▶『バッファロー '66』を観る。
1998年制作のアメリカ映画。
この愛らしい傑作の魅力を誰かに説明しようとすると、わたしはいつも言葉につまってしまう。
すべてのシーンが素晴らしいので、最初からひとつひとつ説明しようとして、けっきょくは、「とにかく観ろ! 話しはそれからだ!」となってしまうのだ。
5年の刑期を終えて刑務所を出てきたビリー(ヴィンセント・ギャロ)。
実家の両親には、政府の仕事で5年間遠くにいたと、あり得ないような嘘をついている。
しかも妻までいることになっている。
出所当日、母親にかけた電話で、妻を連れて家に戻ることを約束してしまうビリー。
困ったかれは、ダンス教室にいたレイラ(クリスティナ・リッチ)を衝動的に拉致。
レイラに、俺の妻のふりをしてくれと頼み、ふたりでビリーの両親が待つ実家へと向かう…。
暴力的に拉致されたレイラがあまり騒ぐこともなく、ビリーに従う。
このじてんで、この映画はすでにひとつのファンタジーだ。
リアルな物語ではない。
監督ヴィンセント・ギャロの演出も、このファンタジー感を加速させている。
音楽、色彩、ファッションなどすべてが美しい。
美しいのだが、どこかざらついている。
この映画を、“おしゃれ映画”の文脈で語ろうとする人たちがいるが、そしてそれで満足してしまっている人たちがいるが、さらには、そういう人たちを冷笑的に見て「はいはい、いわゆるひとつのおしゃれ映画ね」とわかったように切り捨てる人たちがいるが、そういう人たちには、この映画の持つ独特の“ざらつき”が伝わってないのかも知れない。
ボーリング場で、レイラが キング・クリムゾンの「Moon Child」にあわせて踊るシーンは、じつに美しいが、そこにもやはり“ざらつき”はある。
“ざらつき”は、生きていくことへの切なさであり、哀しさであり、呪詛であり、悔恨であり、希望であり、絶望であり、それらすべてである。
ラスト、この稀有なファンタジーは、とうぜんのように素晴らしい結末を迎える。
映画を観ることの至福が、ここにはある。
とりあえず観ろ、話しはそれからだ。
▶YES の『YES』(1969)を聴く。
『バッファロー '66』のエンディングで流れていた Sweetness という曲が入っている。
高校の頃、ロックに詳しい山崎くんの部屋で良く聴いた(家がお金持ちでレコードをたくさん持っていた)。
ビートルズの Every Little Thing という曲をカヴァーしてるが、その崩し方と言うか、再構成の仕方を「かっけーなぁ」とか思っていた。
いま聴いてもかっけー。
ヒットした Owner of a Lonely Heart の Official Music Video
わりとさいきんのライブ。
みんなジジイになったなぁ。
リック・ウェイクマンのケープは相変わらずだ “笑”。
▶先日、『こころの湯』と言う中国映画を観たときに気になった、食事中に生のきゅうりをぼりぼりかじるシーン。
理由はさておき、あの習慣は中国では一般的なものなのかどうか、北京在住の中国人の友人(吉林省出身、40歳)に、メールできいてみた。
「中国全土で、きゅうり、生でぼりぼり食べますよ~」って返信がきた。
外ではやらないらしいが(つまりレストランとかではやらない)、家庭の食事では、ごく普通に食べると。
とくに北のひとたちに普及した食習慣ではないかと言うことだった。
あと、きゅうりだけじゃなく小さい大根も生でぼりぼり食べるらしい。
なかなかワイルドだな、中国。
▶その中国の友人に、WeChat なるアプリを勧められたが…。
中国版のLINEみたいなもの。
ちょっと調べてみたが、とうぜんのように検閲が入るらしい。
「天安門」なんて書こうものなら、速攻でブロックされるとか。
そんな怖いアプリ使えるわけない “笑”。