▶5時に起き、いつものように苦くて熱い珈琲で目を覚ます。
ニール・ヤングのアルバムが大量に投下されていて驚く。
ヤング師匠は、Apple MusicやSpotifyなど音楽配信サービスの音質を気に入っておらず(と言うか、音質の劣悪さに怒りさえ表明しており)、そういうサービスへの曲提供を頑なに拒み続けてきたひとである。
それがいきなり、ほぼすべてのアルバムがアップされている…。
ヤング師匠に、どういう心境の変化があったのだろう…?
老境に入り、気持がまるくなったのか…?
経済的に苦しくなったのか…?
もしかして、死んじゃうのか…?
心配だが、とりあえず大好きな『Harvest』(1972)を聴く。
“1キロ先からでも彼だと判る”と言われたボーカル。
みんな若い。
太る前のリック・ダンコは、やっぱイケメンだわ。
シルエットだけでジョニ・ミッチェルだとわかるのが面白いw
▶妻が起きてきたので一緒に朝食。
その後、駅前のミスドで2時間ほど読書。
『鬼の筆 ~戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折 / 春日太一』を半分ほど読む。
『生きる』『七人の侍』『砂の器』『八甲田山』『切腹』』日本のいちばん長い日』等々、橋本忍は数多くの名作を作っているが、脚本家としての最高傑作は『砂の器』だと、わたしは思っている。
四季の移り変わりとともに、日本全国を放浪する父と子の姿を描き出すのが『砂の器』のクライマックスだが、じつはこのシーンは原作にはない。
松本清張は「本浦千代吉は、発病以来、流浪の旅をつづけておりましたが、おそらく、これは自己の業病をなおすため、信仰をかねて遍路姿で放浪していたことと考えられます」…としか書いていないのである。
あの長い小説の、たった一行を物語のキモだと見抜いた眼力も凄いが、それを映画のクライマックスにまで広げる剛腕ぶりも凄い。
「原作と違うじゃないか!」と文句を言うひともいたらしいが、橋本忍からしたら原作と映画が違うのは当たり前のことなのである。
「原作と同じものを作るんだったら、わざわざ映画を作る必要はないよ」と言う橋本忍の言葉には、映画人としての矜持と覚悟がうかがえる。
原作厨(原作原理主義者)に戦々恐々としているいまの脚本家から、この言葉が出てくるとは思えない。
映画は、本を読まないひとのための代替物ではないのだ。
▶昼食後、二度寝。
起きて、Netflixで『ブルーアイ・サムライ』を4話まで観る。
アメリカの監督が作った、日本を舞台にした復讐譚。
めっちゃ面白い。
とくべつ妙な日本描写もない、と言うか、なんの違和感もなく観ることができる。
(四重の塔らしきものが出てきて、ん?ってなるが…塔は基本奇数です)
殺陣も素晴らしい。
海外でも好評だったようでシーズン2の制作が決定したらしい。
▶夕食後、『鬼の筆』の続きを読む。
寝る前に読了。
橋本忍が脚本を書いた映画をすべて観たくなった。