単純な生活

映画・音楽・読書について、だらだらと書いている

ありふれた日常 #43 / いかにも“昭和”って感じ。

 

▶午前5時に目覚め、しばらく寝床のなかで映画紹介のYoutube番組をいくつか見る。

なかに黒澤明監督の名作『七人の侍(しちにんのさむらい)』を、ずっと「ななにんのさむらい」と言ってるYoutuberがいて、地味にイラつく。

 

 

▶U-NEXTの配信で、クロード・ガニオン監督の『keiko』(1979)を観る。

 

いまから40年以上前、たしか新宿のシネマスクウェア東急という映画館(単館ロードショー系で、とても良い映画館だった)で観た。

とうじのわたしは、21歳くらいか…懐かしいと言うより、時の流れが信じられない。

 

主人公は、京都でひとり暮しをするOLのケイコ。

よく行く喫茶店で知り合った男と付き合いだすが、男には妻子がいて、ちょっとした喧嘩のあと別れてしまう。

傷心のケイコは、ひょんなことから同僚のカズヨ(同性愛者)と肉体関係を持ち、そのまま同居生活を始める…。

 

監督がドキュメンタリー出身だからか、映し出される映像のリアリティ感がハンパない。

とくに会話が、とても脚本があるとは思えないほど自然だ(あるいは、脚本なんてないのかも知れない)。

テレビの「ザ・ノンフィクション」という番組と同じような手ざわりがある。

出演している役者はほぼ無名のひとたちで(素人も出ている)、この映画の後で有名になったひともいない。

そのせいか、ずっと誰かのプライベートフィルムをのぞいているような気分になる。

 

ストーリーは、最後にちょっとした驚きはあるものの、どちらかと言うとありふれていて、なのでストーリーじたいにドキドキしたりはしない。

だけど、ひとりの女性の日常を覗き見してる感じで、ずっと飽きずに観てしまう。

 

それにしても、とうじの日本人はいたるところで煙草を吸っているな。

茶店で吸うのは当たり前で、会社のデスクに座ったまま平気で煙をふかしたり、ひとの部屋でいきなり煙草を取り出したり、やりたい放題である。

いかにも“昭和”って感じ。

 

公開とうじ、脚本家の山田太一が激賞していたのを覚えている。

ちなみに、同性愛者の同僚を演じたきたむらあきこ(北村明子)は、後に演劇界で超有名なプロデューサーになる。

 

 

▶昼食に、「九州堂」という九州の物産品ばかりを扱っている店(谷中銀座のちかくにある)で買ったチキン南蛮。

美味。

 

 

▶食後、2時間ほど昼寝をして(今日はうまく眠れた)、起きてから配信で映画を1本。

マーク・カズンズ監督の『ストーリー・オブ・フィルム 111の映画旅行』(2021)を観る。

 

これまでに1万6千本もの映画を観てきたマーク・カズンズ監督が、2010年以降に上映された映画から111本を選び、テーマごとに語るドキュメンタリー。

日本の、ある高名な映画評論家の本を読んでいたら、「映画は死んだ」という言葉が出てきて、ほんまかいな?と思ったのだが、この「ストーリー・オブ・フィルム」を観ると、どっこい映画はまだまだ死んでないと心強くなる。

語られている111本は、古い映画言語を新しくする試みに挑戦して成功している映画たちである。

取り上げられている作品の多くがマイナーな作品で(日本未公開のものも多い)、その点も嬉しかった。

 

万引き家族」の乱雑な部屋での一家団欒シーンから、小津安二郎の「麦秋」の整った一家団欒シーンへ飛ぶあたり、マーク・カズンズ監督のシネフィルぶりが出ていて面白かった。

 

こういう作品を観ると、がんがん映画を観たくなるなぁ。

 

 

▶先のアップから、また1カ月近くあいてしまった。

書くことがなくて、あるいは書きたくなくてアップできてないわけではなく、気がついたら思った以上に時間が過ぎているのである。

年をとると、1カ月なんて文字通り「あっ」と言う間なんであるよ。

とりあえず2週間に1度のアップを目指してみよう。

 

