である)を腰に装着する。

ふぅ。

少し楽になる。

キッチンの椅子に坐り、整形外科でもらった薬(ソレトン)を2錠飲み、効いてくるのを待つ。

それほどきつい痛みではないので、薬が効いてくれば動けるようになるだろう。

 

医者に行くかどうか少し考え、今日のところは様子をみることにする。

どうせ医者に行ったところで、出されるのは痛み止めの錠剤と湿布薬だけなのだ。

これだけ医学が進歩しているにもかかわらず、腰痛の根本的な治療薬は未だにできていない。

椎間板ヘルニアなど骨に以上のある人は手術という最終手段があるが、筋肉からくる腰痛には、痛み止めなどの対処療法しかないのである。

わたしの友人に同じような腰痛持ちがいて、あまりの痛みにMRI検査まで受けたのだが、医者からは「これと言って異常はないですね」と言われてしまった。

異常がないのになぜ痛い?

いちど漢方の医者に「血流が滞っているのです」と言われたが、ずーっと血流が滞っているってどう言うこと?

などとウダウダ考えていたら薬が効いてきて、(こわごわとではあるが)なんとか動けるようになった。

 

 

▶朝食は、妻が焼いたパンケーキと珈琲。

いつもは蕎麦を食べるのだが、蕎麦はすするときにどうしても前傾姿勢になるので怖いのである。

背筋をピシッと伸ばしたままパンケーキを食べる。

これはこれで、なかなか辛い。

 

 

▶安静にしているだけじゃなく、動かしながら治すと言うのが最近の腰痛治療のトレンドらしいが、さすがにすぐに動かすのはこわいので、ひたすら寝て過ごす。

寝ながら映画。

何を観るか迷ったが、アマプラで配信が始まった『ゴジラ-1.0』を観ることにする。

うーむ。

これはPADで観るような映画ではないなぁ。

映画館のでっかい画面で観るべき映画だ。

監督の演出には賛否あるようだが(説明台詞が多い、佐々木蔵之介の過剰な演技等)、映画館で観るべき映画を作った時点で百点をあげても良いと思う。

PADで観ても、じゅうぶん面白かった。

 

 

ゴジラを観終わったあと、夕食までうつらうつらと過ごす。

痛み止めを飲んでいるせいで胃が気持ち悪い。

夕食は、軽く蕎麦にする。

夕食後も、なにもする気が起きず、寝床のなかでダラダラと過ごす。

何もしてないにもかかわらず疲れた感じがして、眠気が襲ってくるのは不思議だ。

腰の状態が、明日は少しでも良くなっていることを祈りつつ(もはや祈ることしかできない)、眠りにつく。

 

読んでから観る! #2 / 『ある男』

 

A : 読む  『ある男 / 平野敬一郎著』

 

弁護士の城戸は、かつて離婚裁判を担当した谷口里枝から奇妙な依頼を受ける。

さいきん不慮の事故で亡くなった夫大祐の身元を調べてほしいと言うのである。

里枝は、前夫と別れてから子連れで大祐と再婚した。

再婚した夫との間には娘もできて幸せにくらしていたのだが、大祐が仕事中の事故で急逝する。

亡くなったあと、夫とは長らく疎遠だった義兄が訪ねて来るのだが、遺影を見るなり「これは大祐ではない」と言い出したのだ。

ちゃんと戸籍も存在し、婚姻届けも受理されているにもかかわらず、夫はどうやら“谷口大祐”ではないようなのである。

では、谷口大祐と名乗っていたのは、いったいどこの誰なのか…?

 

小説はミステリー仕立で進むが、けしてミステリーではない。

亡くなった夫が、ほんとうはどこの誰だかわからない、と言うのはじつに魅力的な謎だが、小説の主眼はそこにはないので、魅力的な謎が解明されるときのカタルシスを求めてこの小説を読むと、おそらくちょっとがっかりする。

人が生きる上で背負っている属性(人種とか性別とか職種とか年齢とか)をすべて取っ払ってもなお残るものは何か?

