単純な生活

映画・音楽・読書について、だらだらと書いている

ありふれた日常 #53 / 菊花賞だな

 

▶5時頃起床。

寝床の中で、グズグズと競馬新聞を眺めて小一時間過ごす。

今日は、菊花賞の日である。

この長距離レースが終われば、年末の有馬記念まで、つるべ落としのように時間が過ぎていく。

文字通り、「あっ」と言う間である。

自分の年齢のことを考えると、有馬記念を楽しめるのは、あと10回くらいか…。

それを考えると、これからの日々が極めて貴重に思えてくる。

まっ、いくら貴重に思えたとしても、ダラダラと過ごすことに変わりはないのだが。

 

うんうんと唸りながら寝床から立ち上がる。

腰痛のせいで立ち上がるまでが大変なのである。

いちど垂直な状態になれば、あとはなんとか動ける。

いつか立ち上がれなくなる日が来るのだろうか?

それを考えると漠然とした不安で胸がつぶれそうになるが、とりあえず熱い珈琲で不安を洗い流す。

朝の苦くて暑い珈琲が美味しければ、その日はそれだけで1ポイント獲得である。

 

 

▶朝食のあと、ムルナウ監督の『最後の人』を観る。

1924年制作のサイレント映画

サイレント映画には付きものの“字幕”が一切ない。

完全に映像だけで観せていく。

 

凄い作品なんだろうけど、その凄さがイマイチわからない。

とうじの映画人が、「この撮り方は凄い!」と思った部分がどこなのか、さっぱりわからないのである。

とうじ革新的だった部分は、後のひとがさんざん使っているので、それを観慣れた身としては、「ここが凄いんですよ」と指摘されたとて、あまり新鮮味はない。

まあ、知識としては理解するが、驚きはない。

ストーリーも、なんかしょぼいし。

天才監督ムルナウに対して、ひどい感想だがw

 

 

▶ルシア・ベルリンの『すべての年、すべての月』(講談社)を読む。

 

先日読んだ『掃除婦のための手引き書』とおなじく、かなり高密度な短編集。

捨て曲がひとつもない。

なぜ、こんなにも凄い作家が、亡くなるまでほぼ知る人ぞ知る的存在だったのか、謎である。

ルシア・ベルリンという作家は、傑作だけを書いて亡くなったわけだ。

凄いな。

 

 

▶今年の菊花賞は、ルメール騎乗のアーバンシック。

レース中継を見ながら、多くのひとが「ルメールかい!」と叫んだはずである。

ダビー馬のダノンデサイルは伸びを欠いて6着に沈んだ。

やはりダビー馬が菊花賞を勝つのはむつかしいのかな(ダービーも菊花賞も勝った馬は、ナリタブライアンディープインパクト、オルフェーブル、コントレイルと錚々たる面子である)。

わたしは、アーバンシック(2番人気-1着)とビザンチンドリーム(9番人気-5着)のワイドを買って撃沈したが、ビザンチン君が良いところまで来てくれて嬉しい。

それにしてもビザンチン君は、相変わらず真っ直ぐ走れないねぇ。

ちなみに菊花賞が終わった時点での、わたしの今年の競馬成績は、的中率16.9%、回収率232.2%で、けして悪くはない(軽く自慢)。

 

 

▶夕食のあと、出汁をとったあとの昆布(冷凍庫に溜めている)で佃煮作り。

いつもはテフロンの小鍋で作るのだが、今回は鉄製の中華鍋で作ってみた。

まず昆布がかぶるほどの水を入れ、そこに酢を入れて煮る。

水分がとんだら、水と醤油、みりん、黒砂糖を適当にぶちこみ、水気がなくなるまでコトコトと煮る。

出汁ガラの昆布で作ると、市販の佃煮より昆布の風味が強くて美味いのである。

 

 

▶就寝前に、西村賢太の『誰もいない文学館』(本の雑誌社)をパラパラと読む。

 

タイトル通り、誰も知らないような物書きについての随筆集。

藤澤清造大坪砂男、村山槐多、尾崎一雄などビッグネームもあるが、倉田啓明、横川巴人、久鬼高治とか、誰?って物書きも多い。

面白いのだが、ひとりにつき5頁という短さは、いささか物足りない。

雑誌連載だったせいかも知れないが、できれば単行本化にさいし加筆して欲しかった。