▶『キッド』を観る。
監督は、もちろんチャールズ・チャップリン。
冒頭に「A picture with a smile - and perhaps, a tear.」という字幕が出る。
最初に「ひと粒の涙」と宣言してるのが凄い。
初の長編映画なので、気合が入ってる感じ。
生まれてすぐに母親に捨てられた赤ん坊(ジャッキー・クーガン)が、ひょんなことからチャップリン扮する浮浪者に拾われ、ともに生活するようになる。
5年後、少年とチャップリンは、少年が石を投げて家々の硝子を割り、そこにガラス屋になりすましたチャップリンが(偶然を装って)通りかかり、ガラス修理をして小金をかせぐという詐欺まがいのことをしながら、毎日をなんとか生きていた。
いっぽう赤ん坊を捨てた母親は、有名なオペラ歌手になっていたが、赤ん坊を捨てたことをはげしく悔いている。
その後悔を癒すかのように、貧しい者への慈善活動に生きがいを見出していた。
この母親の現在と、チャップリンと少年の生活を交互に描きながら、ストーリーは進んでいく。
↑ チャップリンと男のけんかを止めに入るのが、少年の母親である(このときはまだ、少年が自分の子供だとは知らない)。
少年役のジャッキー・クーガンがとにかく可愛い。
この映画はそれにつきる。
喜劇と悲劇のはじめての融合だとか、なんとかかんとか、映画史的な評価は色々あるわけだけど、それもこれもクーガン少年の可愛さあってのことだ。
ちょこまかと走る姿のなんと可愛いことか。
YouTube で高画質なものを観ることができるので、まだ観てないひとはぜひ!
それにしても、わたしの持っているDVDよりも、YouTube動画の方が格段に画質が良いって…どういうこと?
▶ 1921年とうじ、チャップリンはかなりの人気者だったので、とうぜんそれを模倣するひとたちもたくさんいた。
ものまねをするってことではなくて、チャップリンの浮浪者のキャラクターをパクッてそっくりな映画を作ってしまうひとたちである。
なかでも有名だったのが、ビリー・ウエスト(Billy West)という人物。
「なんなら、あの浮浪者のキャラを考えたのは俺の方が先だからね!」みたいなことを言ってたそうな。
おどろくほど似せてきてる!“笑”。
ところが、このビリー・ウエスト、『キッド』が公開される少し前あたりから、チャップリン芸をやらなくなっているのである。
チャップリンの芸術が、かんたんに真似できる領域をはるかに超えたところに行ってしまったので、とてもじゃないが太刀打ちできなくなったのだ。
ビリー・ウエストの作品もYouTubeでいくつか観ることができる。
まあ、いちど観ればじゅうぶんって感じだけど。
▶ チャップリンつながりで、こういう番組も見つけた。
現代版チャップリン・アニメ。
1話がおよそ3分前後。
けっこうな数がアップされてる。
携帯ショップで働くチャップリン…。
たしかに、チャップリンが作りそうな話ではある。