 

ありふれた日常 #42 / こういうリズムとテンポは、めっちゃ好み

 

▶午前7時起床。

久しぶりに常識的な(?)時間に起きた。

いつものように熱くて苦い珈琲を飲みながら、しばらくぼんやり過ごす。

早く起きても、遅く起きても、やることはたいして変わらない。

「しばらくぼんやり過ごす」を短文登録した方が良いかも知れん。

 

 

▶朝食に蕎麦。

食後、昼まで読書。

レオ・ペルッツの『スウェーデンの騎士』(国書刊行会)を読む。

 

1701年の冬、シレジアの雪原を寒さとひもじさに震えながら歩く二人の男。

ひとりは軍を脱走してスウェーデン王の許へ急ぐ青年貴族、もうひとりは追手から逃げている泥棒。

互いの追跡者から逃げるために身分を交換したしたふたりが辿る数奇な運命…。

ペルッツの作品を読むのは、これで3作目だが、やはり面白い。

はなしのなかに、魔法や亡霊が当たり前のごとく登場するが、それが何の違和感もなく入って来る。

日本で言うと、山田風太郎にちかいか。

短編集以外、ほぼすべての作品が翻訳されている。

 

 

Netflixデヴィッド・フィンチャー監督の新作『ザ・キラー』を観る。


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ある男を狙撃するためにビルの一室(工事中)に潜む殺し屋(マイケル・ファスベンダー)。

狙撃のチャンスが訪れるのをじっと待ち続けるのだが、その間にヨガで身体と心をほぐしたりする。

意識高い系の殺し屋か…。

ヨガのシーンで、わたしは思わず笑いそうになった。

スタイリッシュなようで、なんだか微妙にダサい。

と言うか、ファスベンダー扮する殺し屋が、クールを気取ってはいるが、ひじょうに人間くさい。

 

映画に出てくる殺し屋と言えば、わたしのなかでは『サムライ』のアラン・ドロンだが、ドロンとファスベンダーでは眼が違い過ぎる。

ドロンの眼は、文字通り氷のように冷たく、人としての感情などないように思える。

ファスベンダーの眼は、殺し屋にしては優しい。

だからなのか、ファスベンダー演じる殺し屋の行動は冷徹にはほど遠く、じつに矛盾に満ちている。

「感情には流されるな。計画通り行動しろ。即興はやるな」と常に自分に言い聞かせながら、しかし、かなり即興的に行動している。

失敗もたくさんする。

そこがじつにユニークで魅力的だ。

 

自分の恋人を痛めつけた同業者(ティルダ・スウィントン)が高級レストランで食事をとっていると、突然目の前にファスベンダーが現れて銃を突きつける。

驚いた相手に「なぜ姿を見せたの?」と聞かれて、「話をしたかった」と答える。

これから殺す相手と会話をしたがる殺し屋…。

同業者と話すことによって、かれはいったい何を確認しようとしているのだろう…?

このシーンに、作品全体をつらぬくテーマがあるような気がするのだが、集中力に欠けるわたしは、そのことを深く考えられない。

 

良い映画だった。

 

 

▶夕方、本郷まで散歩。

東大ちかくのスタバで2時間ほど読書。

しかし、本は広げたままで、ぼんやりと本郷通の車と人の往来を眺めて過ごす。

けっきょく、いついかなるときも、基本わたしはぼんやりしている。

 

スタバでぼんやりしながら、Samantha Crainの『A Small Death』(2020)を聴く。

A Small Death

A Small Death

 

いい声だなぁ。

 


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こういうリズムとテンポは、めっちゃ好みで、身体とこころが喜んでいるのがわかる。

 

 

▶本郷から湯島を抜けて、千駄木まで帰り、ちいさなカレー屋でムール貝のカレーを食べる。

帰宅し、散歩の途中「一路庵」で買った南瓜羊羹を食べ(美味)、眠りが訪れてくれるまで、もう1本映画を観ることにする。

 

