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短編小説パラダイス #24 / レオ・ペルッツの『月は笑う』

 

タイトル : 月は笑う

著者 : レオ・ペルッツ

 

収録短編集 : 『アンチクリストの誕生』

訳者 : 垂野創一郎

出版社 : 筑摩書房 / 文庫

 

アンチクリストの誕生 (ちくま文庫)

アンチクリストの誕生 (ちくま文庫)

 

 

レオ・ペルッツは、1882プラハ生まれのユダヤ人作家。

第二次世界大戦前は、出す本すべてが好評価の売れっ子作家だったが、戦後は、かつての人気が嘘のように忘れ去られる。

晩年に出版した傑作『夜毎に石の橋の下で』は、出版数も少なく、ほとんど話題にもならずに終わる。

1957年没。

 

「月は笑う」は、「アンチクリストの誕生」と並ぶ、ペルッツの代表的短編のひとつ。

 

では、あらすじを。

 

 

★★★

 

 

老弁護士が語る奇妙な一族の物語……。

 

サラザン家の末裔フレーリヒ男爵は、四十歳のときにある病を発症する。

それは、サラザン家に代々伝わる病であった。

ある夜、男爵の家に泊まることになった老弁護士は、その症状を目にすることになる。

 

「たいそう気味の悪い晩ですね」と彼は言い、空を指しました。

わたしは外を見ました。

「変わったところは何もありませんよ。星の明るい、すばらしく美しい夜じゃありませんか。雲だってひとつもない」

「ええ」男爵の声はかすかに震えていました。「雲がひとつもなくて、月が下界をにらんでいます。ほら、いかにももの欲しげに下をにらんでるじゃないですか」

とつぜん男爵は顔を真っ赤にして歯をくいしばりました。

「ほらごらんなさい。もちろんあなたは笑うでしょうとも。でも笑い事じゃありません。真面目な話です。病なんです。この体には病が潜んでいるのです。血に潜んでいるのです。受け継いだんです」

「何を受け継いだというのです」

「病をですよ。不安を、怖れを受け継いだのです」

「怖れをですって」

「ええ」男爵は窓辺から離れました。「わたしは月が怖いのです」 

 

 

 

男爵が語る一族の歴史は、まさに月との闘いの歴史であった。

フランス革命期、王党派だった曾祖父は、共和国軍に囲まれて籠城していた。

弾薬も尽き果て、同志たちとともに、雨夜の闇にまぎれて共和国軍の包囲を突破して逃げようとした。

しかし、その瞬間、月が雨雲を押しのけて、逃げ遅れた曾祖父の姿を皓皓と照らしたのだ。

曾祖父は敵の銃弾に倒れた。

また、軍人のオリヴィエ・ド・サザランは、野営地で、カルヴァリン砲や榴弾砲で満月を狙って、二時間にわたり発砲させたと言う。

オリヴィエ自身も、天幕の前に腰を据えて、呪いの言葉を吐きながら、ずっしりとした騎兵用ピストルで、夜が白むまで月を撃ち続けた。

そして翌日、かれは天から降ってきた奇妙な石に頭を砕かれて死ぬことになる。

また叔父のひとりは、満月の夜になると、村の教会の祭壇の下に這いこみ、夜通し聖書の唱句を喚いていたと言う……。

 

「わたしの先祖で、サラザン家の運命を月に繋ぐ鎖について、間違いなくわたしよりよく知るものがいた。だがその秘密は幾世紀の堆積に埋もれてしまった。だがオリヴィエ・ド・サラザンはかろうじて知っていた。なぜ月に向けて弾を撃たせたかわかっていた。そしてあのメルヒオール・ド・サラザンは、笛吹きと太鼓叩きをつけて国中に使者を遣わし、大海原の月が新たな罪を犯そうと毎晩顔を出す場所に重い岩盤沈めたものには四ポンドの金に加えて宝石や首飾りを与えよう、と船乗りたちに約束した」 

 

 

男爵は、自らが抱いている月への神秘的な妄想を、その天文学的実体を目にすることで追い払おうと企て、望遠鏡を手に入れる。

そして、その計画は功を奏したかに見えたのだが……。

 

 

★★★

 

 

収録短編集 『アンチクリストの誕生』 について

アンチクリストの誕生 (ちくま文庫)

アンチクリストの誕生 (ちくま文庫)

 

 

ペルッツの生前に出版された唯一の短編集である。

収録作品は、「主よ、われを憐れみたまえ」「一九一六年十月十二日火曜日」「アンチクリストの誕生」「月は笑う」「霰弾亭」「ボタンを押すだけ」「夜のない日」「ある兵士との会話」の8編。

いずれもペルッツらしい奇想に満ちた作品ばかりで、読んでいて楽しい。

訳者の解説も、この作家のことを知るには最適。

 

 

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◇『夜毎に石の橋の下で / レオ・ペルッツ』(国書刊行会

夜毎に石の橋の下で

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ルドルフ二世時代のプラハを舞台にした14の物語。

ひとつひとつ独立した短編として読めるが、内容や登場人物はゆるく繋がっていて、読み進めるにしたがって全体像が見えてくる。

構成が計算されつくされていて見事。

レオ・ペルッツで、おすすめを1冊と言われたら、迷うことなくこれを推す。