▶どうにも眠れず、3時半に起きる。
寒い。
熱い珈琲を飲みながら、ぼんやりと過ごす。
眠いのだが、睡魔はやって来てくれそうにない。
難しい本を読めば眠れるかなと思い、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を手に取る。
かえって眠れなくなってしまう…。
ドストエフスキーの小説の登場人物たちって、なぜこうも元気なんだろう?
すべてのひとが全力疾走なんよ。
感情の全力疾走。
そのパワーに煽られて、こちらまでテンションがあがってしまう。
で、なおさら眠れなくなる。
▶妻を起こさないように、小さな音でキース・ジャレットの『My Song』(1978)を流す。
わたしは音楽をヘッドホンで聴くことが多いのだが、たまには空気を振るわせたくなる。
キースを中心としたヨーロピアン・カルテットの抒情性あふれる傑作。
メンバーは、キース・・ジャレット(ピアノ)、ヤン・ガルバレク(サックス)、パレ・ダニエルソン(ベース)、ヨン・クリステンセン(ドラム)の4人。
同時期に結成したアメリカン・カルテットは、メンバー同士の個性が強すぎて空中分解してしまったけど(ライブ演奏の途中でひとり抜けてるw)、こちらは個性と個性が良い具合に融合して素晴らしい作品になっている。
YouTubeのコメント欄に「I love Mr.Jarrett. He always takes me home when I feel homeless. Thank you sir.」というのがあって、読んで泣きそうになった。
無理せず、長生きしてほしいなぁ…。
少し長いライブ映像も貼っておこう。
美しい音楽を聴いている間は、「世界は良いことで溢れていて、悪人などひとりもおらず、すべては素敵な方向に進んでいる」と言う“幻想”にひたることができる。
音楽が終わると、その魔法も消えるわけだが。
When the music's over / Turn out the lights
▶妻が起きて来たので、一緒に朝食。
わたしは、いつものように蕎麦を半束(約50g)。
妻は、派手な顔つきのフルーツサンド。
オレンジが満面の笑みでこちらを向いているようなサンドウィッチを少しもらう。
不味くはないが、フルーツはフルーツのまま食べたい派だな、わたしは。
▶昼ちかく、ふたりで上野まで散歩。
上野公園のなかを散策。
以前には、土日になると炊き出しが出て、ホームレスのひとたちが列をつくっていたのだが、そういう光景はすっかりなくなった。
ホームレスさんも、ほぼ見かけない。
園内にはスタバ(いつも混んでいる)や上島珈琲店ができ、すこしお洒落になっている。
上野の街にお洒落は似合わないと思うのだがw
まだホームレスさんがたくさんいて、ブルシートのテントがあちらこちらにあった頃、近道をしようと(いけないことだけど)公園内の芝生の中を横切っていたら、テントから顔を出したおじさんに「ひとん家に勝手に入るな!」と怒鳴られたことがある。
懐かしい思い出です。
ユニクロと吉池が入ったビルを過ぎたあたりから、街の匂いが少し変化する。
上野駅周辺の猥雑なかんじが薄れ、賑やかではあるが、どこか落ち着いた賑やかさに変わる。
観光地感が薄れる。
しゃれおつ空間の「2k540」をぶらぶらした後、歩き疲れたので、ドトールで休憩。
珈琲を飲みながら、ぼんやりとする(外でもぼんやりするんかい!w)。
ガード下の中華料理屋で昼食。
メニューが読めんw
適当に選んで注文。
本格的なメニュー表示のわりに、味はフツーだった。
松坂屋の地下で魚など買ってから、バスにゆられて帰宅。
帰宅後、夕食で妻に起こされるまで爆睡してしまう。
▶夕食は、買って帰った塩鮭で、軽くお茶漬け。
食後に映画を1本。
ジャン・ルノワール監督の『河』(1951)。
評価の高い作品だけど…わたしにはイマイチだった。
インドの河沿いの村を舞台にしたインド版若草物語。
主役の姉妹はみな白人(ひとりハーフ)で、インドの人たちや習俗(祭りなど)は背景として描かれるだけで、積極的にストーリーに絡むわけではない。
姉妹が夢中になる退役軍人も、もちろん白人。
後半、河の流れに託して、とってつけたような人生観が語られるが、なんだかなぁ…って感じだ。
先日観たサタジット・レイ監督の『大地のうた』と比べると、西洋人監督と東洋人監督の決定的な差のようなものを感じてしまう。
キリスト教世界で生まれ育ったひとが、輪廻転生などを基本とする東洋思想を理解するのは、なかなか難しいのかも知れない。
東洋の思想を、知性では理解していても魂の部分では理解できていない気がする。
▶映画を観て、少し難しいことを考えたら眠くなってしまった。
昼間、あんなに爆睡したのに…。
基本、ぼんやりと日々を過ごすのが向いているようだ。