単純な生活

映画・音楽・読書について、だらだらと書いている

『キッド』を観る。そして、チャップリンの偽物さん。

 

▶『キッド』を観る。

1921年制作のアメリカ映画。

監督は、もちろんチャールズ・チャップリン

 

 

冒頭に「A picture with a smile - and perhaps, a tear.」という字幕が出る。

最初に「ひと粒の涙」と宣言してるのが凄い。

初の長編映画なので、気合が入ってる感じ。

 

生まれてすぐに母親に捨てられた赤ん坊(ジャッキー・クーガン)が、ひょんなことからチャップリン扮する浮浪者に拾われ、ともに生活するようになる。

 


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5年後、少年とチャップリンは、少年が石を投げて家々の硝子を割り、そこにガラス屋になりすましたチャップリンが(偶然を装って)通りかかり、ガラス修理をして小金をかせぐという詐欺まがいのことをしながら、毎日をなんとか生きていた。

 


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いっぽう赤ん坊を捨てた母親は、有名なオペラ歌手になっていたが、赤ん坊を捨てたことをはげしく悔いている。

その後悔を癒すかのように、貧しい者への慈善活動に生きがいを見出していた。

この母親の現在と、チャップリンと少年の生活を交互に描きながら、ストーリーは進んでいく。

 


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チャップリンと男のけんかを止めに入るのが、少年の母親である(このときはまだ、少年が自分の子供だとは知らない)。

 

少年役のジャッキー・クーガンがとにかく可愛い。

この映画はそれにつきる。

喜劇と悲劇のはじめての融合だとか、なんとかかんとか、映画史的な評価は色々あるわけだけど、それもこれもクーガン少年の可愛さあってのことだ。

ちょこまかと走る姿のなんと可愛いことか。

 


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YouTube で高画質なものを観ることができるので、まだ観てないひとはぜひ!

それにしても、わたしの持っているDVDよりも、YouTube動画の方が格段に画質が良いって…どういうこと?

 


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1921年とうじ、チャップリンはかなりの人気者だったので、とうぜんそれを模倣するひとたちもたくさんいた。

ものまねをするってことではなくて、チャップリンの浮浪者のキャラクターをパクッてそっくりな映画を作ってしまうひとたちである。

なかでも有名だったのが、ビリー・ウエスト(Billy West)という人物。

「なんなら、あの浮浪者のキャラを考えたのは俺の方が先だからね!」みたいなことを言ってたそうな。

 


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おどろくほど似せてきてる!“笑”。

 

ところが、このビリー・ウエスト、『キッド』が公開される少し前あたりから、チャップリン芸をやらなくなっているのである。

チャップリンの芸術が、かんたんに真似できる領域をはるかに超えたところに行ってしまったので、とてもじゃないが太刀打ちできなくなったのだ。

 

ビリー・ウエストの作品もYouTubeでいくつか観ることができる。

まあ、いちど観ればじゅうぶんって感じだけど。

 

 

 

チャップリンつながりで、こういう番組も見つけた。

 


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現代版チャップリン・アニメ。

1話がおよそ3分前後。

けっこうな数がアップされてる。

 


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携帯ショップで働くチャップリン…。

たしかに、チャップリンが作りそうな話ではある。

『ファヒム パリが見た奇跡』を観る。そして、癒しのYouTube動画。

 

▶『ファヒム  パリが見た奇跡』を観る。

2019年制作のフランス映画。

 

ファヒム パリが見た奇跡 [DVD]

 


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ファヒムとは、主人公の少年の名前。

バングラデシュ政府の迫害をおそれて、母親と兄弟姉妹を残したまま、父親とともにフランスに逃げて来た。

父親の計画では、フランスで落ち着いたら、バングラデシュから家族を呼び寄せる予定だったが、これがなかなか思うようにはいかない。

フランス語がまったくできない父親は、うまく仕事を探すこともできない。

時間だけが無情に過ぎていく。

ホームレスのように路上で寝ているところを政府機関に保護され、ベッドと食事のある難民施設に入ることになる。

ここで、難民申請を出して、それが通れば滞在許可がおりるわけだが、申請が通らなければ、父親は本国に強制送還、ファヒムはフランスの施設でひとり暮らすことになるのだ。

 

