▶午前7時起床。
久しぶりに常識的な(?)時間に起きた。
いつものように熱くて苦い珈琲を飲みながら、しばらくぼんやり過ごす。
早く起きても、遅く起きても、やることはたいして変わらない。
「しばらくぼんやり過ごす」を短文登録した方が良いかも知れん。
▶朝食に蕎麦。
食後、昼まで読書。
レオ・ペルッツの『スウェーデンの騎士』(国書刊行会)を読む。
1701年の冬、シレジアの雪原を寒さとひもじさに震えながら歩く二人の男。
ひとりは軍を脱走してスウェーデン王の許へ急ぐ青年貴族、もうひとりは追手から逃げている泥棒。
互いの追跡者から逃げるために身分を交換したしたふたりが辿る数奇な運命…。
ペルッツの作品を読むのは、これで3作目だが、やはり面白い。
はなしのなかに、魔法や亡霊が当たり前のごとく登場するが、それが何の違和感もなく入って来る。
日本で言うと、山田風太郎にちかいか。
短編集以外、ほぼすべての作品が翻訳されている。
▶Netflixでデヴィッド・フィンチャー監督の新作『ザ・キラー』を観る。
ある男を狙撃するためにビルの一室(工事中)に潜む殺し屋(マイケル・ファスベンダー)。
狙撃のチャンスが訪れるのをじっと待ち続けるのだが、その間にヨガで身体と心をほぐしたりする。
意識高い系の殺し屋か…。
ヨガのシーンで、わたしは思わず笑いそうになった。
スタイリッシュなようで、なんだか微妙にダサい。
と言うか、ファスベンダー扮する殺し屋が、クールを気取ってはいるが、ひじょうに人間くさい。
映画に出てくる殺し屋と言えば、わたしのなかでは『サムライ』のアラン・ドロンだが、ドロンとファスベンダーでは眼が違い過ぎる。
ドロンの眼は、文字通り氷のように冷たく、人としての感情などないように思える。
ファスベンダーの眼は、殺し屋にしては優しい。
だからなのか、ファスベンダー演じる殺し屋の行動は冷徹にはほど遠く、じつに矛盾に満ちている。
「感情には流されるな。計画通り行動しろ。即興はやるな」と常に自分に言い聞かせながら、しかし、かなり即興的に行動している。
失敗もたくさんする。
そこがじつにユニークで魅力的だ。
自分の恋人を痛めつけた同業者(ティルダ・スウィントン)が高級レストランで食事をとっていると、突然目の前にファスベンダーが現れて銃を突きつける。
驚いた相手に「なぜ姿を見せたの?」と聞かれて、「話をしたかった」と答える。
これから殺す相手と会話をしたがる殺し屋…。
同業者と話すことによって、かれはいったい何を確認しようとしているのだろう…?
このシーンに、作品全体をつらぬくテーマがあるような気がするのだが、集中力に欠けるわたしは、そのことを深く考えられない。
良い映画だった。
▶夕方、本郷まで散歩。
東大ちかくのスタバで2時間ほど読書。
しかし、本は広げたままで、ぼんやりと本郷通の車と人の往来を眺めて過ごす。
けっきょく、いついかなるときも、基本わたしはぼんやりしている。
スタバでぼんやりしながら、Samantha Crainの『A Small Death』(2020)を聴く。
いい声だなぁ。
こういうリズムとテンポは、めっちゃ好みで、身体とこころが喜んでいるのがわかる。
▶本郷から湯島を抜けて、千駄木まで帰り、ちいさなカレー屋でムール貝のカレーを食べる。
帰宅し、散歩の途中「一路庵」で買った南瓜羊羹を食べ(美味)、眠りが訪れてくれるまで、もう1本映画を観ることにする。
デイミアン・チャゼル監督の最新作『バビロン』。
寝る前に観るような映画ではなかったw
3時間の長丁場…飽きずに観ることができたが、それに見合うだけの感動があったかと言うと、微妙である。
象のクソやら、主演女優のゲロやらが事前情報としてあって、そう言うのが苦手なわたしはこわごわ観たのだが、たいしてきたなくもなく、どちらかと言うと下品とは無縁の上品な映画に思えた(下品ぶってはいるが)。
そう言う、下品を装った上品さが、イマイチ感動できなかった原因かも知れない。
監督によって、ほど良くコントロールされた破天荒さと言うか。
ブラピは良かったなぁ。
まあ、どんな映画に出てもブラピは最高なんだけど。