単純な生活

映画・音楽・読書について、だらだらと書いている

ありふれた日常 #1

▶朝、かなり早くに目が覚めてしまい、それから眠れなくなってしまったので、妻を起こさぬようにそっと散歩に出る。

途中、楽しそうに散歩している犬(ジャック・ラッセル・テリア)と出会い、案の定二度見される。

わたしはかなりの頻度で散歩中の犬に二度見される。

多くの犬が、チラッとこちらを見たあと、「えっ!?」と言った感じで立ち止まってわたしを凝視してくるのである。

ワン!と一声吼えられることもある。

二度見してくる犬は、なぜかテリアやチワワのような小型犬が多い。

なぜ犬に凝視されるのかは、よくわからない。

わたしの背後に何か良からぬものが見えているのかも知れない。

さいきんでは、わたしも睨み返してやるのだが、先に視線をはずすのは決まってわたしの方だ。

 

 

▶児童公園のベンチに座り、『映画を早送りで観る人たち / 稲田豊史』(光文社新書)を読む。

 

よーするに、いまの人たちは、映画を“体験(あるいは経験)”としてではなく、“情報として処理”していると言うことなのだろう。

情報として受け取るなら効率よく受け取ろうとするのは理屈にあっている。

ひとが、どういう風に映画を観ようと勝手ではあるのだが、しかし、なんだかなぁ…という感じはある。

たとえば『ゴッドファーザー』を2倍速で観て、はたしてそれは正しく“観た”と言えるのか?

あるいは『ラ・ラ・ランド』のあらすじだけを読んで、それで面白さを理解したと言えるのか?

いまや1950年代から70年代あたりの映画にしか興味のないわたしにとって、この先の映画や映画の観方がどのように変化しようと知ったことではないのだが、それでも何だかもやもやした気分になってしまう。

映画を2倍速で観たり、ファスト映画で満足したりしている人たちに、「そんな観方は正しくないぞ!」と説教したい気持ちも少しはある。

が、説教するってぶっちゃけ快楽、酒の肴にすりゃもう傑作、なわけで、もやもやを抱え込んだまま黙ってるしかないのかも知れない。

 

 

▶散歩から帰ると、妻が起きてトーストを焼いていた。

わたしは朝は蕎麦と決めているので、トーストは妻の分である。

自分で蕎麦を半束茹で(一束では多すぎる)、妻が観ているYouTube動画を一緒に観ながら朝食。

わたしは、Youtube動画は競馬と音楽関係しか見ないので、妻の見ている動画はけっこう新鮮である。

しかも15歳の年齢さがあるので、これのどこが面白いんだ?と言う動画に出会い、ときどき頭がくらくらするのである。

 

 

▶食事をするとかならず眠くなる。

さからわずに寝ることにしている。

 

 

▶起きて、昼まで読書。

本に対する集中力は20代の頃を1万スカウターとすると、現在はわずかに10スカウターくらいなので、ページはなかなかはかどらない。

さいきんお気に入りの Marcin Wasilewski Trio を聴きながら。

En attendant

En attendant

  • マルチン・ボシレフスキ・トリオ
  • ジャズ
  • ¥1731

 

去年発表された最新作。

良いですね。

レーベルはECMである。

けっきょく、わたしの中では“ECMしか勝たん”ってことなのかも知れない。

 


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▶ぼんやりしているうちに(老人はよくぼんやりする)、夕食の時間。

今夜は親子丼。

わたしは丼ものが苦手で、牛丼より牛皿(牛丼の上の部分が別皿になっている)、天丼よりも天ぷら定食、海鮮丼よりも刺身定食、カレーもルーが別の容器に入ってるタイプが好き。

白ご飯が汚れるのが嫌なのである。

餃子のバウンド食いなどもってのほかである。

が、親子丼だけはなぜか大丈夫。

不思議。

 

 

▶食後、映画を観る。

Netflixオリジナルの『グレイマン』。


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映画のアクション・シーンが小説のアクション・シーンに負けている。

原作者マーク・グリーニーの凄さを再認識した。

レイマン・シリーズには、主人公コート・ジェントリー(グレイマン)と恋仲になる美貌のロシア工作員が出てくるのだが、この映画には出てこない。

続編に温存したな。

すでに続編とスピンオフの制作決定が発表されているが、それより、シャーリーズ・セロン姐さん主演の『オールド・ガード』の続編を早く作ってくれ。

 

 

▶週末の競馬予想をしていたら眠気に襲われてしまう。

抵抗せずに寝ることにするが、明日また変な時間に目が覚めてしまうのだろうなぁ…。