そして、そういう属性をすべて失くしても人はその人を愛することができるのか?

作品ぜんたいに、そういう重たいテーマが流れていて、ミステリー仕立ゆえに軽く読めるが、読後感はけして軽くはない。

 

 

A : 観る  『ある男 / 石川慶監督』

 

2022年。

監督は、石川慶。

謎の男を窪田正孝、その妻里枝を安藤サクラ、弁護士城戸を妻夫木聡が演じている。

 

けっこうキツイ映画だった。

小説を読んでいるときには、それほどくっきりとは浮かんでいなかったキャラクター像が、俳優の演技によって現実のものとして目の前に現れてくる。

小説では若干観念的すぎた(とわたしには思えた)人物たちが、映画の中では生身の人間として動いている。

たとえば小説の中で、里枝は泣いたと100回書かれるより、安藤サクラのひと粒の涙のほうがはるかにリアルで、ぐっとくるのである。

 

原作の中に、韓国や中国に対して軽く差別意識をもっているバーのマスターが出てくる。

小説で読んでいるかぎりはたいして気にもならない人物なのだが、映画で生身の人間としてリアルな形を与えられた途端に、マスターの(と言うかナチュラルに差別意識を持っている人の)気持ち悪さが際立つのである。

 

気持悪いと言えば、物語りのキーマンとなる小見浦憲男という初老の男を榎本明が演じているのだが、これが原作よりも数十倍気持ち悪いのである(原作でも気持ち悪い人物なのだが)。

小見浦は、ある犯罪で服役中なのだが、面会に来た城戸に対して開口一番「先生、在日でしょ?」といきなり言うのである。

じっさい城戸は在日三世なのだが、小見浦がその発言をした時のなんとも言えない嫌な空気感は、原作よりも映画の方がよく捉えている。

活字とはちがう、映像だけが持ち得る力。

 

小説の途中で、城戸の心情を表すとんでもないエピソードが描かれるのだが、映画ではそれをラストにもってきて、スパッと終わらせている。

凄いな、と感心した。

 

ありふれた日常 #48 / 塔は基本奇数です

▶5時に起き、いつものように苦くて熱い珈琲で目を覚ます。

珈琲を飲みながら、スマホSpotifyをチェック。

ニール・ヤングのアルバムが大量に投下されていて驚く。

ヤング師匠は、Apple MusicやSpotifyなど音楽配信サービスの音質を気に入っておらず(と言うか、音質の劣悪さに怒りさえ表明しており)、そういうサービスへの曲提供を頑なに拒み続けてきたひとである。

それがいきなり、ほぼすべてのアルバムがアップされている…。

ヤング師匠に、どういう心境の変化があったのだろう…?

老境に入り、気持がまるくなったのか…?

経済的に苦しくなったのか…?

もしかして、死んじゃうのか…?

心配だが、とりあえず大好きな『Harvest』(1972)を聴く。

Harvest

Harvest


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“1キロ先からでも彼だと判る”と言われたボーカル。

 


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みんな若い。

太る前のリック・ダンコは、やっぱイケメンだわ。

シルエットだけでジョニ・ミッチェルだとわかるのが面白いw

 

 

▶妻が起きてきたので一緒に朝食。

その後、駅前のミスドで2時間ほど読書。

『鬼の筆 ~戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折 / 春日太一』を半分ほど読む。

 

『生きる』『七人の侍』『砂の器』『八甲田山』『切腹』』日本のいちばん長い日』等々、橋本忍は数多くの名作を作っているが、脚本家としての最高傑作は『砂の器』だと、わたしは思っている。

 

四季の移り変わりとともに、日本全国を放浪する父と子の姿を描き出すのが『砂の器』のクライマックスだが、じつはこのシーンは原作にはない。

松本清張は「本浦千代吉は、発病以来、流浪の旅をつづけておりましたが、おそらく、これは自己の業病をなおすため、信仰をかねて遍路姿で放浪していたことと考えられます」…としか書いていないのである。