デイミアン・チャゼル監督の最新作『バビロン』。

寝る前に観るような映画ではなかったw

3時間の長丁場…飽きずに観ることができたが、それに見合うだけの感動があったかと言うと、微妙である。

象のクソやら、主演女優のゲロやらが事前情報としてあって、そう言うのが苦手なわたしはこわごわ観たのだが、たいしてきたなくもなく、どちらかと言うと下品とは無縁の上品な映画に思えた(下品ぶってはいるが)。

そう言う、下品を装った上品さが、イマイチ感動できなかった原因かも知れない。

監督によって、ほど良くコントロールされた破天荒さと言うか。

 

ブラピは良かったなぁ。

まあ、どんな映画に出てもブラピは最高なんだけど。

 

ありふれた日常 #41 / ぼんやりと過ごし日々

 

▶5時起床。

いつものように熱くて苦い珈琲を飲みながら、しばらくぼんやりと過ごす。

この“しばらく”は、10分くらいのときもあるし、気がつけば1時間ちかく過ぎているときもある。

ぼんやりしているときは、文字通りぼんやりしているだけで、なにも考えていない。

“瞑想”などと言う高尚なものではない。

ほんとうになにも考えず、時間の経過も意識することなく、ただただ無為な時間を過ごしている。

井伏鱒二だったか、老人になると薄暮のような時間が増え、それが死への恐怖を和らげている的なことを書いていたが、あるいはそうなのかも知れない。

死への恐怖など、まだリアルに感じたことはないのだが。

ぼんやりと過ごすのは、いまはまだ起き抜けの時間だけだが、そのうち昼間も、なにをするでもなくぼんやりと過ごすようになるのだろう。

本格的な老人への道程も、なかなかたいへんだな。

 

 

▶なんだか幸せな気分になる映画が観たくなり、久しぶりにビリー・ワイルダー監督の『アパートの鍵貸します』を観る。

 

公開が1960年で、第33回アカデミー賞で作品賞や監督賞など5部門を受賞している。

わたしは、同時にノミネートされていたヒッチコックの『サイコ』の方が映画的には優れていると思っているが、まあ時の勢いみたいなものが味方したのかな(アカデミー賞ってそんなかんじがある)。

 

なんど観ても小道具の使い方に感心する。

鏡の割れたコンパクト、トランプ、シャンパン、テニスラケット、拳銃、クリスマスケーキ、などなど…すべての小道具がストーリーを転がすための伏線になっていて、その名人芸にため息が出る。

 

ヒロイン役のシャーリン・マクレーン、めっちゃ可愛い。

すごい美人ってわけではないのだが、とんでもなく魅力的だ。

実弟がウォーレン・ビーティってのも、何気に面白い。

 

ラストの「黙って配って(Shut up and deal)」がサイコーである。

カードゲームをしながら、男(ジャック・レモン)が「君を愛してる」と直接的な愛の告白をしたときに、シャーリーが微笑みながら言うセリフである。

この場面で映画は終わる。

いかにもビリー・ワイルダーらしく、奥ゆかしい。

観終わって、幸せな気分になった。

 

 

▶昼食を食べて、散歩に出るつもりが、急激に眠くなり夕方まで寝てしまう。

不眠症気味のわたしにとって、睡魔はとても貴重なので、それがどういうタイミングで襲って来ようと、素直に眠ることにしているのだ。

 

5時頃、のそのそと起き出して、少し遅い散歩に出る。

ふと歩く先を見ると、4階建てのアパートの少し上あたりに大きな月がのぼっていた。

満月である。

スマホで撮ろうとしたのだが、眼で見たようには撮れなかった。

 

ぶらぶらと根津神社あたりまで歩き、新しく開店したカレー屋で美味しいカレーを食べて帰る。

 

 

▶夜遅くなっても眠くならない…。

まあ、昼間寝てしまったからなw…しかたない。

だらだらとYouTubeで競馬の予想動画など見て、眠りが訪れてくれるのを待つことにしよう。

が、睡魔さんは昼間いちどわたしのところに訪れているので、日付が変わるまではやって来ないだろうなぁ…。

 

