単純な生活

映画・音楽・読書について、だらだらと書いている

ヘミングウェイの『北ミシガンで』を読む

 

ヘミングウェイの『北ミシガンで』を読む。

 

 

清楚の女性が武骨な男に恋心を抱き、ある夜散歩に誘われ、初体験をする。

それだけの話しである。

書かれたのは1922年。しかし性描写の露骨さがネックとなり(いまから見るとたいしたことはないのだが)、日の目を見るまでに15年を要している。

 

おそらく、アメリカのどこにでもあった話しである。

もっと言えば、世界中のどこにでもころがっているような話しである。

しかし、ヘミングウェイが書いたことにより、鍛冶職人ジム・ギルモーとウェイトレスのリズ・コーツの姿は、永遠のなかに刻まれることになった。

 

物語はない。

物語があるのは、ここに描かれたエピソードの前であり、後である。

それは、読み手である我々の想像の中にある。

 

 

アラン・パーカー監督の『エンゼル・ハート』を観る。

 

エンゼル・ハート(字幕版)

エンゼル・ハート(字幕版)

  • 発売日: 2018/01/01
  • メディア: Prime Video
 

 

主演は、まだ顔が整っていた頃のミッキー・ローク。共演がロバート・デ・ニーロ

デ・ニーロのゆで卵の食べ方がすげぇ怖い(笑)。

消えた人気歌手の行方を私立探偵のM・ロークが追う。

ハードボイルドなストーリーが、デ・ニーロがゆで卵を食べるあたりから、徐々にホラーへと変わっていくのだ。

 

 

芥川龍之介の『おしの』 / 神父の踏んだ地雷

 

芥川龍之介の『おしの』を読む。

芥川龍之介全集〈5〉 (ちくま文庫)

芥川龍之介全集〈5〉 (ちくま文庫)

 

 

 いわゆる「切支丹もの」の1編。

有名な作品ではない。

芥川の切支丹ものだと、『奉教人の死』や『きりしとほろ上人伝』などが有名だけど、

それらの傑作と比べると読みごたえはかなり落ちる。

 

舞台は、16世紀後半くらいの日本。

南蛮寺と呼ばれていた教会に三十代の武家の女が入ってきて、西洋人の神父に話しかける。

女の名前は、しのといい新之丞という息子がひとりいる。

いま、その息子が大病で臥せっており、治そうといろいろ試してみたが効果はなく、ついには西洋の神にすがろうとやってきたのである。

 

神父は、しのの願いをきき、新之丞を見舞うことを約束する。

そして、(とうぜんではあるが)キリスト教の素晴らしさ、イエスや神の偉大さをしのに語り始める。

 

 神父は厳かに手を伸べると、後ろにある窓の硝子画を指した。ちょうど薄日に照らされた窓は堂内を罩(こ)めた仄暗がりの中に、受難の基督を浮き上がらせている。十字架の下に泣き惑ったマリヤや弟子たちも浮き上がらせている。女は日本風に合掌しながら、静かにこの窓をふり仰いだ。

「あれが噂に承った南蛮の如来でございますか? 倅の命さえ助かりますれば、わたくしはあの磔仏に一生仕えるのもかまいません。どうか冥護を賜るように御祈祷をお捧げ下さいまし。」

 女の声は落ち着いた中に、深い感動を蔵している。神父はいよいよ勝ち誇ったようにうなじを少し反らせたまま、前よりも雄弁に話し出した。

 

神父は、しのにイエスの生涯を語っていく。

その誕生から、東方の博士たちのこと、ヘロデ王童子殺し、ヨハネの洗礼から山上の教えなど…。

そして、イエスの最後…十字架での死を熱っぽく語ったとき、それまで眼を輝かせて神父の言葉に聞き入っていたしのの顔つきが一変する。

 

 神父は思わず口をとざした。見れば真っ蒼になった女は下唇を噛んだなり、神父の顔を見つめている。しかもその眼に閃いているのは神聖な感動でも何でもない。たた冷やかな軽蔑と骨にも徹(とお)りそうな憎悪とである。神父は惘気(あっけ)にとられたなり、しばらくはただ唖のように瞬きをするばかりだった。

 

神父も、とんだ地雷を踏んだものだ。

少し同情する。

神父からしてみたら、「ええっ? マジでそこがダメなの?」ってことだろうな(笑)。

最後は、しのの(と言うか、日本の)武士道精神が大爆発で、神父の唱えるキリスト教精神を断固拒否するのだ。

 

全集を読んでいるからこそ出会えたような作品である。

 

 

AMAZONのPrime Videoで『ヘルレイザー2』を観る。

ヘルレイザー2 (字幕版)