あの長い小説の、たった一行を物語のキモだと見抜いた眼力も凄いが、それを映画のクライマックスにまで広げる剛腕ぶりも凄い。

「原作と違うじゃないか!」と文句を言うひともいたらしいが、橋本忍からしたら原作と映画が違うのは当たり前のことなのである。

「原作と同じものを作るんだったら、わざわざ映画を作る必要はないよ」と言う橋本忍の言葉には、映画人としての矜持と覚悟がうかがえる。

原作厨(原作原理主義者)に戦々恐々としているいまの脚本家から、この言葉が出てくるとは思えない。

 

映画は、本を読まないひとのための代替物ではないのだ。

 

 

▶昼食後、二度寝

起きて、Netflixで『ブルーアイ・サムライ』を4話まで観る。


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アメリカの監督が作った、日本を舞台にした復讐譚。

めっちゃ面白い。

とくべつ妙な日本描写もない、と言うか、なんの違和感もなく観ることができる。

(四重の塔らしきものが出てきて、ん?ってなるが…塔は基本奇数です)

殺陣も素晴らしい。

海外でも好評だったようでシーズン2の制作が決定したらしい。

 

 

▶夕食後、『鬼の筆』の続きを読む。

寝る前に読了。

橋本忍が脚本を書いた映画をすべて観たくなった。

ちょっといい映画 #1 / 兄弟愛がテーマの作品3本

 

▶1本目:『お盆の弟』(2015)

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監督は「キャッチボール屋」の大崎章

脚本が「百円の恋」(傑作!)の足立紳

渋川清彦、光石研、河井青菜、渡辺真紀子、田中要次など、出演者全員が芸達者なバイプレイヤーである。

 

売れない映画監督のタカシ(渋川清彦)は、親友のシナリオライター(ほぼ無名)藤村とともに再起をかけて日々もがいているのだが、なかなかうまくいかない。

妻からは別れを切り出され、しかたなく別居して、大腸癌の手術を終えたばかりの兄(光石研)と実家でふたり暮らしをしている。

そんなある日、藤村から合コンの誘いがあり、いやいや出席したタカシだったのだが、そこで涼子(河井青菜)という女性を紹介される。

そして、涼子の存在が、タカシのぐだぐだの日々にちょっとしたドラマを生むのである…。

 

実家で暮らす兄と弟、ふたりの距離感がたまらなく良い。

仲が極端に悪いわけでもなく、かと言ってべったりと仲良しでもない。

ふたりともけっこうな大人なので、それぞれに悩みがあり、歩んできた人生がある。

そこに踏み込んだり、踏み込まなかったり。

 

タカシは、けして悪い奴ではない。

いわゆるクズ男ではなく、根は真面目で優しいのだが、どこかもう一歩頑張り切れないところがあって、観ていてちょっといらいらする。

そういうキャラが、演じている渋川清彦がかもし出すキャラと合っていて、良い配役だなぁと思った。

ラスト、変なタイトルの意味がわかる。

 

 

▶2本目:『犬猿


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ヤクザな兄(新井浩文)と真面目な弟(窪田正孝)。

堅物の姉(江上啓子)とノーテンキな妹(筧美和子)。

二組の兄弟姉妹が繰り広げる愛憎劇である。

いちおうコメディってことになってはいるが、内容はなかなかシリアスで笑ってばかりもいられない。

相手への嫉妬や憧れ、愛情と嫌悪……時に罵り合い、時に笑い合う。

兄弟姉妹故の、他人とは違う面倒くささのようなものを見事にすくいとっている。

江上敬子(ニッチェ)の演技のうまさに驚く。

 

 

▶3本目:『東京兄妹』(1995)


