単純な生活

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詩のアンソロジー おすすめ4冊+1冊

 ▶たくさんの素敵な詩に出会える詩のアンソロジーを5冊紹介。

 

 

01. 『通勤電車でよむ詩集 / 小池昌代・編著』(2009/NHK出版)

 

 

「朝の電車」「午後の電車」「夜の電車」の3部に分かれていて、それぞれの時刻にぴったりな詩が選ばれている。

まど・みちおの「うたを うたうとき」から、エミリー・ディキンソンの「わたは“死”のために止まれなかったので」まで、ぜんぶで41編収録。

教科書的な名詩ではなく、「こういう詩もあるのか!」と言うような、ちょっとひねった詩が多いかな。

わたしは、詩を読まないひとよりは詩を読んでいる方だが、それでも知らない詩が多く収められていて、この本で出会った詩人も何人かいる。

 

衝撃的な詩をひとつ。

金時鐘(キム・シショウ)の「犬を喰う」。

 

雨の日に

犬を喰った。

ひんむいた目玉のまま

皮をはがれ 首を

もぎり

泣きべその妻をせきたて

まくしたて

四つ割りの

胴体を炊き上げた。

朝鮮人相手の肉屋が

西成くんだりからわざわざ運んでくる

栄養源。

妻に逃げられた

友を囲み

還暦を越えて

なお 壮健なる

彼の父を迎えてばりばり喰った。

 

 犬は犬の骨を喰わないんだそうですが

 本当ですか?

 そうだ。かしこいものでね。くわえていって埋めてやっているよ。

 

一陣の風

しゃぶりつけのものを甕へ捨てた。

さんざめく雨の中を

骨は洗われ たたかれ

桶をはみ出た水が

さかしまに

どど と 裏の下水へ落としこむのを見た。

台風接近を報じる日。

犬の喰わない犬を

俺らが喰った。

 

もちろん「夜の電車」の部に入っている。

朝イチでこれを読んだら、その日いちにち仕事にならんだろう。

 

楽しい詩もひとつ紹介。

四元康祐の「言語ジャック1/新幹線・車内案内」

 

今日も新幹線をご利用くださいまして、

どうも感情面をご理解いただけなくて、

 

有り難うございます。

情けのうございます。

 

この電車は、のぞみ号・東京行きです。

このままでは、わたしたち絶望的です。

 

途中の停車駅は、

夢中の迷走劇は、

 

京都、名古屋、新横浜、品川です。

焦土、アロマ、新人類、ホームレス。

 

つづいて車内のご案内をいたします。

鬱にて家内もたまんないと申します。

 

こんな感じでずっと続く。

楽しい。

 

 

02. 『教科書で出会った名詩100 / 石原千秋・監修』(2014/新潮社)

 

 

これから詩を読んでみたいという人には、迷わずこの本をすすめる。

中原中也の「汚れつちまつた悲しみに…」、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、高村光太郎の「レモン哀歌」などなど、文句のつけようのない名詩が100編収められている。

 

なかから、好きな詩をひとつ。

茨木のり子の「自分の感受性くらい」。

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

 

茨木のり子さんは、すべては自分に向けての言葉だと語っているが、さいごの「ばかものよ」は、しっかりとこちらに届く。

 

 

03. 『一編の詩がくれたやさしい時間 / 水内喜久雄・編著』(2008/PHP

 

 

「朝」「昼」「夕」「夜」「夢」「人」と6つのテーマに分かれていて、それぞれに

 5編ずつ、ぜんぶで30編の詩が収められている。

詩の一編ずつに、その詩についての編著者の感想が見開きでつく。

半分、編著者のエッセイ集のような本である。

 

この本で初めて出会った詩人が何人かいる。

杉山平一もそのひとり。

「目をつぶって」という詩。

 

いつも おれの前に

標識があった。

 

「この先 行きどまり」

「売り切れました」

「入場御遠慮下さい」

「手をふれないで下さい」

 

これから おれは

目をつぶって 行く

 

もうひとつ。

花田英三(この詩人も、この本で出会った)の「豆」

 

豆を喰いながら

なにかかんがえるつもりでいたが

ふと気がつくと

おれはいっしんに豆を喰っていた 

 

こういう詩、好きだな。

 

 

04. 『あの頃、あの詩を / 鹿島茂・編』(2007/文春新書)

 

 