 

ファヒムは、施設から学校に通いはじめ、すばらしいはやさでフランス語を習得していく。

元々チェスが強かったかれは、ちいさなチェス教室にも通うようになり、そこでチェスのコーチであるシルヴァン(ジェラール・ドパルデュー)と出会う。

そして、奇跡が起きるのだ。

 

かんたんに言うと、「芸は身を助く」ってやつだね。

勝ちにこだわるファヒムに、コーチのシルヴァンが言う言葉…

「勝ちにこだわるな。最悪なのは負けることだ」

競馬好きのわたしの胸にグサッと刺さったわ~。

 

最後がハッピーエンドだということは、タイトルから容易に想像がつくので、バッドエンドが苦手なわたしも安心して観ていられた。

ファヒムと仲良くなるチェス教室の女の子が可愛い(メガネ萌え)。

そして、フランス人が大好きなジェラール・ドパルデュー

J・P・ベルモンドといい、ドパルデューといい、フランス人はこういう鼻の男性が好みなのか?

 

「フランスは人権の国なのか、それとも人権宣言をしただけの国なのか?」という厳しい言葉が出てくるが、入管で死人が出ている日本の現状からみると天国のようにも思える。

まっ、ほんとうにひどい部分は描いていないのかも知れないが…。

 

 

 

The Beatles の『Abbey Road』(1969)を聴く。

 

 

久しぶりに聴いた。

わたしは、ファンとしてはジョン派だけど、音楽的天才性なら断然ポールのほうだと思う。

世が世なら、モーツァルトやベートヴェンと並ぶほどの大作曲家になっていたはずである。

 


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▶ 日曜日の夜の癒しは、このYouTube番組。

 


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日々のルーティン(起きる→たばこ&コーヒー→出勤→自販機で麦茶→昼食→帰宅→皿洗い→夕食→寝る、そしてたまに競馬で勝ったり負けたり)を繰り返してるだけの動画だけど、そこはかとなく哀愁が漂っていて好きだ。

 


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何気に、このひと競馬がうまいと思うなぁ。

 

 

詩のアンソロジー おすすめ4冊+1冊

 ▶たくさんの素敵な詩に出会える詩のアンソロジーを5冊紹介。

 

 

01. 『通勤電車でよむ詩集 / 小池昌代・編著』(2009/NHK出版)

 

 

「朝の電車」「午後の電車」「夜の電車」の3部に分かれていて、それぞれの時刻にぴったりな詩が選ばれている。

まど・みちおの「うたを うたうとき」から、エミリー・ディキンソンの「わたは“死”のために止まれなかったので」まで、ぜんぶで41編収録。

教科書的な名詩ではなく、「こういう詩もあるのか!」と言うような、ちょっとひねった詩が多いかな。

わたしは、詩を読まないひとよりは詩を読んでいる方だが、それでも知らない詩が多く収められていて、この本で出会った詩人も何人かいる。

 

衝撃的な詩をひとつ。

金時鐘(キム・シショウ)の「犬を喰う」。

 

雨の日に

犬を喰った。

ひんむいた目玉のまま

皮をはがれ 首を

もぎり

泣きべその妻をせきたて

まくしたて

四つ割りの

胴体を炊き上げた。

朝鮮人相手の肉屋が

西成くんだりからわざわざ運んでくる

栄養源。

妻に逃げられた

友を囲み

還暦を越えて

なお 壮健なる

彼の父を迎えてばりばり喰った。

 

 犬は犬の骨を喰わないんだそうですが

 本当ですか?