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監督は市川準

緒方直人、粟田麗主演。

都電が走る東京の下町が舞台。

両親を亡くしたあと、ふたりきりで暮らす兄と妹の慎ましい日常を淡々と描く。

“慎ましい”とは言っても、多くのひとの人生がそうであるように、ふたりの生活にもそれなりにドラマはある。

兄は恋人にふられ、妹は兄の友達と付き合うようになり、家を出て同棲をはじめたりする。

ふたりの上を同じように流れていた時間が、少しずつ微妙にすれ違い始める。

ラスト、妹の上に流れはじめた妹だけの時間を、兄が認めるシーンが素晴らしい。

 

 

 

▶以上、兄弟愛をテーマにした邦画3本。

「凄い!」と叫ぶほどの大作ではないし、「映画史に残る!」と言うほどの大傑作でもないけれど、観るとちょっとだけ人生が豊かになる…そんな3本です。

 

 

ありふれた日常 #47 / 外は寒いので今日は一日おうちで映画を観て過ごそう

 

▶いつものように早朝5時に起き、熱くて苦い珈琲を飲み、しばらくYouTubeを散策し、「まだまだ外は寒いので、今日は一日おうちで映画を観て過ごそう」と決める。

どうせなら、できるだけ多く観よう。

 

で、さっそく1本目。

クリスマス映画なので、観る時期を逸した感が強いけど、『バイオレント・ナイト』(2023)。

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  • デヴィッド・ハーバー
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仕事(良い子たちにプレゼントを配る)に少々疲れているサンタクロースが主人公。

煙突から入った屋敷で、武装した強盗団といやいや闘うはめになる。

予想以上に面白かった。

サンタの持っている超能力が、煙突から自由に出入りできることくらいしかないのが良い。

強盗団の人質になっている“良い子”の少女の助けをかりながら、ひとりまたひとりと強盗団を倒していく。

先輩作品「ホームアローン」へのリスペクトもある。

やはり、クリスマスあたりに観ればよかったな。

 

 

▶朝食に、いつものように蕎麦。

今朝は餅を一個乗せる。

のどに詰まらせて死なないように気を付けながら食べる。

食後、二度寝することなく次の映画へ。

 

 

▶続いて『グランツーリスモ』(2023)を観る。

 

レーシングゲームグランツーリスモを死ぬほどやりこんだ青年が本物のF1レーサーになる話。

ほんまかいなと思うけど、実話なんだよなぁ。

これはグランツーリスモというシュミレーションゲームがとんでもなく凄いってことなのかな?

『バイオレント・ナイト』でサンタ役をやったデヴィッド・ハーバーが主人公を育てるメカニックの役で出ている。

面白かった。

 

 

▶余韻にひたる間もなく、次の映画へ。

まあ、あえて余韻にひたるような映画は避けているのだが。

『ザ・フラッシュ』(2023)を観る。

 

DCコミック系のスーパーヒーローもの。

わたしの場合、この手のスーパーヒーローものは、『アベンジャーズ/エンドゲーム』を最後にほとんど観ていないのだが、今作にはバットマン役としてマイケル・キートンが登場するとのことなので、それだけを目当てに観てみたのである。

(わたしにとってバットマンは永遠にマイケル・キートンなのだ)

冒頭から30分ほどはすごく退屈で、観るのをやめようかなぁと思ったのだが、マイケル・キートンが、いささか疲れたバットマンとして登場してからは俄然面白くなった。

やっぱキートンバットマン最高だな。

ストーリーじたいはたいして面白いとは思わなかったんだが、こういうのが好きなひとにはサイコーの話なのかも知れない。

それにしてもジョージ・クルーニーの使い方がめちゃくちゃ贅沢。

 

 