 

 

 

ありふれた日常 #40 / しょぼくれジジイのモーニングルーティーン

 

▶午前5時起床。

“起床”と言っても、床から起き上がるわけではなく、しばらくは蒲団の中でぼんやり過ごす。

そのまま眠りが戻ることを期待して目を閉じてみたりするのだが、まあ睡魔が戻ってくれることはなく、やれやれと諦め気分で起き出すことになる。

で、熱くて苦い珈琲を飲みながら、しばらくネット空間を彷徨う。

ヤフーニュースで最新ニュースの見出しだけを斜め読みし、世界をわかった気になる。

YouTubeで面白そうな動画を何本か見て、時代についていけてるような気分を味わう。

更新された最新ブログを読みつつ、まったく更新ができてない自分を少し恥じる。

妻が起き出すのを待って、いつものように朝食の用意(乾麺の蕎麦50gを茹でる)。

蕎麦をすすりながら山田五郎の美術番組など観て、「朝から知的な自分」に少し酔う。

しょぼくれジジイのモーニングルーティーンである。

 

 

アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA / ローマ』を観る。


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監督の少年時代をもとにした半自伝的映画。

メキシコのとある一家と、そこで働く家政婦の物語を、ストーリー的なケレン味を一切排除して、映像の力だけで語っていく。

冒頭の、空高く飛ぶ飛行機がちいさく水たまりに映っている映像でこころを掴まれる。

そこから、一家と家政婦の人生から目が離せなくなる。

細部まで配慮の行き届いた、まったく無駄のない映像。

この映画から受ける感動を“言葉”にするのは難しい。

映画だけが、映像だけがひとに与えることのできる類いの感動。

こういう映画の前では、ひとは黙り込むしかないのだ。

 

 

YouTubeで、ユジャ・ワン (Yuja Wang)のプロコイエフを聴く。


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ピアノ・ソナタ第7番の第三楽章。

すごく好きな演奏なのだが、ディスク化されてない(たぶん)。

8番はあるのだが。

アタックの正確さと言うか、リズム感が凄い。


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衣装がセクシーすぎるw

椎名林檎かよ。

 

 

▶U-NEXTの新入荷をチェックしていたら、カール・テオドア・ドライヤー監督の名作『裁かるるジャンヌ』(1928)がリストに入っていて、驚く。


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こんな作品が配信で気軽に観られる時代が来ようとは…。

しかい、若いひとは見向きもしないんだろうなぁ。

そう言えば、さいきんは「これだけは絶対観ておけ!(読んでおけ!、聴いておけ!)」と古典的名作を推してくる年配者って、すっかりいなくなったな。

YouTubeを徘徊していると、文学の世界ではまだまだ古典を勧めている人たちの番組がけっこうあるのだが、映画となるとほとんどない(あったとしても閑散としている)。

 

 

▶夕食のあと、珈琲を飲みながら、しばしYouTubeを徘徊する。

かなりな時間の無駄のような気もするが、まあ外を徘徊するよりはましだろう。

 

 

ありふれた日常 #39 / 肌寒くて目が覚める

 

▶早朝4時過ぎ、少し肌寒くて目が覚める。

やはりお彼岸を過ぎると急に秋めいてくるな。

 

 

▶いちど目覚めたらなかなか眠れないので、起きて映画を1本観る。

川島雄三監督の『幕末太陽傳』(1957)。


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20代の頃に初めて観て、そのときは面白さがさっぱりわからず、その後10年ごとに観返しているのだが(べつに10年ごとに観返すと決めているわけではなく、偶然そうなっているだけ)、年を経るごとに面白さが増している。

そして今回も、芦川いづみがひたすら可愛い。

石原裕次郎は、なんど観てもビミョー。

それにしても、居残り佐平治に哀しみの要素をプラスしたのは、川島雄三の凄いところだなぁ。

 

 

 