 そうだ。かしこいものでね。くわえていって埋めてやっているよ。

 

一陣の風

しゃぶりつけのものを甕へ捨てた。

さんざめく雨の中を

骨は洗われ たたかれ

桶をはみ出た水が

さかしまに

どど と 裏の下水へ落としこむのを見た。

台風接近を報じる日。

犬の喰わない犬を

俺らが喰った。

 

もちろん「夜の電車」の部に入っている。

朝イチでこれを読んだら、その日いちにち仕事にならんだろう。

 

楽しい詩もひとつ紹介。

四元康祐の「言語ジャック1/新幹線・車内案内」

 

今日も新幹線をご利用くださいまして、

どうも感情面をご理解いただけなくて、

 

有り難うございます。

情けのうございます。

 

この電車は、のぞみ号・東京行きです。

このままでは、わたしたち絶望的です。

 

途中の停車駅は、

夢中の迷走劇は、

 

京都、名古屋、新横浜、品川です。

焦土、アロマ、新人類、ホームレス。

 

つづいて車内のご案内をいたします。

鬱にて家内もたまんないと申します。

 

こんな感じでずっと続く。

楽しい。

 

 

02. 『教科書で出会った名詩100 / 石原千秋・監修』(2014/新潮社)

 

 

これから詩を読んでみたいという人には、迷わずこの本をすすめる。

中原中也の「汚れつちまつた悲しみに…」、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、高村光太郎の「レモン哀歌」などなど、文句のつけようのない名詩が100編収められている。

 

なかから、好きな詩をひとつ。

茨木のり子の「自分の感受性くらい」。

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

 

茨木のり子さんは、すべては自分に向けての言葉だと語っているが、さいごの「ばかものよ」は、しっかりとこちらに届く。

 

 

03. 『一編の詩がくれたやさしい時間 / 水内喜久雄・編著』(2008/PHP

 

 

「朝」「昼」「夕」「夜」「夢」「人」と6つのテーマに分かれていて、それぞれに

 5編ずつ、ぜんぶで30編の詩が収められている。

詩の一編ずつに、その詩についての編著者の感想が見開きでつく。

半分、編著者のエッセイ集のような本である。

 

この本で初めて出会った詩人が何人かいる。

杉山平一もそのひとり。

「目をつぶって」という詩。

 

いつも おれの前に

標識があった。

 

「この先 行きどまり」

「売り切れました」

「入場御遠慮下さい」

「手をふれないで下さい」

 

これから おれは

目をつぶって 行く

 

もうひとつ。

花田英三(この詩人も、この本で出会った)の「豆」

 

豆を喰いながら

なにかかんがえるつもりでいたが

ふと気がつくと

おれはいっしんに豆を喰っていた 

 

こういう詩、好きだな。

 

 

04. 『あの頃、あの詩を / 鹿島茂・編』(2007/文春新書)

 

 

 本書は、広い意味で団塊の世代(昭和二〇年から昭和二六年生まれ)が中学時代の三年間に国語教科書で読んだ詩を集大成したアンソロジーです。

 すなわち、団塊の前衛たる昭和二〇年生まれの人たちが中学校に入学した昭和三三年前後から、団塊の後衛にあたる昭和二六年生まれの人が中学を卒業した昭和四二年前後までのほぼ一〇年間に、日本全国の中学校で使用された約二百種の教科書を精査して統計を取り、三つ以上の教科書で採用された詩をほぼ網羅したものです。

~まえがき

 

と言うわけで、かなり偏った内容になっている。

同じ「教科書にのっていた詩」と言っても、先にあげた新潮文庫の『教科書で出会った名詩100』とは、選ばれた詩がほとんどかぶっていない。

 

たとえば大木実という詩人の詩。

新潮文庫の方には1編ものってないが、すごく良い。

「初秋」という詩。

 

秋は夜店のなかを歩いていた

物売るひとのうしろにいたり

のぞいて歩くこどもたちの目のなかや

すれちがう少女のたもとにかくれたりした

北ぐにの小さな町の

八月の宵

空には星が美しく

風がないのに涼しかった

裏通りにある氷屋で飲んだソーダ

そのストロウのなかにも秋はいた 

 

あるいは「雨の日の田舎の町」という詩。

 