▶続けて3本観ると、さすがに疲れる。

内容の重くない作品ばかり選んで観ているのだが、それでも集中力が限界なのがわかる。

若い頃は、映画を3本ハシゴするなんて楽勝でできたのだが。

少し休憩しようと思い、珈琲を淹れ、ひと口飲む。

次の瞬間、ハッと気づくと30分くらい経っていた…。

机の上の時計が狂っているのかと思って、腕時計やらPCの時計やらスマホの時計やら、すべてでチェックしたが、どれも正確で、ちょっと怖くなる。

珈琲をひと口飲んで、カップを机の上に置いて、ふぅーとため息をついて、ちょっと壁などをぼんやりと眺めて、ふと時計を見たら30分経っていたのである。

いや、マジでびっくりした。

 

 

▶気をとりなおして、静かに昼食。

さいきん妻がビリヤニに凝っていて、今日は牡蠣のビリヤニである。

気を付けないとカルダモンをかみ砕いてしまってウゲッってなる。

食後、少し昼寝。

少しのつもりが、がっつりと3時間ほど寝てしまい、起きたら夕方である。

 

 

▶すっきりとした気分で4本目。

『SISU シス 不死身の男』(2023)を観る。

SISU/シス 不死身の男

SISU/シス 不死身の男

  • ヨルマ・トンミラ
Amazon


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面白くて一気見である。

砂金掘りのじいさん(“ひとり殺戮部隊”という異名を持つ伝説の元特殊部隊員)と、じいさんが見つけた大量の金塊を奪ったナチス部隊との対決。

社会的なテーマなどなにもない。

無敵のじいさんVSナチスの闘いを描くのみ。

尺も90分と短い。

最高である。

 

じいさんは、ジョン・ウィックのように殺人の技術がずば抜けて優れていると言うわけではなく、ただただ生き残ろうとする気迫が凄いのである。

その気迫だけでナチスの戦車部隊を全滅させてしまう。

じいさんがほとんど喋らないのも良き。

犬かわいい。

 

 

▶夕食を終えて、もう1本観ようかと思ったが、さすがに疲れた。

本とか映画とか音楽とか、あと食事とかもそうだけど、年をとるといちどに大量には摂取できない。

それは、ちょっと哀しいことではあるが、なんとか慣れなくてはならないのだろう。

 

天気予報を見ると、明日からは暖かくなるようで、春はすぐそこまで来ている。

競馬好きのわたしは「宝塚記念の日からが春」と決めているので、あと1週間ほどで春なのである。

今年はちゃんと桜を見に行こう(去年はぼやぼやしているうちに散ってしまった)と思いながら、寝る。

読んでから観る! #1 / 『気狂いピエロ』

 

A : 読む  『気狂いピエロ / ライオネル・ホワイト著』

 

アメリカのミステリー作家ライオネル・オワイト(1905-1985)が、1962年に発表した犯罪小説。

ライオネル・ホワイトは、日本ではほぼ無名にちかいが、海外では有名作家のひとりで、いくつかの作品が映画化されている(有名なところではキューブリックの「現金に

体を張れ」)。

タランティーノも、「レザボア・ドッグス」の元ネタ作家のひとりとしてホワイトをあげている(たしかクレジットされてたような…)。

 

主人公のコンラッド・マッデンは失業中のシナリオライター

妻子とともに郊外に暮らしているが、生活は苦しく、経済的な不安と焦燥が頭から離れない。

そんな彼が、アリーという17歳の美少女と出会ったことにより、破滅へと転落していく。

 

物語は、マッデンの一人称一視点で語られる。

マッデンは、アリーの性的魅力に溺れて、破滅的な終着点に向かって、ひたすら転がり落ちていくのだが、そこには一片の“愛”もない。

それはマッデンだけではなく、アリーについても言えることで、お互い自己中心的な欲望だけで行動していく。

 

ミステリー作品としては、飛びぬけて面白いわけではなく、かと言って致命的なキズがあるわけでもない。

この可もなく不可もない出来が、映画の原作としてはぴったりだったのかもしれない。

文庫本で300頁くらいなので、たいして時間をかけずにサクッと読める。

 

 

B: 観る  『気狂いピエロ / ジャン・リュック・ゴダール監督』

 

