▶ヘミングウェイの『二つの心臓の大きな川』を読む。
ヘミングウェイの第1短編集『われらの時代』の最後に置かれている作品。
いわゆる“ニック・アダムス物”の1編。
“ニック・アダムス物”というのは、ヘミングウェイの分身であるニック・アダムスを主人公にすえた一連の作品群のこと。
6歳くらいの幼年期から、第一次世界大戦に従軍し、復員後PTSDを抱えながら平和な故郷に馴染めず苦悩し、やがて父親になるまでが描かれている。
『われらの時代』のなかにも、「インディアンの村」「医師とその妻」「ある訣別」「クロス・カントリー・スノウ」「二つの心臓の大きな川」の5編がニック・アダムスを主人公にした作品である。
『二つの心臓の大きな川』は、PTSD時代のニックを描いている。
街から離れ、川のちかくでキャンプをしているニック。そのキャンプ生活の様子が詳細に描かれる。
小高いその地面は木の生えた砂地で、草地と川の流れと湿地が見わたせた。ニックはザックとロッド・ケースを下ろして、平坦な場所を探した。すごく腹がすいていたが、食事をこしらえる前にテントを張りたかった。見ると、二本のバンクス松に挟まれた地面が、かなり平坦になっている。ザックから斧をとりだして、地面に張りだしている二本の根を断ち切った。これで、体を伸ばして眠れるだけの広さを確保できた。砂の地面を片手で平らにならし、付近のニオイシダの蔓を根こそぎむしりとる。両手にニオイシダの匂いがついて、いい香りがした。毛布の下がゴツゴツしているのはいやなので、掘り起こした地面を平らにならした。地面がきれいにならされたところで、三枚の毛布を敷く。一枚は二つに折って地面にじかに敷き、残りの二枚をその上に広げた。
こんどは斧を使って、松の切株から木肌も鮮やかな板を削りとり、それを何本にも割ってテントを固定するためのペグをつくった。ペグは地中でしっかり踏んばれるように、長くて頑丈なものにしたかった。テントを下ろして地上に広げてしまうと、バンクス松に立てかけたザックはとても小さく見える。テントの棟ポール代わりになる張り綱を松の幹にくくりつけると、ニックは張り綱のもう一方の端を幹にくくりつけて、テントを地面から引き起こした。テントは物干し綱にぶらさがったキャンヴァスの毛布さながら張り綱に垂れさがる。切りだした棒をそのキャンヴァスの裏の頂点に立て、四隅をペグで固定すると、テントができあがった。四隅は思い切り引っ張って、ペグを深く打ち込んだ。張り綱の輪が地中に埋まり、キャンヴァスが太鼓の皮のように張りつめるまで、斧の背でペグを地中深く打ち込んだ。
さすがに、無駄な文章がひとつもない。
こんな風に情景を描写できたらどんな良いだろうと思うが、なんでも思い通りに描けてしまうってのも、それはそれで大変なのかも知れないな、とも思う。
で、テントを張り終わったあとの食事の場面。
松の切株を斧で割って何本か薪をこしらえると、彼はそれで火をたいた。その火の上にグリルを据え、四本の脚をブーツで踏んで地中にめりこませる。それから、炎の揺れるグリルにフライパンをのせた。腹がますますへってきた。豆とスパゲッティが温まってきた。そいつをスプーンでよくかきまぜた。泡が立ってきた。いくつもの小さな泡が、じわじわと浮かびあがってくる。いい匂いがしてきた。トマト・ケチャップの壜をとりだし、パンを四枚切った。小さな泡がどんどん浮き上がってくる。焚き火のそばにすわり込んでフライパンをもちあげると、ニックは中身の半分をブリキの皿にあけた。それはゆっくりと皿に広がった。まだ熱すぎることはわかっている。その上にトマト・ケチャップをすこしかけた。豆とスパゲッティはまだ熱いはずだ。焚き火を見てから、テントを見た。舌を火傷したりして、せっかくの幸福な気分をぶち壊しにしたくない。これまでだって、揚げたバナナを賞味できたためしがないのは、冷めるのが待てないせいだった。彼の舌はとても敏感なのだ。それでも、腹がすごくへっている。真っ暗闇に近い対岸の湿地に、靄がたちこめているのが見えた。もう一度テントを見た。もういいだろう。皿からスプーンいっぱいにしゃくって、口に運んだ。「やったぁ」ニックは言った。「こいつはすげえや」思わず歓声をあげた。
美味そうだな(笑)。
ニックは、テントを張った次の日、川釣りをして大きな鱒を2匹釣り上げる。
作品は1部と2部に分かれているのだが、第2部の大半はこの釣りのシーンである。
で、ほぼ釣りのシーンで終わる。
ヘミングウェイは、よけいな心理描写などほとんどしない。
情景と行動のみを的確な文章で描写していく。
にもかかわらず、読んでいるうちにニック・アダムスの孤独と、それに浸ることの喜びがびんびんと伝わってくるから不思議だ。
天才のマジックかな。
▶ Aaron Parks の『Find The Way』を聴く。
美しいピアノ・トリオ。
ECMっぽいなあ、と思ったらECMだった。
ECMっぽいなあ、と思ったら、たいていECMだな。
▶いつも使っている図書館の休館が5月末まで延長された。
図書館派としては、いささか辛い。
新刊書店や古書店、図書館などは不要不急ってことなのか…。
けして不要ではないのだがな。