雨にぬれ

雨にくれた家家に燈(ひ)がともった

家家のうしろを川がながれていた

その川のうえにも雨は降っていた

川のむこうにも

知らぬ町町はつづいていた

その町町の燈もけむっていた 

 

知らない詩人にポンと出会えるのが、アンソロジーの良いところだなぁ。

 

 

05. 『地球にステイ! / 四元康祐・編』(2020/CUON)

 

 

 そもそもこのアンソロジーは、韓国文学の出版を目的として東京で設立された出版社クオンの社長金承福が、コロナ禍をテーマにした世界各国の詩人の作品を集めて緊急出版したいと発案したことから始まった。金承福は2011年3月11日の東日本大震災の後、しばらくうつ状態に陥ったけれど、震災を記録したエッセイや詩などに接したことによって、気持がずいぶん楽になったそうだ。当事者によって書かれたものは、それがいくら悲しい作品であっても人を癒す力を持っていると気づいたが、新型コロナウィルス感染症については世界の誰もが当事者だから、いろいろな国の人に書いてもらいたかったという。

~あとがき 

 

全編横書きなので、少々読みにくいかな(わたしは横書きを読むのが苦手なので)。

収録されている詩は、出版社の性格もあって韓国系のひとが多いが、それはあまり気にならない。

それより、収録されている詩がどれもみな生々しくて、読むのがいささか辛い。

何と言えばよいのか…“詩”になる前の“何か”を、そのまま見せられているような感じ。

ステーキになる前の、血が滴っている肉のような言葉が並ぶ。

 

金素延(キム・ソヨン)の「嘘みたいに」という詩。

 

薬局に行った

身分証を見せて住民登録番号を入力すると、薬剤師はマスク3枚売ってくれた

 

手を消毒するアルコールはありませんか

そう尋ねると薬剤師が答えた

うちも探してるんです

 

済州島で教師が死亡したと

ビルの電光掲示板でニュースキャスターが伝えていた

マスクをして授業をしていた小学校の先生だった

 

私は散歩することが多くなった

私は料理がうまくなった

私の時間はやたらと増えた

 

祭りが消えた

儀式が消えた

隣の席が消えた

 

パニック映画の予感ははずれた

灰色の残骸だけが残された都市にはならず

嘘みたいに青い空と真っ白な雲で毎日の朝が始まる

 

私は窓を開けた

テラスでアサガオがコスモスに手を巻きつけていた

前の家の屋根にチョウゲンボウがとまっていた

 

ムンバイに現れたフラミンゴに

レイン島に現れたアオウミガメに

サンティアゴに現れたピューマ

 

手を差し伸べ フェイクの握手をしてから

凛としたメタセコイアの林に消えた私の後ろ姿を

誰かがカメラに収めた

 

優しい言葉で綴られてはいるが、言葉が時間によってなめされてはおらず、読んでいてきつい。

「嘘みたいに青い空と真っ白な雲で毎日の朝が始まる」というのは、ほんとにそうだなあと思う。

 

 

▶以上、詩の世界に入るためのアンソロジー4冊と、いま読むべきアンソロジー1冊を紹介した。

 

 

紹介したアンソロジーに収められている詩は、みな優しい言葉で綴られている。

とてもわかりやすく、でも深い。

わたしたちの日常に、水のように風のようにしみ込んで来る。

良い詩に出会うと、その詩が(ものすごい力になるわけではないけれど)少しだけ日々を生き抜く力となるのだ。

 

 

 

『アジョシ』を観る。そして少しずつ読む本。

▶『アジョシ』を観る。

2010年制作の韓国映画

 

 


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主演のウォンビンがひたすらかっこ良い!