1965年制作のフランス映画。

監督は、ジャン・リュック・ゴダール

もはや説明の必要もない映画史上に残る傑作。

主演は、ジャン・ポール・ベルモンドアンナ・カリーナ

 

原作は、枠組みだけを残して跡形もなく破壊されている。

まず主人公の設定が微妙に、そして決定的に違う。

原作の主人公は常に経済的な不安を抱えて生活しているが、映画版の主人公は金持ちの女性(パパが石油業界の大物)と結婚しており、原作と同じく失業はしているものの経済的な不安とは縁のない生活をしている。

映画の冒頭から、ベルモンド演じるフェルディナンは、知的でちょっと人生に飽きた感じの男だ。

対する女性のほうだが、これもかなり違う。

原作では17歳の少女で、主人公は友人宅のパーティで初めて出会うのだが、映画版では元カノである(友人宅のパーティで出会うのは同じ)。

 

ふたりでパーティを抜け出して一夜をともにするのだが、その翌朝のシーン。

首にナイフが刺さった状態で男が死んでいる…。

これについて映画ではほとんど説明がない。

ただ、ふたりのモノローグで「複雑な話…急いで…悪夢から逃げる…人間関係…政治…組織…ズラかる…武器の密売…ひそかに、ひそかに…急いで逃げる…南仏へ」語られるだけである。

これで事情が理解できるひとなどいないだろう。

原作では、死んだ男(と言うか少女が殺した男)はマフィアの集金人で、その男が集めて来た金(かなりの大金)を奪ってふたりで逃げるのである。

が、映画版のふたりは、ほぼ無一文で逃げている。

 

車で逃げる途中で、事故車を見つけるふたり。

自分たちの車と一緒に火をつけて、擬装工作をする。

「これで警察も、私たちが死んだと思うわ!」

とマリアンヌ(A・カリーナ)が言うが、いや、それは無理だろう。

しかし、ここでフェルディナン(J・P・ベルモンド)が驚くべきことを口にする。

「車のトランクには、ドル札が入っていた」

「それがあればどこへでも行けたわ」とマリアンヌが文句を言うが、たいして惜しそうでもないのである。

つまり、かれらが逃避行を続けている理由は“愛”であって、金のためではないのだ。

少なくともフェルディナンは、金のためには行動していない。

ここは、原作とは真逆である。

 

車を捨てたかれらは徒歩で逃亡を続ける。

川を渡り…森に入り…

森を抜けたとたん、マリアンヌの服装が変わっているのだが…。

ゴダールさん、やりたい放題である。

 

ガソリンスタンドで、ド派手な車(フォード・ギャラクシー)を奪う。

ゴダール監督、アメ車大好き。

このまま車で逃走するのかと思ったら…いきなり車で海に突っ込んだりするのだ。

 

そして、海辺の保養地でだらだらと暮らし始めるふたり。

フェルディナンは、ノートとペンを手放さず、いつも観念的な日記をつけている。

思索と読書の日々。

そんなかれに退屈し苛立つマリアンヌ…。

フェルディナンは「人生は美しい」と言い、マリアンヌは「かれは人生の美しさを知らない」と言う。

これは、ジャン・ポール・ベルモンド=ジャン・リュック・ゴダールなんだろうねぇ。

われわれは、ゴダールと、ゴダールが愛したアンナ・カリーナ(撮影当時は離婚したばかり)との痴話げんかを延々観せられているのかも知れない。

 

このあたり原作ではどうなっているのかと言うと…逃亡したふたりは、とある町に落ち着き、上品な金持ち夫婦としての身分を作っていく。

銀行に口座を開き、運転免許証を作り、お洒落な服を着て、犬(プードル)を飼って、信用のおける人間として町の人に認知されていくのである。

が、突然破たんが訪れる。

アリー(映画ではマリアンヌ)が、我慢の限界に達し、こんな生活は嫌だ、いますぐ町を出たいと言い出すのである。

町を出て、兄のいる(本当の兄かどうかは疑問)ラスヴェガスに向かうのである。

逃げたラスヴェガスで、現金輸送車を襲う犯罪に加担することになる…。

 

