タイトル : 弥次郎兵衛と喜多八
著者 : 大泉黒石
収録短篇集 : 『黄(ウォン)夫人の手 / 黒石怪奇物語集』
出版社 : 河出書房新社 / 文庫
大泉黒石(おおいずみ・こくせき / 1893 – 1957):ロシア人の父と、日本人の母の間に生まれる。
母親は黒石を生んで1週間後に他界。
その後、幼少期をロシアやフランスなどの海外で暮らす。
1919年に発表した自叙伝がベストセラーとなり、華麗に文壇にデビューし、その後売れっ子作家となるが10年ほどで徐々に忘れ去られていく。
死ぬまで誰かに媚びることなく孤高を貫いた異色の作家。
では、あらすじを。
★★★
とある小春日和の夕刻、弥次郎兵衛は友人の喜多八を前にして冷酒を飲んでいる。
女房のお千代は外に出ていていない。
いつもは酔うと陽気になる弥次郎兵衛なのだが、今日は様子が違う。
むっつりと黙り込み、ため息ばかりついているのだ。
元はと言えば、喜多八がいけないのである…。
昨日のこと。
喜多八は、弥次郎兵衛の自宅を訪れ、金の無心をした。
どうやら、奉公先の金を費い込んでしまったらしい。
近いうちにも十両の金が必要になる。
貧乏な弥次郎兵衛にとっても十両は大金だが、俺に任せておけと安請け合いしてしまう。
困ったことになったとは思ったけれども、親兄弟も身寄りもない喜多八が、しおれ切っているのを見ていると、つい日頃の癖が出て、「明日の晩までには、なんとか都合してやる。こんな、しみったれな生計でいたって、いざとなりゃ、十両や二十両の端数金(はしたがね)に行き詰まるような俺じゃねえから、まあ落ち着いていろ」強いことを云ったのだ。”
翌日、弥次郎兵衛宅を訪ねた喜多八は、早く十両の金を目にしたくてうずうずしているのだが、弥次郎兵衛はなかなか金を出してくれない。
落ちつけなくなった喜多八は、相手が、先刻から黙然人(もくねんじん)みたように、ただ悠然と構えたっきり、猪口の縁ばかり舐めていることが、腹立たしくなって、
「お前さんみたいに、そういつ迄も人を焦らさなくってもいいじゃねえか。都合が出来たものなら早く出してくれたって、万更罰も当たるめえよ」
と云う風な催促を始めたのだった。
「嘘偽りを言うものか。苦しい思いをして拵えた金だ。少し位はお前の焦れるところも見たくならあ。今出してやるよ」
と言いつつ、弥次郎兵衛は、十両が工面できた奇妙ないきさつを語り始める…。
喜多八に安請け合いはしたものの、なかなか金は作れない。
金を渡すと約束した日の朝、早起きして金策に走ろうとしていた弥次郎兵衛のところに、年の頃四十五か五十くらいの田舎侍が訪ねて来る。
若い娘が一緒である。
この娘が、かつて弥次郎兵衛と情を通じた娘で、どうしても弥次郎兵衛と夫婦になりたいと言ってきかないので、しかたなく連れて来たと言うのだ。
ここから話しがねじれ始め、最後のページに至って、読者は「ええっ?」と驚くことになる。
頭の中が?マークでいっぱいになる。
で、もう一度最初から読み返すことになるのだ。
大泉黒石に奇妙な一本背負いをかまされたことはわかるのだが、それがあまりに奇妙なので、どうも納得がいかないのである。
奇妙な味の短編というのは世の中にたくさんあるが、これはその最たるもののひとつである。
★★★
◆収録短編集 『黄(ウォン)夫人の手 / 黒石怪奇物語集』 について
「戯談」「曾呂利新左衛門」「弥次郎兵衛と喜多八」「不死身」「眼を捜して歩く男」「尼になる尼」「青白き屍」「黄夫人の手」の8編を収録。
現在、手軽に読める唯一の短篇集。
「曾呂利新左衛門」も、怪奇小説と見せかけて、最後に「ええっ? そんな手ありか?」と言わせる異色の傑作。
◆こちらもおすすめ
◇『人間開業』
「人間開業」は、黒石の処女作。
1919年に雑誌「中央公論」に「俺の自叙伝」として連載され、出版されるやベストセラーとなった作品。
「アレキサンドル・ワホウィッチは、俺の親爺だ。親爺は露西亜人だが、俺は国際的な居候だ。」と言うカッコイイ一文で始まる自叙伝は、とても大正初めに書かれたとは思えないほどスピード感に溢れた文体で、ぐいぐい読める。
少年時代に文豪トルストイの近くに住んでいたらしいのだが、本の中では、文豪を変な爺さん呼ばわりしていて笑ってしまう。
たしかに変な爺さんっぽいのだが。
◇