タイトル : ひともうらやむ
著者 : 青山文平
収録書名 : 『つまをめとらば』
出版社 : 文藝春秋
著者は、この作品が収録された短篇集で 第154回直木賞を受賞。
「ひともうらやむ」は、その冒頭におかれた作品。端整な文体と、見事な構成で読ませる。最後の一行を読んだときに、良質な短編小説に出会えた充実感でいっぱいになる。
では、あらすじを。
★★★
長倉庄平は、藩主を間近で警護する御馬廻り組の番士で、釣術(ちょうじゅつ)の俊傑として知られている。庄平の作る釣針や竿は引っ張りだこで、近頃では隣藩でもその銘が知られるようになっている。
話しは、庄平が出来上がった釣針を携えて、長倉本家の、長倉克己を訪ねるところから始まる。
克己は、本家の惣領息子である。城下の娘たちを惹きつけてやまない端整な顔立ち、剣をとっては目録をとるほどの使い手、人をだますことを知らないし、疑うことが下手。どこから見ても満点の男なのだが、本人はそれを鼻にかけることがない。秀でた資質を気に留めることもなく、どこまでも自由なのだ。
その克己が落ち込んでいる。
「このところ、どうにも気鬱でな」と言う。克己に、最も似合わない言葉だ。
きけば、恋わずらいだと言う。相手は、「世津殿だ」。
世津は、藩の若手の藩士にとっては、生身の恋の相手とは考えられないほどの、憧れの存在である。
父親は、長崎で医術を鍛えた一流の西洋外科医。
世津も、長崎暮らしが長く、そのせいか華やかな雰囲気を身にまとっている。
その世津に、克己が惚れたのである。
縁談の話しはとんとん拍子に進み、まさに美丈夫と美形の、絵に描いたような組み合わせの夫婦ができあがった。
祝言から半年ほどたったころ、竿作りに精を出す庄平のところに、克己が訪ねてくる。
「世津を見張ってくれんか」と言う。
きいてみれば、世津のほうから離縁してくれと言ってきたとのこと。克己は、世津の不義を疑っている。
「世津は飽きたのだ。珍しい渡来のもろもろに囲まれて遊び暮らしていたあいつには、この国はなんとも退屈なのだろう。一年近く経って、もうどうにも我慢がきかなくなったのだ」
克己は、声を震わせ、庄平の前で泣くのである。
庄平は目の前の光景が信じられなかった。あの長倉克己が泣いている。なにをやらせても藩随一の男が、女に別れを持ち出されて泣いている…。
庄平は、不義の確証を得たら世津を切って捨てると言う克己をなんとか諫めて、逆に世津への離縁状を書かせて返した。
竿作りの仕事に戻ろうとしたが、手にはつかない。
やがて、庄平のもとに、克己が世津を人質に寺に立てこもっているという報せが届く…。
ここから物語は、ゆるくカーブを描きながら、思わぬところへ着地する。庄平にとっても、読者にとっても幸せな着地点である。
その幸せな場所から振り返れば、そこに至るための伏線が、前半の各所に、慎重に張られていることがわかる。
見事だと思う。
★★★
◆収録短編集 『つまをめとらば』 について
『つまをめとらば』には、表題作のほか、「ひともうらやまむ」「つゆかせぎ」「乳付」「ひと夏」「逢対」の全6編を収録。
いずれも、武家社会での男女の仲をテーマにしている。
駄作なしの好短編集。
第154回直木賞受賞。
◆こちらも、おすすめ
◇『半席 / 青山文平』
表題作を含む6編を収録。
徒目付組頭の内藤雅之の依頼を受けて、若き徒目付(かちめつけ)片岡直人が事件の謎に挑む連作短編集。
事件の謎は、常に「なぜ?」であり、「どうやって?」でも「誰が?」でもない。
直人が頼まれ御用で求められるているのは、事件のなぜを解き明かすことだ。御番所にしても、評定所にしても、罪科を定め、刑罰を執行するための要件に、なぜは入っていない。
その、なぜを片岡直人は追い求める。
なぜ、年老いた武士は長年の付き合いである仲間にいきなり切りつけたのか? なぜ、家来の侍は、なんの前触れもなく主人を殺したのか?
なぜの向こうには、人間臭い動機が隠されている。
シリーズ化を激しく希望。
◇『鬼はもとより』
こちらは長編小説。
主人公の奥脇抄一郎が、藩札(藩が独自に発行する貨幣)の専門家として、極貧小藩の立て直しに奔走する。時代小説+経済小説+青春小説といった感じ。文章も読みやすく、一気読みは必至。
◇『遠縁の女』
短編集。収録されているのは、「機織る武家」「沼尻新田」「遠縁の女」の3編。表題作の「遠縁の女」が単行本で100頁あり、短篇というよりは中篇。