▶中国の若手作家、陳春成の短編集『夜の潜水艦』(アストラハウス刊)を読む。

夜の潜水艦

夜の潜水艦

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粒ぞろいの短編集だった。

表題作は、ボルヘスが海に投げ入れたコインと、少年が妄想した潜水艦が深い海の底で一瞬交差するはなし。

冒頭におかれたこの作品を読み終わった瞬間、「これは、全作品おもしろい短編集だ」と、全作品を読む前に確信した。

ごく稀にそう言う短編集に出会う。

呉明益の『歩道橋の魔術師』とか、J・ラヒリの『停電の夜に』とか、佐藤泰志の『海炭市叙景』とか。

よく出来た短編には、最後にポンと読者を置いてけぼりにするようなところがあるが、陳春成は、ラストまで読者に親切で、そういう意味ではエンタメ色が強いかも知れない。

収録されている作品のほぼすべてが、現実からはじまり、そこに幻想が入り込み、どちらも両立させたまま終わる。

いま誰かに「なにか面白い本ある?」と聞かれたら、まちがいなくこの短編集を推す。

 

 

▶Shelby Lynne の『Not Dark Yet』(2017)を聴く。

Not Dark Yet

Not Dark Yet

  • シェルビィ・リン & アリソン・ムーラー
  • フォーク・ロック
  • ¥1528


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タイトル曲はボブ・ディランの名曲。

ジャケット良いなぁ。

秋に聴くにはぴったりのアルバム。

いっしょに歌っているアリソン・ムーラーは、シェルビーの妹さん。

 

 

▶秋の気持ちの良い天気がずっと続けば良いのだが、すぐに冬になるんだろうなぁ…。

まあ、クソ暑い夏より寒い冬のほうがまだ過ごしやすいかもしれん。

そう言えば、「夏がましだと冬に言う」って川柳があったなw

 

ありふれた日常 #38 / 懐かしい場所に戻ったような感覚…

 

▶5時起床。

目が覚めて、しばらく自分がどこにいるのか判らなくなる。

ほんの数秒のことだが。

不思議なことに、怖さなどは感じず、その数秒の間どこか懐かしい場所にいるような感覚に包まれていた。

はるかむかしに居た場所に戻ったような懐かしさ…。

これは、ちょっとヤバイのでしょうかw

 

 

カズオ・イシグロの『浮世の画家』を読む。

 

第二次世界大戦後の長崎を舞台にした長編。

戦争中、時局に迎合したような、日本精神を鼓舞するような絵を描いて名声を得た主人公が、戦後の急激な価値観の変化の中で没落し孤立を深めていく様子を、主人公の一人称で語っていく。

波風のない静かな小説だなぁ…と思って読んでいたら、最後にとんでもない仕掛けが爆発する。

いわゆる“信用できない語り手”系の小説だが、最後「えっ、どう言うこと?」って、ちょっとゾワッとした。

 

 

▶Tiny Desk Concert に上原ひろみ登場。

 


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このひとは、いつもすっごく楽しそうにピアノを弾くなぁ。

聴いてるこちらまで楽しくなる。

新曲も良い感じ。


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▶昼ごはんのあと、妻と散歩に出る。

妻は、退院後の運動として1日5千歩ほど歩くことを目標にしているのだが、病院で廊下を歩いていたときと、街中を歩いているときとでは疲れ方がまったく違うそうで、今日は3千歩を達成したあたりで帰ることにする。

 

 

▶スペイン映画『朝食、昼食、そして夕食』(2010)を観る。


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原題は「18 COMIDAS」(18の食事)。

舞台は、スペイン巡礼の聖地サンティアゴ・デ・コンポステラ

6組の人々がおりなすオムニバス群像劇。

悲喜こもごも。

すべてのエピソードが、幸福と不幸の中間あたりに着地する。

感情的に盛り上がるシーンはないが、静かに人生を見つめる感じで、良い映画だった。

こういうの、好き。

 

