▶『クロノス』(CRONOS)を観る。
1992年制作のメキシコ映画。
「シェイプ・オブ・ウォーター」(2017)でアカデミー賞作品賞と監督賞を受賞したギレルモ・デル・トロ監督の長編デビュー作。
1536年、錬金術師のウベルト・フルカネリは、宗教裁判から逃れるためにメキシコへ渡り、そこで総督御用達の時計師となり、人間に永遠の命を与える、手のひらサイズの仕掛け細工を作成する。
内に昆虫の生命力を宿した、その精密機械をかれは“クロノス”と名付ける。
時は過ぎ、400年後の1937年、ある建物の丸天井が崩れ、ひとりの男が犠牲となる。
大理石のような肌をしたその男は、「時は永遠なり」と呟いてこと切れる。
かれこそが、クロノスを発明した時計師だった。
時計師の残した家財道具はすべて競売にかけられたが、そのなかにクロノスはなかった…。
そして、現代。
消えたクロノスは、古ぼけた天使象の中に隠されて、古道具屋の片隅で眠っていた。
それを店主のヘススが偶然見つける。
ヘススは、老人である。
ヘススは、クロノスを手に乗せて調べていて、この奇妙な機械を起動させてしまう。
クロノスは金色のスカラベのようか形をしているのだが、その脇から昆虫の脚のような針が6本出てきて、ヘススの手に食い込んだのだ。
悲鳴をあげて、クロノスを引きはがすヘスス。
手のひらは血だらけである。
そして、その夜からヘススの身体に変化が生じる。
身も心も若返った感じではあるが、異常に喉が渇き、血への渇望が始ったのだ…。
ホラーと言うより、ダーク・ファンタジーといった感じの作品。
ヘススはクロノスによって吸血鬼となるのだが、ぜんぜん怖くない。
まず誰かを襲って血を吸ったりしない。
妻と孫娘を愛する、善良な老人のままなのだ。
むしろ吸血鬼的な存在になったことに対して恐怖すら感じている。
グァルディアという大富豪の老人が出てくる。
病床にあるかれは、永遠の命を求めて伝説のクロノスを探している。
そして、甥のアンヘル(ロン・パールマン)の協力で、ついにクロノスがヘススのもとにあることを突き止める。
で、ヘススの手からクロノスを奪おうとするのだが、これが老人同士の対決なので、まったく迫力がないのだ。
グァルディアは杖をついているし、ヘススはなんだかヨタヨタしている。
多くの吸血鬼映画では、吸血鬼は人間離れした能力を示し、迫力のあるアクションを見せてくれるのだが、この作品ではそういうアクションシーンは皆無だ。
唯一元気なのは甥のアンヘルだが、かれもヘススひとりにけっこう苦戦する。
グァルディアにいたっては、ヘススを助ける幼いアウロラの一撃でかんたんにやられてしまう始末だ。
そういうわけで、この作品を吸血鬼映画として観るとかなり失望するが、老人映画として観ると、なかなかの出来なのだ(“老人映画”というのは、わたしが勝手に作った映画ジャンル)。
老人映画には、死への言及が不可欠なのだが、この作品にはそれがちゃんとある。
ヘススは、永遠の生命を手に入れて死から逃れられたわけだが、そのことに恐怖を覚えて苦悩する。
死は、老人であるかれにとっては救いでもあるということが、死を手放してはじめてわかるのである。
まあ、いくら永遠の命を手に入れても、吸血鬼になっちまったら、さすがに嫌だよねぇ。
肌も大理石みたく真っ白になっちゃうわけだし…。
ヘススの姿がどう変化しようと、最後までヘススを思い続ける孫娘のアウロラ。
ひとことも言葉を発しない彼女の愛によって、ヘススは救われるのだ。
ラストシーンは、宗教画を思わせる。
▶ Vashti Bunyan の『Just Another Diamond Day』(1970)を聴く。
アシッド・フォークの名盤のひとつ。
アシッド・フォークってのが、いまいちよくわからん。
いちばん有名な曲はこれかな。
いろんなひとがカバーしている。
▶気になっていたスイーツを、珈琲とともに。
丸いカステラ生地の間に、適度な甘さのホイップクリーム。
ヤマザキパン謹製。
ぐへへっ(甘くて美味しいものを食べたときに出る満足の声)。
ちなみにコーヒーカップは、かなり前にスタバで購入したデミタスカップ。
このカップ以外使わなくなったほど気に入っている。