A : 読む 『ある男 / 平野敬一郎著』
弁護士の城戸は、かつて離婚裁判を担当した谷口里枝から奇妙な依頼を受ける。
さいきん不慮の事故で亡くなった夫大祐の身元を調べてほしいと言うのである。
里枝は、前夫と別れてから子連れで大祐と再婚した。
再婚した夫との間には娘もできて幸せにくらしていたのだが、大祐が仕事中の事故で急逝する。
亡くなったあと、夫とは長らく疎遠だった義兄が訪ねて来るのだが、遺影を見るなり「これは大祐ではない」と言い出したのだ。
ちゃんと戸籍も存在し、婚姻届けも受理されているにもかかわらず、夫はどうやら“谷口大祐”ではないようなのである。
では、谷口大祐と名乗っていたのは、いったいどこの誰なのか…?
小説はミステリー仕立で進むが、けしてミステリーではない。
亡くなった夫が、ほんとうはどこの誰だかわからない、と言うのはじつに魅力的な謎だが、小説の主眼はそこにはないので、魅力的な謎が解明されるときのカタルシスを求めてこの小説を読むと、おそらくちょっとがっかりする。
人が生きる上で背負っている属性(人種とか性別とか職種とか年齢とか)をすべて取っ払ってもなお残るものは何か?
そして、そういう属性をすべて失くしても人はその人を愛することができるのか?
作品ぜんたいに、そういう重たいテーマが流れていて、ミステリー仕立ゆえに軽く読めるが、読後感はけして軽くはない。
A : 観る 『ある男 / 石川慶監督』
2022年。
監督は、石川慶。
謎の男を窪田正孝、その妻里枝を安藤サクラ、弁護士城戸を妻夫木聡が演じている。
けっこうキツイ映画だった。
小説を読んでいるときには、それほどくっきりとは浮かんでいなかったキャラクター像が、俳優の演技によって現実のものとして目の前に現れてくる。
小説では若干観念的すぎた(とわたしには思えた)人物たちが、映画の中では生身の人間として動いている。
たとえば小説の中で、里枝は泣いたと100回書かれるより、安藤サクラのひと粒の涙のほうがはるかにリアルで、ぐっとくるのである。
原作の中に、韓国や中国に対して軽く差別意識をもっているバーのマスターが出てくる。
小説で読んでいるかぎりはたいして気にもならない人物なのだが、映画で生身の人間としてリアルな形を与えられた途端に、マスターの(と言うかナチュラルに差別意識を持っている人の)気持ち悪さが際立つのである。
気持悪いと言えば、物語りのキーマンとなる小見浦憲男という初老の男を榎本明が演じているのだが、これが原作よりも数十倍気持ち悪いのである(原作でも気持ち悪い人物なのだが)。
小見浦は、ある犯罪で服役中なのだが、面会に来た城戸に対して開口一番「先生、在日でしょ?」といきなり言うのである。
じっさい城戸は在日三世なのだが、小見浦がその発言をした時のなんとも言えない嫌な空気感は、原作よりも映画の方がよく捉えている。
活字とはちがう、映像だけが持ち得る力。
小説の途中で、城戸の心情を表すとんでもないエピソードが描かれるのだが、映画ではそれをラストにもってきて、スパッと終わらせている。
凄いな、と感心した。