犯罪組織に拉致された少女を救い出すために、アジョシ(おじさん)ウォンビンが狼となる。

 

元特殊部隊員のテシク(ウォンビン)は、ある事件をきっかけに引退、いまでは質屋を営みながら、都会の片隅で細々と生きている。

口をきく相手は、たまに来る客と隣家に住む少女チョン・ソミ(キム・セロン)くらい。

ソミの母親はヤク中で、麻薬犯罪に手をそめていて、このバカな母親のせいで、娘のソミが犯罪組織に拉致されてしまう。

臓器売買もやっているような極悪犯罪組織だ。

自分をアジョシ(おじさん)と呼んで慕ってくれる少女のために、テシクは棄てたはずの野獣を蘇らせる。

 

テシクが無双状態になってからのアクションが凄い。

韓国映画お得意のグロさもたっぷりだが、ウォンビンの冷たく冴えわたった目にくぎ付けになる。

ラストも泣かせる。

 

 

 

▶ Lana Del Rey の『Born To Die』(2012)を聴く。

 

 

デビュー・アルバム。

新作が出るたびに聴いてきたけど、いまだにこのアルバムがいちばん好き。

 


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↑ このMVは意味不明だなぁ。

 


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そろそろニュー・アルバムが出るようなので楽しみ。

 

 

 

蓮實重彦の『見るレッスン』を読み始める。

 

 

蓮實重彦にしては読みやすいと思ったら、著者が書いたものではなくて、インタビューに答えて語ったことを書籍化したものだった。

 

映画は「救い」ではない。救いとなる映画はあるかもしれませんが、救いが目的では絶対になくて、映画とは現在という時点をどのように生きるかということを見せたり考えさせたりしてくれるものです。

~はじめに

 

すぐに読みえるのはもったいない気がするので、少しずつ読むことにする。

『キル・ビル Vol.1 & Vol.2』を観る。そして「運が良かった」こと。

タランティーノ監督の『キル・ビル Vol.1』と『キル・ビルVol.2』を観る。

2003年&2004年制作のアメリカ映画。

 

 

まず、Vol.1。

前作『ジャッキー・ブラウン』から6年後に公開された第4作。

タラちゃん要素てんこ盛りで、このVol.1だけでお腹いっぱいである。

アクションもアニメのようにど派手。

ラスト30分の、宴会場での大殺戮シーンでは、ユマ・サーマンにぶった斬られたヤクザたちの腕が飛び、足が飛び、首が飛び、そこらじゅうで悲鳴があがり、血しぶきが舞うのだ。

2000年に公開された中国映画『グリーン・ディスティニー』のなかによく似たシーンがあるが(チャン・ツィイーが暴れまくる)、あちらに比べるとワイヤーアクションがいまいちだなぁ(まっ、それもひとつの味になってる感じがタランティーノっぽい)。

 

監督の千葉真一への映画的もてなしぶりが凄い。

伝説の刀工(現在は引退して沖縄で寿司職人をしている)ハットリハンゾウを演じている。

かっこ良く撮ってもらってるなぁ。

バットマン・ビギンズ』の渡辺謙や、『マイティ・ソー』での浅野忠信はえらい違いだ。

サニー千葉の英語と、ユマ・サーマンのカタコト日本語が、どっこいどっこいなのも微笑ましい。

タランティーノ節に悪酔いしながら、あっと言う間の2時間。

 

 

続いて、『キル・ビル Vol.2』を観る。

Vol.1の翌年に公開された続編。

アクションはやや抑えめで、ユマ・サーマンが暗殺集団の親玉ビルを狙う理由とか、前作では謎だった部分が徐々に明かされていく。

 

サーマンの中国での修業時代が面白い。

パイ・メイと言うカンフーの達人(偏屈老人)が出てくるのだが、モノマネ芸人の神無月にそっくりで、おもわずキャストを見直した(とうぜん違いました)。

このジジイ、マンガのように強い。

分厚い板を拳の一撃でぶち破るし、主人公が日本刀で斬りつけても、その刀身の上に乗って「カッカッカッ」と笑ってるし。

 

後半は、ビル(デヴィッド・キャラダイン)との闘いがメイン。

いやあ、D・キャラダイン渋い!