ヘルレイザー2 (字幕版)

  • 発売日: 2017/02/27
  • メディア: Prime Video
 

 

クライヴ・バーカー原作のスプラッター・ホラー。

前作以上にエグイ血まみれシーンが続出だが、まったく怖くない。

むしろ楽しい(笑)。

おなじみの魔導士ピンヘッドも健在だが、今回は、マッドサイエンティストの魔導士化した姿が爆笑もんだった。

それにしても、ピンヘッドはけっこう良い奴だな。

女に弱いって言うか、これからヒロインを殺そうかというときに、「ちょっと待って!」って言われたら、ちょっと待っちゃうし。

けっこう可愛い。

 

 

“怪奇小説”の名に恥じない怖さの短編

 

小川洋子の『匂いの収集』を読む。

 

平成怪奇小説傑作集2 (創元推理文庫)

平成怪奇小説傑作集2 (創元推理文庫)

  • 発売日: 2019/09/28
  • メディア: 文庫
 

 

好アンソロジー『平成怪奇小説傑作集2』の冒頭に収録されている。

この著者の長編は、『猫を抱いて象と泳ぐ』(傑作!)や『ミーナの行進』など、いくつか読んだことがあるが、短編を読むのは初めて。

 

いやあ、怖い。

怪奇小説”の名に恥じない怖さ。

 

「今日のチェンバロは、朝露に濡れたシダの匂いがする」

 初めて出会ったコンサートホールで、彼女はそんなふうに話し掛けてきた。何と答えていいか戸惑ったまま、僕はあいまいに微笑んだ。ね、そう思うでしょ? と念を押すように、彼女はパンフレットを胸に抱きながら笑みを返した。演目はバッハのチェンバロ協奏曲第4番だった。

 彼女は匂いの専門家だ。この世のあらゆる匂いを収集するのを趣味にしている。

 

彼女の匂いフェチのエピソードが、恋人の彼によって語られていく。

 

 夜、僕たちはたいてい音楽を聴いて過ごす。エチュード管弦楽やバイオリン協奏曲やセレナーデ。夜になるとガラス瓶が闇を含み、匂いたちの眠りは一層深くなる。

「今日は特別ジャスミンが香るわ」

 二人を取り囲むこんなにもたくさんの匂いを、彼女はちゃんと一つ一つかぎ分けることができる。

「うん、そうだね」

 僕には何の匂いもしないけれど、決して逆らわない。

 

読みながら、ふむふむ、ほー、ん?、げげっ!、ぎゃーっ! ってなる(笑)。

最後の1ページが、まじで怖い。

 

 

Allman Brothers Band の『Eat a Peach』を聴く。

 

Eat a Peach

Eat a Peach

 

 

音が古くせ~(笑)。

凄い好き。

タイトルが詩的(たしかアレン・ギンズバーグが誉めてた)。

 

 

▶夜、米を買いにスーパーへ。

けっこうな「密」で、少しびびる。

コロナ前なら、「おっ、今日は空いてるな」って思うような混みようではあるのだが。

米と、野菜などをちゃちゃっと買って帰る。

帰宅後、品物をすべてアルコールシートでふきふき。

なにもここまでしなくてもと思いはするが、もはや日常のルーティーンになっていて、やらないと気持ち悪いのだ。

 

▶明日も、無事に過ごせますように。

 

 

 

 

 

 

 

ヘミングウェイのキャンプ小説

 

ヘミングウェイの『二つの心臓の大きな川』を読む。

 

 

ヘミングウェイの第1短編集『われらの時代』の最後に置かれている作品。

いわゆる“ニック・アダムス物”の1編。

“ニック・アダムス物”というのは、ヘミングウェイの分身であるニック・アダムスを主人公にすえた一連の作品群のこと。

6歳くらいの幼年期から、第一次世界大戦に従軍し、復員後PTSDを抱えながら平和な故郷に馴染めず苦悩し、やがて父親になるまでが描かれている。

『われらの時代』のなかにも、「インディアンの村」「医師とその妻」「ある訣別」「クロス・カントリー・スノウ」「二つの心臓の大きな川」の5編がニック・アダムスを主人公にした作品である。

 

『二つの心臓の大きな川』は、PTSD時代のニックを描いている。

街から離れ、川のちかくでキャンプをしているニック。そのキャンプ生活の様子が詳細に描かれる。

 