映画は、海辺の街での生活が延々(と思えるほど長く)と続く。

ちょっと理屈っぽくて退屈だなぁと思ってると、冒頭で殺された男(たぶん武器商人)の仲間がふたりの前に現れて、いきなりストーリーが激しく動き始める。


フェルディナンは、マリアンヌが兄と呼ぶ男とともに武器商人の仲間から大金を奪う。

サスペンス映画としては、犯罪の描き方が思いっきり雑で、何がどうなっているのか良くわからない。

まあ、この作品をサスペンス映画として観るひとなど皆無だと思うが。

 

そしてこの犯罪が、衝撃的なラストへと続いていく。

マリアンヌに裏切られたフェルディナンは、彼女と兄を殺す。

 

マリアンヌの死を確認したあと、フェルディナンは自らの顔を青く塗り、あだ名通りのピエロとなり、顔にダイナマイトを巻き付けて、「俺はアホだ」と呟きながら派手に爆死する。

 

 

ラスト3分間の映画的力業。

この3分間によって、この作品は原作(文学)を軽く超えてくるのだ。

 

 

C : 読んでから観た感想

勝ち負けで言うなら、圧倒的に映画の勝ちである。

原作は、読んで三日もすれば内容を忘れるような小説だが、ゴダールの作品は、おそらく一生心に残り続ける。

ミステリー小説と言うのは、そのジャンル的性質上ストーリーの奴隷である(異論は認める)。

魅力的なストーリー無くしてミステリーは成り立たない。

が、ゴダールは、その奴隷的な部分をすべてそぎ落としている。

なので、ストーリーとしてはかなりわかり辛い(と言うか、ほとんど理解できなかったりする)。

ゴダールは、すべてを映像表現のみで語ろうとしているかのように感じられる。

であるからこそ、映画として完璧な作品になったのだろう(異論は認める)。

 

こういう“映像表現を一歩も二歩も先に進めようとした作品”をエンターテインメントの文脈で語ろうとして、「つまらない。観る価値なし」と言い放つひとがいるが(若いユーチューバーとかに多い)、そもそもエンターテインメントではないのだよ。

狭い意味で芸術作品なのである。

 

今回、原作を読んでから観ることで、ゴダールがやろうとしたことが、自分なりにわかったような気がしている。

まっ、その解釈が間違っている可能性はおおいにあるのだが。

 

それにしてもジャン・ポール・ベルモンドの凄さよ。

かれの出ているシーンは、すべて“映画”になっている。

かれの表情、アクション、台詞…すべてが映画そのものである。

 

 

 

ありふれた日常 #46 / 映画は好きだが映画館は苦手だった

 

▶5時に目覚める。

寒い…。

外は風が強いらしく、その音でよけい寒く感じる。

寝床から出たくない。

だけど、よく考えたら寝床からどうしても出なければならない理由が、これと言ってあるわけではないので、しばらくはぬくぬくと過ごす。

 

ぬくぬくとしながらスマホで映画。

大画面で映画を観たいと思わなくなって久しい。

腰痛のせいで映画館の椅子に長時間座ることが出来なくなったと言うのもあるが、誰にも邪魔されずにひとりでひっそりと観るほうが、わたしの性に合っているようなのだ。

もともと映画は好きだが映画館は苦手だった。

見ず知らずの人たちと2時間ちかく同じ空間に閉じ込められると言うのが、どうにも居心地が悪かった。

まあ、映画が始まってしまえば、そんなことはあまり気にならなくなるのだが、映画館に入るには、やはりエイヤッと少し気合をつけなければならなかったのだ。

シネマスクウェア東急、三鷹オスカー、池袋文芸座地下、飯田橋ギンレイホール、吉祥寺バウシアターなどなど…好きな映画館はたくさんあったが、それでもそこへ向かうときには、ちょっとだけ憂鬱になっていたのである。

なので、ビデオなるものが登場したときは純粋に嬉しかった。

わざわざ苦手な映画館に足を運ばなくても、自宅で映画が観れるのである!