ほぼB級映画に出続けて、この渋さはなんかずるいぞ。

あじっさいの死に方がB級映画っぽいので許すけど。

 

2作続けて観ると、さすがに疲れるな…。

感想も、(いつものことだけど)なんかグダグダだ。

 

 

 

▶ Stealers Wheel の『Stealers Wheel』(1972)を聴く。 

 

Stealers Wheel

Stealers Wheel

 

わたしの高校時代は、このアルバムとともにあったと言っても過言ではない。

(いや、ちょっと過言かも知れない)

 


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「Late Again」は、朝起きたときにかならず聴いてた。

アルバムの1曲目がこの曲で、2曲目の「Stuck In The Middle」が終わるまでに身支度を終わらせる感じで。

 

 

 

▶ 知人(44歳独身・男)に「どうやったら結婚できるんでしょうねぇ…」と、わりと真面目に訊かれた。

なので、こちらも真面目に「運ですね」と答えた。

そうとしか言いようがない。

わたしが結婚したのは36歳のときで、妻は22歳だった。

けっこうな年の差婚なわけで、なんやかんや言われたが、あれから約25年、けんかひとつせずいまだに結婚生活は続いている。

もうこれは「運が良かった」としか言いようがない。

運が悪ければ“交通事故”、運が良ければ“結婚”って感じか。

 

 

 

タランティーノ作品を3本観る。そしてひげもじゃ男のシルキーボイス。

タランティーノ監督のデビュー作から3本、まとめて観た。

すべて公開時に劇場で観ていて、とうじはまったく新しい才能が出てきたことに、かなり興奮した。

 

 

01. 『レザボア・ドッグス(1992)

 

 

冒頭、映画の本筋とはまったく関係のないカフェでの無駄話からの、いきなりティム・ロス血まみれという流れが、やはりめちゃくちゃかっこ良い。

元ネタと言われる香港映画『友よ風の彼方に』のかっこ良い部分だけを取り出して洗練させた感じ。

派手なアクションシーンなんてほとんどない、どちらかと言うと地味な会話劇なのに、しかもその会話の内容が本筋とほとんど関係ないにもかかわらず、1本の映画として見事に成立しているというのは、やはりタランティーノのセンスゆえなんだろうなあ。

世界中がこのセンスに興奮したのだ。

そして、なんと言ってもハーヴェイ・カイテルの存在感よ、と思う。

 

 

02. 『パルプ・フィクション(1994)

 

 

 デビューから2作目にして、カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した傑作。

初めて観たときは、ラストで「そう来たか!」とうなった。

2度目からは、とうぜん細部のディティールを楽しむことになる。

ジョン・トラボルタのダンスとか、サミュエル・L・ジャクソンのパーマかつらとか、ふたりの深いのか浅いのかよくわからん会話とか、ブルース・ウィルスの困り顔とか、おかもを掘られているヴィング・レイムスとか、トマトのジョークを解説するユマ・サーマンとか、そういうところをニヤニヤしながら観る。

“映画変態養成ギプス”的な映画ですね。

 

さいきん、若いひとの書いている映画ブログを読んでいたら、「パルプ・フィクションは、つまらなくて途中で観るのをやめた」と書かれていて、ちょっと驚いた。

つまらない要素なんてどこにある?と思うが、10分に1回爆発が起きるようなハリウッド映画を観慣れているひとからすると、あるいは退屈かもしれないとも思う。

映画の半分は、くだらない無駄話だからなあ。

でも、好きなひとには、そこがたまらない魅了なんだが。

 

 

03. 『ジャッキー・ブラウン(1997)

 

 

タランティーノ作品のなかでは、いちばん好きだ。

冒頭の長回しのシーンから、おおっ、映画が始まる!って感じで、わくわくする。

原作はエルモア・レナードの『ラム・パンチ』(読んだことはあるが、まったく記憶にない…)。

レナードは、かなり複雑なツイストをお洒落に決めてくる作風(レナード・タッチ)なので、タランティーノとの相性は良いのかもしれない。

 

主演のパム・グリアーが良い。

が、武器の密売人役のサミュエル・L・ジャクソンは、もっと良い。

歩き方、喋り方、顔の表情、ファッション(辮髪のようなあごひげ!)すべてが素晴らしい。

デ・ニーロは、相変わらずの安定感。

 