ありふれた日常 #37 / 聴いていると“こころが洗われる”。

▶妻、手術も無事終わり、本日退院。

1週間ぶりに、ありふれた日常が戻って来る。

…とは言っても、病み上がりの妻にいろいろやってもらうわけにもいかず、しばらくはわたしが買い物やら料理やらをやらなければならない。

まっ、健やかなるときも病めるときも、ってことで。

 

 

▶朝食のあと、久しぶりに『レイダース~失われたアーク~』を観る。

 

何回も観てる作品だが、何回観ても面白い。

とくにラストちかくのカーチェイスは素晴らしい。

ヒロインのカレン・アレンも素敵。

 

第54回アカデミー賞の作品賞・監督賞、ともに逃している。

このとき作品賞を受賞したのは、いまや語られることもない『炎のランナー』である。

炎のランナー』が出来の悪い作品とは思わないが、とうじは「選考委員の眼はふし穴か!」と思ったし、いまでもそう思っている。

『レイダース』のような完璧な娯楽作品が、作品賞も監督賞も受賞できないなんて、スピルバーグはよほど嫌われているんだな、と思った。

 

 

▶で、続けて『フェイブルマンズ』を観る(3度目)。

 

ずるいなぁデビリンw。

いいところ全部ひとり占めだ。

リンチには、演技の拙さを大声を出すことによってカバーすると言う必殺技があって、こんかいもその技を繰り出しているような気がする。

 

ラスト、カメラがクイッと動くところ、なんど観ても震える。

こんな傑作を作れるようなひとが、なぜ『レディ・プレイヤー1』のような映画も作れてしまうのか、謎だ。

 

『フェイブルマンズ』もアカデミー賞とれなかったなぁ…。

作品の風格から言ったら、『エブエブ』なんかよりぜったい『フェイブルマンズ』だと思うのだが。

選考委員たちの時代への忖度に負けったって感じがする。

スピファンとしては、いささか悔しいのである。

 

 

▶昼は、ひと口大にカットした鶏むね肉を溶かした片栗粉でコネコネしたのち茹で(いわゆる水晶鶏ってやつですね)、ネギ塩レモンダレをかけて食べる。

妻は開腹手術のあとなので、ゆっくりと、いつもよりたくさん噛んで食べている。

開腹手術のあと1カ月くらいは腸閉塞に要注意なのだ。

 

食べることのできない(あるいは食べるのに注意を要する)食材のリストを頭に叩き込んで、料理はわたしが作っている。

まずキノコ類がすべてダメ。

こんにゃくやレンコンやごぼうなどの腸に良いとされる食材はすべてアウト。

ナッツや豆類もダメ(だから納豆もダメ)。

炭酸水もダメ、麺類もできたら避けた方が良い(ずるずると吸い込むので、そのとき必要以上に空気を飲み込んでしまう)。

びっくりしたのは、果物の柿がダメってこと。

柿は胃の中で石のように固くなるらしい(“柿石”という言葉があることを初めて知った)…油断も隙もないな(季節的に柿はないので良いけど)。

しばらくは、慎重な食生活が続く。

 

 

▶食後、寝る。

2時間ほど寝るつもりが、倍の4時間も寝てしまった。

久しぶりの料理作りで疲れたのか…?

 

 

▶夕食は、餃子。

ニラは入れてない(ニラも要注意食材なのだ)。

 

 

エグベルト・ジスモンチEgberto Gismonti)の『Alma』(1986)を聴く。

 

エグベルト・ジスモンチは、ブラジルの至宝とも言うべきピアニスト(ギターも上手い)。

ジャンル分けだとジャズになってしまうようだけど、ジャンル分けが難しいアーティストのひとり。

クラシックの要素も強い。

Alma』は、ピアノソロのアルバム。

音楽が、ある種の人々にとっては救いになり得ることを証明するような作品である。

月並みな表現だが、聴いていると“こころが洗われる”。

 


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こちらは、ビアンカ・ジスモンチ。

エグベルトの愛娘。


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▶音楽にこころを洗われ、清いこころになって眠りにつく。