 本書は、広い意味で団塊の世代(昭和二〇年から昭和二六年生まれ)が中学時代の三年間に国語教科書で読んだ詩を集大成したアンソロジーです。

 すなわち、団塊の前衛たる昭和二〇年生まれの人たちが中学校に入学した昭和三三年前後から、団塊の後衛にあたる昭和二六年生まれの人が中学を卒業した昭和四二年前後までのほぼ一〇年間に、日本全国の中学校で使用された約二百種の教科書を精査して統計を取り、三つ以上の教科書で採用された詩をほぼ網羅したものです。

~まえがき

 

と言うわけで、かなり偏った内容になっている。

同じ「教科書にのっていた詩」と言っても、先にあげた新潮文庫の『教科書で出会った名詩100』とは、選ばれた詩がほとんどかぶっていない。

 

たとえば大木実という詩人の詩。

新潮文庫の方には1編ものってないが、すごく良い。

「初秋」という詩。

 

秋は夜店のなかを歩いていた

物売るひとのうしろにいたり

のぞいて歩くこどもたちの目のなかや

すれちがう少女のたもとにかくれたりした

北ぐにの小さな町の

八月の宵

空には星が美しく

風がないのに涼しかった

裏通りにある氷屋で飲んだソーダ

そのストロウのなかにも秋はいた 

 

あるいは「雨の日の田舎の町」という詩。

 

雨にぬれ

雨にくれた家家に燈(ひ)がともった

家家のうしろを川がながれていた

その川のうえにも雨は降っていた

川のむこうにも

知らぬ町町はつづいていた

その町町の燈もけむっていた 

 

知らない詩人にポンと出会えるのが、アンソロジーの良いところだなぁ。

 

 

05. 『地球にステイ! / 四元康祐・編』(2020/CUON)

 

 

 そもそもこのアンソロジーは、韓国文学の出版を目的として東京で設立された出版社クオンの社長金承福が、コロナ禍をテーマにした世界各国の詩人の作品を集めて緊急出版したいと発案したことから始まった。金承福は2011年3月11日の東日本大震災の後、しばらくうつ状態に陥ったけれど、震災を記録したエッセイや詩などに接したことによって、気持がずいぶん楽になったそうだ。当事者によって書かれたものは、それがいくら悲しい作品であっても人を癒す力を持っていると気づいたが、新型コロナウィルス感染症については世界の誰もが当事者だから、いろいろな国の人に書いてもらいたかったという。

~あとがき 

 

全編横書きなので、少々読みにくいかな(わたしは横書きを読むのが苦手なので)。

収録されている詩は、出版社の性格もあって韓国系のひとが多いが、それはあまり気にならない。

それより、収録されている詩がどれもみな生々しくて、読むのがいささか辛い。

何と言えばよいのか…“詩”になる前の“何か”を、そのまま見せられているような感じ。

ステーキになる前の、血が滴っている肉のような言葉が並ぶ。

 

金素延(キム・ソヨン)の「嘘みたいに」という詩。

 

薬局に行った

身分証を見せて住民登録番号を入力すると、薬剤師はマスク3枚売ってくれた

 

手を消毒するアルコールはありませんか

そう尋ねると薬剤師が答えた

うちも探してるんです

 

済州島で教師が死亡したと

ビルの電光掲示板でニュースキャスターが伝えていた

マスクをして授業をしていた小学校の先生だった

 

私は散歩することが多くなった

私は料理がうまくなった

私の時間はやたらと増えた

 

祭りが消えた

儀式が消えた

隣の席が消えた

 

パニック映画の予感ははずれた

灰色の残骸だけが残された都市にはならず

嘘みたいに青い空と真っ白な雲で毎日の朝が始まる

 

私は窓を開けた

テラスでアサガオがコスモスに手を巻きつけていた

前の家の屋根にチョウゲンボウがとまっていた

 

ムンバイに現れたフラミンゴに

レイン島に現れたアオウミガメに

サンティアゴに現れたピューマ

 

手を差し伸べ フェイクの握手をしてから

凛としたメタセコイアの林に消えた私の後ろ姿を

誰かがカメラに収めた

 

優しい言葉で綴られてはいるが、言葉が時間によってなめされてはおらず、読んでいてきつい。

「嘘みたいに青い空と真っ白な雲で毎日の朝が始まる」というのは、ほんとにそうだなあと思う。

 

 

▶以上、詩の世界に入るためのアンソロジー4冊と、いま読むべきアンソロジー1冊を紹介した。

 

 

紹介したアンソロジーに収められている詩は、みな優しい言葉で綴られている。

とてもわかりやすく、でも深い。

わたしたちの日常に、水のように風のようにしみ込んで来る。

良い詩に出会うと、その詩が(ものすごい力になるわけではないけれど)少しだけ日々を生き抜く力となるのだ。