▶休日。
にもかかわらず5時起床。
早く起きても、これと言ってやることはなし。
チック・コリアの「Children's Songs」を聴きながら、珈琲を飲む。
まあ、終日なにもやらなくても良いかな、って気分になる。
▶アーサー・C・クラークの短編集をずっと読んでいる。
タイトルにもなっている「太陽系最後の日」を初めて読んだのは、中学2年の夏休み。
中川くんというSF好き&とてもスケベな友人に借りた。
とんでもなく暑い日だったのだが、読み終わるまで暑さはまったく感じなかった。
そして、読み終わったときには、りっぱなSFファンがひとり出来上がったいたのである。
いったい誰の責任なのか? 三日間というもの、その疑問がアヴェロンの脳髄を去らなかった。そして答えは、いまだに見つかっていない。もっと文明度の低い、あるいはもっと感受性の鈍い種族の出身であれば、そんな疑問に心をさいなまれることもなく、運命のなすことはだれの責任でもないのだ、といいきって納得していただろう。
クラーク初期の傑作は、こういう一節で始まる。
アヴェロンというのは、自ら大宇宙の貴族を任じている種族のひとりである。
いま、あと数時間で新星爆発を起こしてしまうある恒星系に向かって船(S9000号)を急がせている。
その太陽の第三惑星には、知的生命体が存在するらしいのである。
われわれはいま、ある恒星に近づいており、それは新星と化そうとしている。爆発は七時間後に起きるから、一時間の誤差を見こむと、探検に残されたのは、最大でわずか四時間ということになる。破滅に瀕している星系には十個の惑星があり――その三番めには文明が存在する。その事実が発見されたのは、ほんの数日前にすぎない。その悲運の種族と接触し、可能であれば、その成員の一部を救出するのが、われわれに課せられた悲しむべき任務である。
その悲運の種族とは、もちろん地球人類のことである。
アヴェロンたちが訪れたとき、すでに地球の海は太陽の熱によって沸き立ち、森林は焼き尽くされ、都市は破壊され、生命の姿はどこにもなかった。
アヴェロンたちの到着は、遅すぎたのだ。
アヴェロンは、この世界で生命を見つける望みをすっかり捨てていた。S九〇〇〇号は、一ヶ所に長くとどまらず、注意を惹きつけるために、たびたび降下しながら惑星を半周した。反応は皆無だった。地球は完全に死に絶えているようだった。もし住民が生き残っているとしても、救いの手の届かない地下の深みに隠れているにちがいない、とアルヴェロンは思った。
ひとつの知的生命を救えなかった後悔を抱きながら、S9000号は地球を離れる。
しかし、謎が残る。
地球に残された電波塔が、宇宙のどこかに向けて地球終焉の様子を発信し続けているようなのである。
いったい誰に向けて送信しているのか…?
S9000号は、謎を解明するために、電波が送信されている方向へと舵をきる。
やがてアヴェロンたちは、自分たちが目にした事実に驚愕することになる…。
ラストは書かないが、いかにもクラークらしいラスト。
読み終わったあと、興奮冷めやらぬ私は、さっそく中川くんに電話。
1時間ほど、クラークがいかに凄い作家かというレクチャーを受けたあと、クラークの「地球幼年期の終わり」とアシモフの「銀河帝国の興亡」を借りることになった。
まあ、ついでに(どうしても借りてくれと言うので、しかたなく)、平凡パンチも何冊か借りたのだが、それはまた別の話だ。
舞台はテキサス。
貧しく、荒涼とした街の風景をカメラが映していく。
現代版西部劇と言った感じだ。
農場を守るために銀行強盗を繰り返す兄弟(クリス・パインとベン・フォスター)。
それを追うのが、引退間近のテキサス・レンジャー(ジェフ・ブリッジス!)とその相棒。
主要な登場人物はこの4人だけで、物語りもきわめてシンプルなのだが、観始めると目が離せなくなる。
脚本が、『ウィンド・リバー』のテイラー・シェリダンなので、かなり暗い感じの作品かなあと、少しびびりながら観たのだが、それほどでもなかった(暗い映画は苦手なのだ)。
ラストの余韻…。
音楽も良い。