▶ 『はなればなれに』(Bande à part)を観る。
1964年制作のフランス映画。
監督は、ジャン=リュック・ゴダール。
ゴダールを観るときは、いつもちょっと身構えてしまうのだけど、なんでだろう。
パリの英語学校で出会った3人の男女(男2+女1)。
ちょいワルのアルチュール(クロード・ブラッスール)とフランツ(サミー・フレー)、北欧から叔母の住むパリにやってきたオディール(アンナ・カリーナ)。
オディールの叔母の家に大金があることを知ったアルチュールとフランツは、気のすすまないオディールを巻き込んで、金を盗む計画をたてる。
ちょっとコメディタッチのサスペンス映画。
カフェでのダンスシーンが有名。
ときおり音楽をぶった切って、ゴダールのナレーションが入る。
観てる者を確信犯的に混乱させようとする。
それにしても、アンナ・カリーナの美しさ&可愛さときたら!
そりゃあ、ゴダールも惚れますわね(とうじアンナはゴダールの妻)。
こちらは、フランスのサイトで見つけた撮影風景の映像。
バックに流れているのは、映画で流れていたミシェル・ルグランのオリジナル曲ではなく、ジョン・リー・フッカーのブルース。
映画の冒頭でフランツが『シェルブールの雨傘』のテーマ曲を口ずさむ。
「シェルブール…」の音楽はミシェル・ルグランが担当していて、監督はジャック・ドゥミで、ジャック・ドゥミの妻がおなじく映画監督のアニエス・ヴァルダで、アニエス・ヴァルダの代表作のひとつ『5時から7時までのクレオ』にはアンナ・カレーナと、たしかゴダールも出演している。
よーするに、ヌーヴェルヴァーグの人たちは仲が良かったわけだね。
それを知った上で、アニエス・ヴァルダの遺作『顔たち、ところどころ』(2017)を観ると、ラストのヴァルダの涙と哀切さが胸に迫る。
ミラボー橋の下をセーヌは流れるのだ。
ストーリーは陳腐でたいしたことはない。
この映画の魅力は、パリの美しい風景であり、ストーリーとは関係なく挟み込まれるディティールの楽しさだ(ダンスシーンもストーリーとはあまり関係ない)。
なんかタランティーノ的、って言うか、タランティーノがゴダール的なのか?
タランティーノは、この映画が大好きで、自分の制作会社の名前を「バンド・アパート」にしているし。
ゴダールの映画は、敬遠されがちだけど、この『はなればなれに』は想像している100倍はチャーミングな映画なので、ぜひ!
▶ 小川典子の『Takemitsu - The Complete Solo Piano Music』(1996)を聴く。
武満徹のピアノ作品集。
良いですねぇ。
できれば雨の日に聴きたい(まあ、晴れの日でも良いけど)。
▶ さいきん、映画関係のブログをいくつか読んでいて気になった言葉…。
「モノクロの映画なので、つまらないんじゃないかと心配だったけど、大丈夫でした」とか、「モノクロ映画だけど、面白かった」とか、「モノクロなので、眠くなるんじゃないかと思ったが、そうでもなかった」とか、“モノクロ映画” 対するマイナス・イメージって何なのか?
モノクロってだけで、その作品を敬遠している人が、けっこういるってことだろうか?
「市民ケーン」も「天井桟敷の人々」も「七人の侍」も「東京物語」も、モノクロだから観ていないってことだろうか?
わたしは、画面の美しさはカラーよりモノクロの方が、サイズ的にはシネスコ(横長)よりはスタンダード(昔のテレビ画面)の方が美しいと思っている。
色がどうこうって言うより、構図的にかっちり決まっている感じがして好き。
まあ、このへんは結局好き嫌いになるわけだけど。
「モノクロ映画 = 古くてつまらない映画」という間違ったイメージを多くのひとが持っているのだろうか?
だとしたら、もったいないことだ。
面白い映画がたくさんあるのになあ…。
と、ジジイは、そっとため息をつく。