最後に、ジグソーのピースがひとつずつはまっていく感じの気持ちよさは、タランティーノと言うより、原作者のエルモア・レナードのタッチのような気がする。

 

 

 

▶ The Delfonics の『The Delfonics』(1970)を聴く。

 

 

タランティーノ監督の『ジャッキー・ブラウン』で印象的に使われていた。

 


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ひげもじゃ男のシルキーボイス。

素敵。

 

 

 

タランティーノ監督の初期の3作を観返して思ったのは、どこかフランス映画の、それもヌーヴェルバーグ時代のフランス映画のにおいがするなあ…ってこと。

とくにゴダールの。

天衣無縫なセンスとか、遊び心にあふれた編集とか、音楽の使い方とか、いろんなところにゴダールっぽさを感じた。

自身の制作会社の名前にゴダールの「Band A Part」を使っているくらいだから、ゴダール大好きなんだろうな。

 

1960年代の映画ファンがゴダールに感じた興奮と、1990年代の映画ファンがタランティーノに感じた興奮は、あるいは似ているのかも知れない。

 

 

藤沢周平を(ほぼ)ぜんぶ読む その壱

藤沢周平の時代小説をデビュー作から順に、すべて読んでいく(ただし、歴史小説は含めない。なので、“ほぼぜんぶ”)。

幸いなことに、藤沢周平の本は現在すべて文庫で出ており、しかも絶版が1冊もないのである。

凄いことだ。

それだけ人気があるってことだろうな。

 

書名のあとにおすすめの★印をつけたが(★3つが最高)、まあ、気持ち的にはぜんぶ★3つなのだが。

★★★ = 超おすすめ、ぜひ読んで!

★★ = 読んで損はない。

★ = 余裕があれば、これも読んで。

 

 

 

01. 『暗殺の年輪』(1973年 / 文藝春秋刊) ★★★

新装版 暗殺の年輪 (文春文庫)

新装版 暗殺の年輪 (文春文庫)

 

 

収録作品は、「黒い縄」「暗殺の年輪」「ただ一撃」「溟い海」「囮」の全5編。

読後感はすべて暗くて重い。

朝いちで読んだりすると、その日いちにち引きずるほど。

この暗さは本人も気にしていたようで、別の本の著者あとがきで、このままで良いとは思っていないと書いている。

心の中の暗い部分を吐き出したら、明るいものを書いてみたいと。

しかし、いくら暗くても重くてもストーリーは抜群に面白い。

天性の物語作家なのだろう。

明るいときに読むよりも、むしろ気分が落ち込んでいるときにこそ読むべき作品集かなとも思う。

 

 

02. 『又蔵の火』(1974年 / 文藝春秋刊) ★★

新装版 又蔵の火 (文春文庫)

新装版 又蔵の火 (文春文庫)

 

 

 表題作ほか全6編の短編集。

著者もあとがきで書いている通り《どの作品にも否定し切れない暗さがあって、一種の基調となって底を流れている》。

すべての作品が悲劇で終わる。

主人公たちはその悲劇のなかで悄然と佇むか、あるいは死ぬ。

後の藤沢作品にあらわれる上質なユーモアは、ここには欠片もないのだ。

にもかかわらず、面白く読ませてしまうのは、著者の文章力とストーリーテリングの巧さだろう。

とくに「又蔵の火」の果し合いの場面は壮絶。

武士として生きることの難しさと矜持と意地が伝わって来る。

鴎外の「阿部一族」を思い出した。

 

 

03. 『闇の梯子』(1974年 / 文藝春秋刊) ★★

新装版 闇の梯子 (文春文庫)

新装版 闇の梯子 (文春文庫)

 

 

表題作ほか、「父と呼べ」「入墨」「相模守は無害」「紅の記憶」の全5編収録。

相変わらず暗い。

5編ともハッピーエンドでは終わらない。

主人公たちが大事な何かを失くして終わる。

あるいは、大事な何かを失くしてから、それが自分にとってかけがえのないものだったことに気づく。

悲哀、慟哭、諦め、それらが全編を覆い、救いはない。

これでつまらない物語なら、本を壁にたたきつけるのだが、困ったことに、どれも無類に面白いのだ。

悲惨な話なのに読む手が止まらない。

1編読み終わるごとに、主人公たちがこれから歩むであろう長く険しい道が見える。

 