 小高いその地面は木の生えた砂地で、草地と川の流れと湿地が見わたせた。ニックはザックとロッド・ケースを下ろして、平坦な場所を探した。すごく腹がすいていたが、食事をこしらえる前にテントを張りたかった。見ると、二本のバンクス松に挟まれた地面が、かなり平坦になっている。ザックから斧をとりだして、地面に張りだしている二本の根を断ち切った。これで、体を伸ばして眠れるだけの広さを確保できた。砂の地面を片手で平らにならし、付近のニオイシダの蔓を根こそぎむしりとる。両手にニオイシダの匂いがついて、いい香りがした。毛布の下がゴツゴツしているのはいやなので、掘り起こした地面を平らにならした。地面がきれいにならされたところで、三枚の毛布を敷く。一枚は二つに折って地面にじかに敷き、残りの二枚をその上に広げた。

 こんどは斧を使って、松の切株から木肌も鮮やかな板を削りとり、それを何本にも割ってテントを固定するためのペグをつくった。ペグは地中でしっかり踏んばれるように、長くて頑丈なものにしたかった。テントを下ろして地上に広げてしまうと、バンクス松に立てかけたザックはとても小さく見える。テントの棟ポール代わりになる張り綱を松の幹にくくりつけると、ニックは張り綱のもう一方の端を幹にくくりつけて、テントを地面から引き起こした。テントは物干し綱にぶらさがったキャンヴァスの毛布さながら張り綱に垂れさがる。切りだした棒をそのキャンヴァスの裏の頂点に立て、四隅をペグで固定すると、テントができあがった。四隅は思い切り引っ張って、ペグを深く打ち込んだ。張り綱の輪が地中に埋まり、キャンヴァスが太鼓の皮のように張りつめるまで、斧の背でペグを地中深く打ち込んだ。

 

さすがに、無駄な文章がひとつもない。

こんな風に情景を描写できたらどんな良いだろうと思うが、なんでも思い通りに描けてしまうってのも、それはそれで大変なのかも知れないな、とも思う。

 

で、テントを張り終わったあとの食事の場面。

 

  松の切株を斧で割って何本か薪をこしらえると、彼はそれで火をたいた。その火の上にグリルを据え、四本の脚をブーツで踏んで地中にめりこませる。それから、炎の揺れるグリルにフライパンをのせた。腹がますますへってきた。豆とスパゲッティが温まってきた。そいつをスプーンでよくかきまぜた。泡が立ってきた。いくつもの小さな泡が、じわじわと浮かびあがってくる。いい匂いがしてきた。トマト・ケチャップの壜をとりだし、パンを四枚切った。小さな泡がどんどん浮き上がってくる。焚き火のそばにすわり込んでフライパンをもちあげると、ニックは中身の半分をブリキの皿にあけた。それはゆっくりと皿に広がった。まだ熱すぎることはわかっている。その上にトマト・ケチャップをすこしかけた。豆とスパゲッティはまだ熱いはずだ。焚き火を見てから、テントを見た。舌を火傷したりして、せっかくの幸福な気分をぶち壊しにしたくない。これまでだって、揚げたバナナを賞味できたためしがないのは、冷めるのが待てないせいだった。彼の舌はとても敏感なのだ。それでも、腹がすごくへっている。真っ暗闇に近い対岸の湿地に、靄がたちこめているのが見えた。もう一度テントを見た。もういいだろう。皿からスプーンいっぱいにしゃくって、口に運んだ。「やったぁ」ニックは言った。「こいつはすげえや」思わず歓声をあげた。

 

 

美味そうだな(笑)。

 

 

ニックは、テントを張った次の日、川釣りをして大きな鱒を2匹釣り上げる。

作品は1部と2部に分かれているのだが、第2部の大半はこの釣りのシーンである。

で、ほぼ釣りのシーンで終わる。

 

ヘミングウェイは、よけいな心理描写などほとんどしない。

情景と行動のみを的確な文章で描写していく。

にもかかわらず、読んでいるうちにニック・アダムスの孤独と、それに浸ることの喜びがびんびんと伝わってくるから不思議だ。

天才のマジックかな。

 

 

▶ Aaron Parks の『Find The Way』を聴く。

美しいピアノ・トリオ。

 

FIND THE WAY

FIND THE WAY

 

 

 ECMっぽいなあ、と思ったらECMだった。

ECMっぽいなあ、と思ったら、たいていECMだな。

 

 

▶いつも使っている図書館の休館が5月末まで延長された。

図書館派としては、いささか辛い。

新刊書店や古書店、図書館などは不要不急ってことなのか…。

けして不要ではないのだがな。

 

 

 

『未知との遭遇』とセンス・オブ・ワンダー

 

▶久しぶりにスピルバーグ監督の『未知との遭遇』を観る。

いやあ、面白い!

