単純な生活

映画・音楽・読書について、だらだらと書いている

ありふれた日常 #14 / ジョン・レノンの命日

 

▶4時に起きる。

珈琲を飲みながら、Netflix配信の『First Love 初恋』の第1話を観る。


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主演は、満島ひかり佐藤健。監督は、寒竹ゆり。

こういうドラマは、登場人物たちすべてに幸せになってほしい。

ほろ苦い終わり方とか、ブルーになる結末とかはマジでいらない。

 

6時過ぎにゴミを出しに外へ出てみると、電柱にカラスが1羽。

見回すと、他にも3羽ほどが木の枝やちかくの家のベランダなどから下を睥睨している。

誰か死ぬのか?

かれらが待っているのは、わたしの死なのか?

じっと見ていると、カラスもこちらを見ている。

カーッと、なんだかバカにしたように鳴かれた。

 

 

▶朝食のあと少し眠る。

起きて、映画を1本。

ホアキン・フェニックス主演の新作『カモン・カモン(C'mon C'mon)』(2021)。


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監督はマイク・ミルズ

良かった。

他人とのコミュニケーションにやや難ありの少年ジェシーと、ラジオ・ジャーナリストの伯父ジョニーの、やむを得ず始まった共同生活を描く。

共同生活をすることによってお互いに影響を受け合い、その生き方が変わっていく。

ありがちな設定だし、少し予定調和的な結末ではあるけれど、その予定調和な感じがわたしを幸せにしてくれる。

予定調和バンザイ。

それにしても、ジェシー役のウッディ・ノーマンくんの演技が凄い。

ホアキンと対等に渡り合っている。

モノクロの映像もリアリティ感を強めるのにひと役かっているね。

しかし、ほぼ会話劇で、ドラマティックな盛り上がりもないので、退屈なひとにはかなり退屈な映画だろうなぁ。

 

 

音楽をThe National のデスナー兄弟が担当している。


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美しい…。

 

 

▶この日記めいたものを書いている時点で、今日は12月8日である。

世界史的には、日本が真珠湾を攻撃してアメリカにけんかを売った日であるが、私的にはジョン・レノンが銃弾に倒れた日である。

 

1980年12月9日(アメリカ東部時間で12月8日夜)。

その日、夕方に仕事を終えたわたしは、ラーメン屋で炒飯と餃子を食べ、とうじ毎日のように通っていた貸本屋に寄ったのだった。

そこで、店主から「ジョンが撃たれて亡くなったらしい」と聞かされたのだ。

店主はなぜかニヤニヤ笑っていた。

にわかには信じ難かった。

あのジョンが撃たれる?

誰に?

敵などいないだろう…?

わたしは半信半疑のまま、これもとうじ行きつけだった喫茶店に顔を出した。

そこはマスターが大のビートルズ・ファンで、終日ビートルズをながしているような店だった。

そこのマスターなら、詳しい情報(と言うか、真実の情報を)なにか知っているに違いないと思ったのだ。

ドアを開けると、レッドツェッペリンの重いビートが耳を打った。

この店でツェッペリンがかかることなど、めったにないことだ。

マスターをみると、怒ったような顔で珈琲を淹れている。

わたしはカウンターに座り、珈琲を注文した。

いつも陽気なマスターは不愛想なままで、店内にはツェッペリンが流れ続けている。

“声をかけるな”と言う強烈なオーラを背中から発しているマスターを見ながら、わたしはジョン・レノンが亡くなったことを確信した。

その後、マスターと会話をできたのかどうかは記憶にない。

なにを思い、どうやってアパートに帰ったのかも記憶にない。

翌日は仮病をつかって仕事を休んだ。

休んで何をしていたかも記憶にはない。

 

わたしは22歳だった。

ジョンが亡くなった年齢の40歳は、はるか先で、現実感のない年齢だった。

気がつけばわたしはジョンの享年をとっくに越え、いたずらに年を重ねて今に至る。

それを思うと、だらだらと生きてきた自分が少し恥ずかしくなる。

ジョンに笑われているような気がする、などと書くのは感傷的すぎるか。

 

ジョンは、いまでもわたしの先を歩いている。

わたしが、いくら速足で歩いてもたどり着けないところを、悠々と歩いている。

今夜は、久しぶりにジョンのアルバムを聴きながら寝ることにしよう。

亡くなったとうじは冷静に聴けなかった「ダブルファンタジー」にも耳を傾けてみよう。

 

ジョンが亡くなってしばらくしてから、自販機で緑茶を買った。

缶の側面に、俳句が一句のっていて、その句をいまでも覚えている。

「冬の日に ジョンの眼鏡は 晴れている」