しかも、名のみ高くて観ることが叶わなかった名作が自宅で見放題なのだ。

1日に2本くらい観ていたはずである。

が、あれから40年以上経って、いまだに記憶に残っている映画は、ビデオで観た名作ではなく、映画館で観た作品ばかりなのである。

三鷹オスカーのオールナイトで観た『ダーティハリー・シリーズ』とか、新宿のシネマスクウェア東急で観た『フィッツカラルド』とか、新宿ピカデリーで観た『スカーフェイス』とか、岩波ホールで観た『木靴の木』とか、それぞれの作品にそれぞれの想い出がくっついている。

どこの映画館で観たかはもちろんのこと、観たときの気分とか、買ったポップコーンの甘ったるい味とか、休憩時に入ったトイレの匂い(三鷹オスカーは臭かったw)とか、一緒に観に行った友達が喋った感想とか、すべて作品とセットで記憶しているのである。

おそらく死ぬときに思い返す映画は、そういう映画たちなのだろう。

寝床でぬくぬくとしながらスマホで観ている映画は、1年後には観たことすら忘れているのかもしれない。

まあ、それはそれでしかたない。

むしろ、映画にまつわる想い出が、わたしのなかにしっかりと(しかも数多く)残っていることを喜ぶべきなのかもしれない。

死の床で、わたしがひきつったように唇をゆがめたとしたら、それは苦しいからではなく、三鷹オスカーで観たダーティハリークリント・イーストウッドを思い出し、あの笑い方を真似しているからなのである。

 

話がとっちらかってしまったが、今朝スマホで観た映画は、CGバリバリのSFアクション『アリータ:バトル・エンジェル』。

監督は、ロバート・ロドリゲス

 

続編の制作が決定したらしいが、それが公開される頃には、この1作目の内容はすっかり忘れている気がする。

あっ、つまらなくはないです。

 

 

▶映画を観終わってもなお寝床から出たくなくて、だらだらとYouTubeを見て過ごす。

が、おすすめに出て来た映像(と歌)を見て(聞いて)、ふとんから抜け出し正座をして、動画を何回も見直す。


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ひょっとしたらコレが元歌ではないのか、と言うほどの歌唱である。

宇野千代子って人が歌っている。

で、宇野千代子って誰だよ?

ググってもわからず(小説家の宇野千代ばかり出てくる)、謎の逸材にしばし茫然としながら動画を見続ける。

 

しばらく調べて、この宇野千代子と言うひとが高泉淳子と言う劇作家&女優&歌手と同一人物だと言うことがわかった。

わかって、さらに驚いたのだが、高泉淳子って、むかし朝の子供番組「ポンキッキーズ」で少年の格好をしてMCをやっていたひとなんだね。

たまに見てたわ~大人だったけど。

宇野千代子と言うのは、高泉淳子が扮するキャラのひとりらしい。

うーん、表現者って凄いな。

 


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▶けっきょく昼過ぎにのそのそと起き出し、食事をしてから散歩に出る。

妻とふたりで、てくてくと本郷のスタバまで歩く。

店に入り(いつも混んでいる)、なんとか席をみつけて、珈琲とドーナツを注文。

スタバのドーナツはわりと好き。

 

スタバで、マイクル・コナリーの『トランク・ミュージック』を読み終わる。

 

ハリウッドの刑事ハリー・ボッシュ・シリーズの5作目。

1作目で登場し、きわめて重要な役を果たしたFBI捜査官のエレノア・ウィッシュが再登場する。

ハリーにとっては、“運命の女性”である。

エレノアとハリーの今後が気になって、事件があまり頭に入ってこなかった。