センス・オブ・ワンダーに溢れている。

バミューダ海域で行方不明となった飛行機や船舶が、突如砂漠に出現するシーンとか、何度見ても胸が躍る。

 

 

センス・オブ・ワンダー…。

ウィキペディアでは、「SF小説等を鑑賞した際に生じる、ある種の不思議な感覚のこと」となっていて、まったく説明されてない(笑)。

この言葉をSF好き以外の人に説明するのはなかなか至難のわざで、わたしは、妻に説明しようとして挫折したことが何度かある。

自分が寄って立つ盤石なはずの地面が、とつぜんグラッと揺れたときの感覚に似てるだろうか。

えっ、何?っていう軽い恐怖と、これから自分の知らないことが起きるんだというワクワク感とが、奇妙に混じりあったような感覚…。

うーん、やはりもうまく説明できないな。

 

 

最近のSF映画(「アベンジャーズ」とか「スターウォーズ・エピソード9」とか)に、まったく興奮できないのは、このセンス・オブ・ワンダーの欠如のせいだと思っている。

展開や、映像に対して、かんたんに予想がついてしまうと言うか…。

観てるこちらが、すっかりすれっからしになったってことかも知れないが。

 

 

ちなみに、『未知との遭遇』の公開は1977年。

同じ年に『スターウォーズ EP4 / 新たなる希望』が公開されている。

何気に、凄い年だ。

 

 

高野文子の『るきさん』(筑摩書房)を少しずつ読んでいる。

るきさん(新装版) (単行本)

るきさん(新装版) (単行本)

 

 るきさんが可愛い。

相棒のエッちゃんも素敵だ。

まだ半分も読み終わってないが、すでに読み終わる日のことを思って、少し悲しくなっている。

 

 

 

久しぶりにブログを書いてみる

▶約半年ぶりにブログを書いてみようと思って、PCの前に座ったのだが、これと言って書くことがない(笑)。

 

 

▶今日は、仕事始め。年末年始の休みが8日もあったので、体が仕事についていけない。一日中ぼんやりしていた。

 

 

▶先日読んだ本。

特別料理 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

特別料理 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 約40年ぶりの再読。

表題作ほか全10編。すべて面白かった。

オチを覚えている作品もあったのだが、それでも面白かった。オチが命の作品ではないってことだろうな。

オチを知っていて読むと、作者の「オチに持っていくまでの工夫」が良くわかって、それはそれでまた別の面白さがある。

 

序文として、エラリイ・クイーンが、スタンリイ・エリンという稀有な才能を見つけたいきさつを書いているのだが、とある読書サイトで「S・エリンを見つけた人の自慢話」って書かれてて、笑った。

おいおいクイーンだぞ、って思ったが、まあE・クイーンが何者か知らないとそうなるかな、とも思う。

 

 

▶年明けの競馬。東西の金杯は、中山が当たって、京都がはずれ。まあ、ひとつ当たったので良しとしよう。

デムーロ、日本語がめちゃくちゃ下手になってて驚いた。エージェントもいなくなったらしいが、あの日本語で大丈夫なのか?

 

▶今年は、ちょこちょこ読書日記めいたものを書いていこうと思っているが、どうなるかはわからない。

これが今年最初で最後の書き込みになるかも。

なぜ、みんなぼんやり生きないのだろう…。

 

4時半に起き、いつものように、ぼんやりと時間をやり過ごす。

ぼんやりしている暇があったら本でも開けばよさそうなもんだが、それだと「ぼんやり」していることにならないからな。

ん?

なんかおかしなことを言ってるかな?

 

 

★★★

 

 

電車の中で、Mari Jürjens の『27』を聴く。

 

27

27

 

 

エストニアの人。

エストニア語の歌って初めて聴いたが、なかなか良い。

声もメロディも美しい。

このアルバムは傑作の香りがする。

 

ふむ。夏に来日するとな。

出不精だけど、行くかな…。

 

 

★★★

 

 

降りた駅のホームで、中年男性2人が怒鳴り合っていた。

なにを言ってるかはよくわからない。

必死の形相。

なぜ、みんなぼんやり生きないのだろう…。

 

 

★★★

 

 

午後は妻の通院に付き添う。

いつも通りの診察をし、いつも通りの薬をもらう。

この「いつも通り」がずっと続くことを願う。

 

帰り、街の洋食屋で生姜焼きセット。

きわめてフツーの味。フツーの値段。

 

 

★★★

 

 

夜、Amazone Prime Video で『ギャングバスターズ』を観る。

B級アクション映画。

ワルの3兄弟がバンバン撃ちまくり、ガンガン殺しまくる。

まあ殺されるほうも、かなりのワルなわけだが。

 

ギャングバスターズ (字幕版)
 

 

意外と面白かった。

B級映画が面白いと、けっこう幸せな気分になる。