 

04. 『暁のひかり』(1976年 / 光風社刊) ★★

新装版 暁のひかり (文春文庫)

新装版 暁のひかり (文春文庫)

  • 作者:藤沢 周平
  • 発売日: 2007/02/09
  • メディア: 文庫
 

 

表題作の他、「馬五郎焼身」「おふく」「穴熊」「しぶとい連中」「冬の潮」の全6編収録。

相変わらず、すべての作品が暗くて苦い。

著者の抱えている鬱屈はまだ晴れていないのだ。

これだけ吐き出してなお晴れない鬱屈と言うのは、どれほどのものなのだろう。

唯一「しぶとい連中」だけが、にぶくユーモアを放っている。

そのユーモアも後の作品でみせる柔らかなユーモアではなく、どこか重い。

しかし、困ったことに面白いんだよねぇ。

ラストは暗いんだろうなあ、と思いつつ読んでしまう。

 

 

05. 『冤罪』 (1976年 / 青樹社刊) ★★

冤罪 (新潮文庫)

冤罪 (新潮文庫)

 

 

デビューから6冊目である。

表題ほか、「証拠人」「唆す」「潮田伝五郎置文」「密夫の顔」「夜の城」「臍曲がり新左」「一顆の瓜」「十四人目の男」の全9編収録。

うち7編がハッピーエンドで終わる。

藤沢周平作品の魅力のひとつである柔らかな光のようなユーモアが、この作品集ではじめて顔を出す。

それまで自らの心の鬱屈をたたきつけるように作品にこめてきた著者の、ターニングポイントになるような作品集。

この年に著者は長年勤めた会社をやめて筆一本で生きる決意をしている。

その前には再婚もしている(前の妻は最初の子供を産んだあと28歳の若さで病死)。

私生活での充実が作品に変化をもたらしたのだろう。

駄作なしの素晴らしい短編集。

 

 

06. 『時雨のあと』(1976年 / 立風書房刊) ★★

時雨のあと (新潮文庫)

時雨のあと (新潮文庫)

 

 

デビューから9冊目。

表題作ほか、「雪明かり」「闇の顔」「意気地なし」「秘密」「果し合い」「鱗雲」の全7編収録。

すべて読後感は明るく、救いがある。

著者の初期の作品には暗く救いのないものが多いが、デビューから3年目にして、ついに長いトンネルを抜けた感じがする。

ただ、後年の作品に比べると明るさに深みがないかなぁ。

たんにハッピーエンドで終わってるだけって言うか。

まあ、それでも十分面白いのだが、のちの傑作のいくつかを知ってから読むと、なんか軽いなと思ってしまう。

しかし、まだ藤沢周平を読んだことがないと言う人には、デビュー直後の作品集、たとえば直木賞受賞作を含む「暗殺の年輪」よりは、ぜったいこちらがお勧めである。

 

 

07. 『竹光始末』(1976年 / 立風書房刊) ★★★

 

 デビューから10冊目。

表題作ほか、「恐妻の剣」「石を抱く」「冬の終りに」「乱心」「遠方より来る」の全6編収録。

すべて面白い。

短編集の収録作がすべて面白いと言うのは、何気に凄いことだと思うのだが、驚異のアベレージヒッターである藤沢周平を読み慣れると、これが当たり前に思えてくる。

“面白くて当たり前”って、やはり凄い作家だわ。

デビューから3年、、10作目にして早くもベテラン作家の風格がある。

表題作の「竹光始末」は、山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』の原作のひとつ(あれは3つの短編が原作になっている)。

貧乏暮らしで大刀を売り払ってしまった武士が上意討ちを命じられ、竹光を腰に差したまま狂った武士のいる屋敷に乗りこんでいく話。

原作には、映画にはない独特のユーモアが漂っている。