▶『春の夢』を観る。
2016年制作の韓国映画。
モノクロ。
3人のぼんくら男たちと、ひとりのマドンナとの青春物語。
と言っても、むかしの日活映画のようにパーッとはじけたりはしない。
タイトルの春の夢のごとく、あわあわとおぼろに霞んでいるのである。
ろくに稼ぎのないチンピラ、イクチュン(クラゲ兄貴の親族の葬式で笑ってしまってから、仕事がなくなった。ってクラゲ兄貴ってなんだよ!)。
給料も満足に払ってもらえないまま仕事をクビになったジョンボム(北朝鮮出身者。お前の目を見てると憂鬱になる、と言うのがクビになった理由)。
裕福ではあるが3人のなかではいちばんぼんやりしているジョンビン(癲癇の持病があり、ときどき発作を起こす)。
このぼんくらトリオが、毎夜入り浸っている居酒屋の店主がイェリ(中国から父を訪ねてやって来た)。
彼女は、寝たきり(昼間は車椅子)の父親を看病しながら懸命に働いている。
イクチュン、ジョンボム、ジョンビンは、みな本名であり、それぞれが新進気鋭の映画監督である。
それぞれの演技に、朴訥な味がある。
大きな事件は、これといって起きない。
ちいさなことが、いくつか起こり、それが積み重なっていくだけ。
多くのひとの人生なんて、そんなものだ。
3人の誰かがイェリと特別に親しくなるわけでもない。
(もちろん3人とも、イェリと特別に親しくなりたいと思っているのだが)
恋物語には発展しない。
3人には、将来への夢や希望といったものが、ことさらあるわけではない。
このままの毎日ではダメで、どうにかして明るい将来への道を切り開かなければならないのだが、なにをどうして良いのかわからず、しかも、ぬるま湯のような“春の夢”にいつまでも浸かっていたい気持ちもあり、だらだらと日々を漂っている。
3人とイェリのあいだに起こるエピソードが、みな可愛い。
たとえば…
夢の中で3人それぞれと寝たことがあると言うイェリのことばにショックを受けるイクチュン。
それを聞いたジョンボムが、すごく生真面目に「イェリさん、たいへん失礼なことを聞きますが、3人のうち誰と最初に寝ましたか?」と質問して、みんなが口あんぐりになるところ。
あるいは…
友だちの住む街に遊びに出たイェリの帰りを、夜の駅前で待つ3人。
酔って帰って来たイェリが、待っている3人を見つけたときのうれしそうな笑顔。
あるいは…
4人で映画を観に行くのだが、アートっぽい作品にうんざりしたイクチュンが「こんな映画のどこがいいんだ!」と騒ぎだし、係の人から静かにしてくれと言われてもやめないので(子供か!)、困ったイェリがイクチュンにいきなりキスをして口をふさぐシーン。
あるいは…
4人で屋上で酒を飲み、気持よくなったイェリがゆっくりと踊るところ。
気がつくと、イェリだけを残し、他の3人は消えている…
すべてのシーンが、ふわふわとしていて、気持よく漂っている感じだ。
しかし、事件はいきなり起きる。
(ネタバレになるので、なにが起きるかは書かないが…)
春の夢は、いきなり冷水を浴びせられて醒めてしまう。
そして、事件は、3人のこころに大きなクエスチョンマークを残す。
おそらくは、生涯解けることのない疑問。
それは、3人のこころのなかだけではなく、観ているひとのこころにも残る。
映画を観終わったあとも、ずっと残り続ける疑問…。
スパっと割り切れるような映画が好きなひとには、おすすめしない。
しかし、観終わったあと1週間はもやもやと考えてしまうような映画が好きなひとには、おすすめ。
あっ、ぜんぜん暗い映画ではないです。
どちらかと言うと、とても明るい。
明るいけど、春霞のようにぼんやりとしている。
わたしは、その春霞のなかの4人を見ながら、ずっと笑っていた。
▶E.S.T. の『EST Plays Monk』(2000)を聴く。
いやあ、良いですねぇ。
音楽に対するボキャブラリーが貧弱すぎて、そういう感想しか出てこない “笑”。
アルバム冒頭の曲。
かっけー(ボキャ貧…)。
▶雨の一日。
腰痛持ちにはいささか辛い。
痛くなるわけではないのだが、腰のあたりにずっと違和感がある。
スマホの天気予報アプリに雨マークが出てるると、少し憂鬱になる。
無類の小説好きである編者が、世界中の傑作短編の中から選りすぐった15編を収録。
いやあ、チョイスが渋い、渋すぎる。
最初の一編が、いきなりマルグリット・ユルスナールである。
しかも「源氏の君の最後の恋」。
続いて、ジェラルド・カーシュの「破滅の種子」。
有名な「壜の中の手記」をあえて避けているのか。
ほかにも、レオン・ブロワ、パノス・カルネジス、キャロル・エムシュウィラー、ジュール・シュペルヴィエル…など、国書刊行会の図書目録でしかお目にかからないような名前がずらっと並ぶ。
短編好きには、たまらない1冊。
堪能。